-アジア・アフリカの歴史認識-
ここに一枚の地図がある。この地図は歴史学でも地理学でも正しいとは言われないだろう。でもこの地図は正しい。それは人間として描かれた地図だからである。
地図の左端の上の方にヨーロッパがある。そのヨーロッパの左半分、つまり西ヨーロッパ諸国に汚い赤の色が付いている。ポルトガル、スペイン、オランダ、イギリス、フランス、そしてドイツである。これらの国はなぜ汚い赤が印されているのだろうか?
それは灰色の国と深く関係する。
アジア、アフリカ、オセアニア、太平洋諸島そして中央アメリカと南アフリカのほとんどの地域は灰色に塗りつぶされている。この国はここ200年間の間、植民地であり灰色の生活を強いられた。ヨーロッパの武力で植民地にされた国民の苦しみは相当なものである。あるいはインド、インドネシア、そしてベトナムの歴史は目を覆うばかりである。
これらの国を植民地にしたのは汚い赤で塗られた西ヨーロッパ諸国だ。
地図の中で日本は緑色に塗られている。長い鎖国を続けていた日本は、開国と同時に全力で軍事力をつけ、井伊直弼、吉田松陰、西郷と勝、そして明治の元勲たちによって守られた。長州での四国戦争では一敗地にまみれたが高杉晋作が敗戦処理の交渉で愛人と酒を飲みながら頑張った。薩英戦争では大英帝国軍の戦死者の数が薩摩軍を上回った。イギリスにとっては東洋で初めての屈辱だった。
中国は歴史学的には植民地の時代を経ていない。でも、アヘン戦争といい、列強の干渉といい、そして日本の満州国建国に至る時期はまさに死に体であり、植民地も同様だったのである。
日本は日清戦争、日露戦争に勝利し、第一次世界大戦でも戦勝国側に入り、1930年のロンドン軍縮条約では補助艦の総トン数でアメリカ:イギリス:日本=10:10:7というほぼ対等の比率を勝ち取った。日本国内にはこれもまた屈辱として受け取る向きもあったが歴史の流れから言えば大したものだった。
日本はその後、間違った道を進んだ。初期の目的・・・それはヨーロッパの暴虐に対する自己防衛だったのだが・・・を外れて資源を海外に求め朝鮮、台湾、中国、そして東南アジアの国に攻め込んだ。暴虐に対抗しているうちに自分自身が暴虐になってしまった。そして日本は太平洋戦争で敗れた。
日本は太平洋戦争で暴虐なことをした。それを深く反省しないのはどういうことだ、と近隣諸国は厳しく日本を糾弾する。
でも、それがやや近視眼的な歴史認識であり、100年以上の長きにわたって私たちアジア人を苦しめてきた白人に対する歴史認識と相当な違いがある。時間の長さだけが問題ではないが、うっかり力余って暴虐になってしまった日本と、計画的冷静、且つ長期間にわたって暴虐だった国を同列に扱ってはいけない。さらに、欧米に対して親密でその責を問わず、日本を非難しても始まらない。
歴史は時に行き過ぎ、後で考えると反省するべきことが多い。でも小さな失敗で大きな流れの評価を覆えすことはできない。世界的に見て日本の行動は「アジアの国も頑張ればヨーロッパ人の下に付かなくても良い。有色人種でも武力を用いて独立することができる。」ということを実証し、それを世界に示したことにある。
日本が中国に攻め込んだことは短期間の歴史だけを見れば問題だった。勢い余ってやりすぎた、と言って良いだろう。それを反省するのは反省して良い。でも日本が独立を保ったことによってヨーロッパやアメリカ勢は「アジア、手強し」と感じ、アジアの人は徹底抗戦の勇気がわいた。そしてそれは中国の独立にも大きな力になったのである。
事実、第二次世界大戦後、日本が占領していた国、あるいは力を及ぼしていた国は次々と独立した。歴史にもしはないが、もし日本がその軍事力を発揮してイギリスの東洋艦隊をマレー沖で壊滅させ、フィリピンからアメリカ軍を追い出していなかったら、この地域の独立はさらに遅くなった可能性がある。その事だけでも日本の行き過ぎによる失敗は償えるだろう。
人生、そしてこの社会はすべてが優等生にはなれない。時に失敗もあるが、それを糾弾するのは木を見て森を見ないたぐいである。それでも日本人の行き過ぎに文句を言いたくなる気持ちは分かるが、日本人が自らの歴史を卑下する必要はない。本当に卑下するべきなのは、ヨーロッパやアメリカが力が強く、お金をくれるので不問に付している方である。欧米の国は国連で大きな顔はできない。長い間、植民地として苦しんだ国が常任理事国になるべきである。
おわり