決闘
伊能忠敬という人はおもしろい人である。日本全土を測量し、日本地図を初めて作った偉人として有名だが、寿命の短い江戸時代に、晩年になって一念発起して日本全国を測量して回ろうと思ったのだからすごい。
いまでは60歳になっても元気で旅行できるのは当たり前のことだが、昔は平均寿命が40歳にもいかず、50歳を超えると厳しい肉体労働や寒さ暑さで体はぼろぼろになっていた。
そんな中で伊能忠敬は49歳で隠居し、好きな学問をやるために江戸に上り、55歳から73歳までかけて日本全土を測量して地図をつくった。人間の寿命は適度なストレスが必要で、自然に対する忠敬の興味と測量というストレスが「元気」と「長寿」の秘訣だろう。
忠敬の郷里は千葉の九十九里町であり、幼名を三治郎といった。海岸に近いところに住む当時の子供達は、小さい頃は朝早くから日の沈むまで海辺で真っ黒になって遊んだものである。そんな平凡な景色の中でも三治郎は「すぐ質問して大人を困らせる」子供だったらしい。
ある時、
「お天道様は夜はどこにいるんだろうか?」
と三治郎は真っ赤になって西の空に沈んでいく太陽を見てそう呟いた。
「おまえバカか。そんなこと考えてどうするんだ!」
遙か地平線に沈んでいく太陽を見て不思議そうに首を傾げる三治郎の相手もせずに仲間の腕白小僧たちは走り去ってしまう。
お天道様は毎日、東から上って西に沈む。西に沈んだのだから、太陽は西にいるはずだ。動物でも人間でも、西に行けば西から帰ってくる。西にいって東から帰ってくるなどということはない。
それなのに、太陽は西に「行った」のに、なぜ西から「戻ってこない」のか?次の日の朝は東から昇のだろうか? 三治郎はどうしてもこの謎を解くことができなかった。
まだ地球が丸いことを知らず、平らだったと思っていた頃、人間は、西に沈んだ太陽と、次の日に東から昇る太陽は違う太陽だと思っていた。それ以外に説明ができないからだ。
三治郎が夕焼けを見ていた頃、地球の裏のイタリアではガリレイ・ガリレオが望遠鏡を使って土星や星の運動を観測し、地球は宇宙の中心にあるのではなく、太陽の周りを回る小さな星の一つであることを発見していた。
(ガリレオの望遠鏡と計算尺)
それから400年。今では誰もが地球は丸く、太陽の周りを回っている惑星であることを知っている。空一面の夕焼けを連れて太陽が西に沈んだ後、あの明るい太陽は丸い地球の裏側に回り、次の日にはまた東からでる。それを「知識」で知っている現代の私たちは何の疑問も持たずに毎日を過ごしている。
ガリレオは当時、発明されたばかりの望遠鏡を使って惑星の運動を観測し、「地動説」を唱えたのだが、地球は宇宙の中心で、人間は神様がお作りになったと信じるキリスト教の人たちや教会にとっては認めることはできなかった。
「それでも地球は回っている」
という有名な言葉は、投獄され、異端審問会に引きずり出されたガリレオの最後の抗弁として知られている。
・・・私は神に逆らっているのではない。私がこの目で見たことは真実なのだ。自然は神が作られたのだから、そこに潜む神の御技を調べるのは「自然という聖書」を読むことと同じだ。だから私は異端ではない・・・とガリレオは頑張る。
ガリレオの地動説の後、多くの科学的発明が社会を揺るがした。それまで当たり前と思っていたことが突然、覆させられるのだから驚きも大きいし、とまどいや反発もあるのは当然でもある。
その一つにダーウィンが1859年に著した「進化論」を上げることができる。ヒトがサルから進化したというこの驚くべき新説にヨーロッパは驚愕した。激烈な論争が起こり、それは世紀を超えて20世紀になってもまだくすぶり続けていた。
1925年にアメリカ・テネシー州デイトンで起こった「スコープス事件」は日本人にはわかりにくい事件である。この事件は当時学校の教師であったジョン・スコープスが授業中にダーウィンの「進化論」を生徒に教えたかどで訴えられたことに始まる。
