-税金を納めたい国民-
年金が不足する、赤字国債が増える・・・と日本の国はお金がない、将来はもっとなくなると宣伝されている。この豊かな時代に国だけが貧乏になるということはあり得るのだろうか?なにが間違っているのだろうか? 少しまどろっこしいが、この地球上に「国家」というものが誕生した時のことからすこし考えてみたい。基礎がしっかりしていないと、すぐテレビ討論の簡単な「だまし」に乗ってしまうから。
【国民を守る国から王様の国に】
旧約聖書に「国家のはじまり」の理由が簡潔に書いてある。
ある時、村人が長老のところへやってきて、
「お願いです。我々の王になってください」
と頼む。長老がそのわけを尋ねると、
「わしらを守って欲しいのです。ある時、突然、敵が現れてわしらは家族も含めて皆殺しになり、それまで大事に育ててきた作物も家畜もみんな奪われてしまいます。是非、王になり、軍隊を作り、わしらを守って欲しいのです。」
考え込んだ長老、
「イヤ、断る。皆さんは私が王になり、国を作り、皆さんを守ることだけを考えておられるが、私が王になれば、皆さんの息子を軍隊に徴兵して戦場で殺し、皆さんの娘さんを後宮に入れて私の妾にするだろう。そうしたら皆さんは約束が違うと言うだろうから」
村人は相談したがまた長老にこう言った。
「それでもお願いします。わしらの息子が兵隊に取られ、わしらの娘を後宮に召し抱えていただいても結構です。それでも敵に襲われて皆殺しになるよりずっとましです」
かくしてその村は国家となり、王が誕生し、軍隊ができ、王宮が構えられた。当時の国家というものの役割は戦争だった。
そして、かの長老が予言したように王はやがて雲に上の人になり、傲慢になり、暴走する。
大きな川が流れ、平野が拡がっているメソポタミアでは、その河畔に都市ができた。紀元前5,000年、メソポタミアの下流に「ウル」と呼ばれる大きな都市が出現した。都市は少しずつ大きくなり、やがて「ウル王朝」と呼ばれる王国になった。もちろんそこには王様が君臨し、美しい妃や多くの召使いにかしずかれて生活していた。
人間の集落ができて間も無いというのに、もう王様の権力は大変なものだった。「ウル」の遺跡の発掘の時に、王様が死んだときの墓が見つかった。その墓には死んだ王様の遺体の他に、兵士、侍女、御者、そして音楽士などの死体が63体も葬られていた。
死んだ王様が黄泉の国に連れていきたかったのは、王様を護る兵士、日常の世話をする侍女、出かけるときに馬を引く御者、そして音楽士もいなければ面白くない・・・というわけで、この63体の死体は王様が死んだときに殺された「殉死」の人たちであった。この様な殉死の風習は人間の集落が大きくなり、やがて「ウル」の様な大きな都市ができ、国家ができると、その頂点に立つ人がだんだん特別な人物として扱われてきたことを示している。
それでも、人一人が死んだからと言って、死んだ人の世話をするのに63人も殺さなくても良いように思われる。このころから人間は少しずつ「罪」を犯すようになってきた。殉死が普通になるぐらいだから、日常的にはそれ以上に残虐なこともされていた。王様は必要以上に多くの側女を持ち、豪華な生活に明け暮れ、農村は貧困と飢餓に泣くようになった。
【社会を作る国から利権団体の国に】
人間の制度というものは少しずつ本来の目的から離れてきて、人間独特の欠陥が出てくるものである。戦争を防ぐためにできた国に、いつの間にか「人間の欲」が入り込み、変質してくる。
メリーポピンズという素晴らしい映画があった。ジュディー・アンドリュースという特等の声をもった女優が主役で楽しく奥深い内容をもったミュージカル映画だ。その一場面に、銀行の頭取が子どもが手にしっかり握っているお小遣いを何とかして貯金させようとするシーンがある。
その時に頭取が歌ったのは、
「この小さなお金を貯金すれば、それが集まって大きく、大きくなり、スエズ運河をつくり・・・」
と夢を拡げてみせる。
そう、国家の存在理由はしだいに「戦争」から「国土改造」へと進んできたのだ。日本では150年ほど前までは「国土に手をつける」ということはほとんど無かったが、それはエネルギーも技術もなかったので、国土を改造するなどは不可能だったのである。蒸気機関や内燃機関というものが無い時代には人や家畜の力の範囲でしか土地を改善することはできない。
中国の王朝のように専制君主のいるばあいには膨大な人を動員し万里の長城を作ることもできるが、日本のような平和な国はそのような圧政はできない。勢い、制限がある。だから日本の国土は自然の中にあった。
しかし、日本でも田中角栄首相が日本列島改造論を唱える頃になると、改造に使うパワーシャベルやブルドーザーなどの建設機器もそろい、経済規模も格段にあがって大規模土木工事が可能になった。国家の仕事は戦争から土木工事に変わっていった。