ダーウィンの進化論は、日本では疑いのない「科学的真実」として受け入れられている。でも、アメリカではそうでもない。特にキリスト教の信仰の篤い中南部では、神が創りたもうた人間がサルから進化したと言うような「馬鹿げたこと」は信じてはいけないことであるし、まして、そんなことを学校で教えてもらっては困るのである。
スコーブス事件はアメリカ全土で話題になり、その年の7月10日から20日にかけ、双方が辣腕検事と有名弁護士を立てて裁判が行われた。そして判決は、
「進化論を学校で教えたかどでスコーブスは有罪」
であった。
創世記に従えば神がこの世を作られたのは
「紀元前4004年10月23日の午前9時」
とはっきりとしている。その時、神は人を創造し、この日以来、地球は何も変わっていないのである。間違ったことを子供に教えてはいけないと信者は主張する。
スコーブス裁判で進化論が負けたものの、この争いはずっと続き、人々はとうとうこの論争に疲れ果ててしまった。そこでイリノイ州オーロラ市で中央博覧会が行われたのを良い機会に
「進化論と反進化論の決闘」
をしてケリをつけることになった。
中央博覧会の会場に線路を引き、その上に大きな機関車「進化号」と「非進化号」を据える。この二両の汽車にそれぞれ二両の客車をつけてお互いに向かい合って走らせ、正面衝突させようというのである。このときの時速は48キロ。相対速度は96キロと記録されている。そして、衝突して脱線したほうが負けである。
結果は残念ながら、衝突の瞬間、2台の汽車はいずれも脱線し、勝負はつかなかった。従って、創世論が正しいか、進化論なのか判断の根拠は永久に失われたのである。
2台の機関車を正面衝突させて、脱線した方が間違いなどということを考えるのは、日本人なら「なんとばからしい」と思う。進化論は科学であり、実験や論理で正しく判断するのだから、決闘なんか意味がないと考える。
でも逆の考え方もある。
「この世の中は神が支配しており、神は正しい方に味方するはずだ」
とすれば決闘はかならず正しい方が勝つはずである。
トルストイの「戦争と平和」に決闘場面が出て来る。ピストルを初めて握る平和主義者のピエールが、ピストルの腕では数段巧いゴロツキ貴族に、決闘を申し出る。「戦争と平和」は物語であるから、この決闘は正義のピエールの勝ちとなる。神はピストルの腕より正義を愛する。
どちらの考え方が正しいのだろうか?
人間の脳は不完全なものである。1000年ほど前には、地球は平らだと思い、宇宙の中心にあると考えていた。今では地球が丸く、太陽の周りを回っていると言う。1000年後は反粒子の世界が発見され、それが見える眼鏡が発明される。正粒子と反粒子の両方で宇宙の地図を書くと地球が中心にあり、しかも平らである。
地球が丸く、地球の下にいる人間が落ちないのは「万有引力」・・・などという科学は間違っていた。人間が円い地球から落ちないのは反粒子の世界の働きによっていたのだ・・・ということになっているだろう。
ガリレオが異端審問会で呟いたとされる、
「それでも地球は回っている」
という言葉は傲慢だった。本当は、
「神が地球が宇宙の中心と言っておられるのだから、それが正しいのですが、私が望遠鏡を除いたら地球が回っているように見えた。どうも私の観測は間違いがあるらしい。」
と言うべきだったのだろう。
科学は、
「今、正しいと思っていることをくつがえす努力」
である。だから自分の発見を「正しい」ということ自体が矛盾している。自分の発見した「正しさ」はやがて同じ科学が覆すはずだからである。
長い歴史をつぶさに観察すれば、人間の頭脳というものの欠陥がよく見える。そして人間が「正しい」と判断することは、「間違いなく、間違っている」というのが教訓である。
おわり