「メリーポピンズ」の時代、まだスエズ運河の建設も経済的には民間主導だったが、次第に民間から国に主導権が移り、国土の改造を国の指導で行うようになったのである。
この勢いはその後も変わることがなかった。その範囲は土建工事から教育投資、科学研究投資、福祉への支出などに広がり、さらに最近では「環境」やはては「心の充実」まで何から何まで国家が面倒を見るようになった。
この背景には国民が多くのお金を持つようになったことが背景になっているが、それより「世話をしてもらいたい」という人の数が増えたからであり、税金で行う仕事があたかも自分のお金ではなく、誰からかもらっていると錯覚するようなマスコミ報道などもそれに助力している。
つまり国民は自らが希望し、自らがお金を取られている、それは国民に返っているのではなく、利権団体に帰っているということである。これをすこし詳しく説明したい。
日本は平和運動や高速道路建設反対などに見られるように、21世紀に入り戦争と土木工事が国家の仕事ではなくなり、国家が抱えていた膨大な官僚や官僚機構、地方自治体の公務員などの仕事が一斉に無くなった。もしそのままであれば、国民が払う税金は大幅に少なくなったはずだった。
ところが国民が戦争と土木工事のかわりに「福祉、教育、心、通信、環境」に関心を寄せ、それも自分のお金では払いたくないと言うことで、それを国に期待した。
大昔、国は国民を守るためにできた、そして王様の為に国民を殺すようになった。かつて、国は国民の為に国土を使いやすくしたがそのうち土建屋という利権団体にお金を出すようになった。
国民から税金を取り、それを政治家が分配し、官僚が出世のために使う手順がしっかりしてくると、最初の目的が忘れられ制度だけが残る。そこにマスコミの活躍がある。まず官僚や学者、時には産業が次に税金を投入するのに適当なテーマを探す。それは国民が納得してくれるようなものなら何でも良い。一番、てっとり早いのは国民を脅して幻想を作り、それにお金を投じることである。
かつて、太平洋戦争の時には「鬼畜米英」と言ってアメリカとイギリスには「鬼」が住んでいると宣伝した。常識で考えればアメリカやイギリスに鬼が住んでいるわけではないのに、「鬼畜」という言葉だけが先行する。
それが最近では、「ダイオキシンは人類史上最高の毒物」のようなテーマであり、ダイオキシンに一人の患者もでないのに、そしてそれが学問的に間違っていようが何だろうが国民がついてくればそれでよい。まずは脅すのだ。現在ではそれは地震と津波である。次々と打ち出す。御用学者はそれに乗って恐怖を煽り、研究費を取る。
よほど誠意のあるマスコミでなければ真実を伝えることは視聴率を下げるのでやりたくない。恐怖を煽れば視聴率はあがる。だからそれに乗って国民を恐怖に陥れる。国民に恐怖を与えれば大成功で、それを基にいくらでも税金を投入することができるし、懐を肥やすことができる。なんと言っても国民の数は多いので金額が膨大、それにいったん恐怖心を植え付けられた国民はさらに税金を投入しろと言うので、黙っていてもどんどんお金が入ってくる仕組みである。
そして最後は世界情勢を解説するテレビの解説者が現れる。世界の中でもっとも税金の高い国を例に出して、説明しそれに比べれば日本は・・・といわれるとそれで納得してまた新しい税金を払う。国にはその国の特殊は事情がある。軍事を強化しようとすれば軍事力の高いアメリカを参考にし、環境と言えばドイツ、税金が高いと言えばスウェーデン、森林が豊かと言えばブラジル・・・モデルはいくらでもあり、何とでも言える。
なぜ、恐怖を煽るのだろうか??それは「自分の額に汗して働く人」が少なくなり、「税金で生活したいという人」が増えたからでもある。その税金は国民が額に汗して働いた金だから、税金や補助金をもらうということは「額に汗した人のお金を横取りする」ということに他ならない。泥棒の一種である。情けない、本当に情けない。
私は環境の学問を専門としているが、「補助金がでるから太陽電池は環境に良い」というほど人をバカにした話はない。補助金は税金である。もし太陽の光がタダでそのエネルギーが日本の為になるなら、自分で太陽の光から電気をとったら良いのである。「補助金を出してくれればそのうち大量生産になれば値段が下がる」なとという普通の人には判りにくいトリックを使うのは、戦争の前のキャンペーンと似ている。
かくして税率はじりじりと上がり、給料の半分も税金になろうとしているが、それでも国民は喜んで支払う。それが国民の本当の希望なら良いが、その希望は利権団体を守ろうとする作られた幻想だから税金は「巻き上げられている」という種類のものである。
社会の仕組みを知らないであまり「税金でやればよい」と言っているとそのうち自分の収入のほとんどはだれかに取られる。
(おわり)