― お医者さん、看護婦さん、そして先生 (2) ―

 

 射水市民病院の外科部長の処置が報道され、私は衝撃を受けた。これまで自分がいい加減に考えていたこと、そのことがおそらくは真面目で本当の医師としての心を持っておられるあの外科部長に過度な負担をかけたのではないか?と思ったからである。

 先回、看護婦としてのナイチンゲールの物語を書いた。ある信念に燃えて生涯を送る人というのは、その行動パターンに特徴がある。科学に身を捧げたキャベンディッシュ、看護に献身したナイチンゲール、そしてパリに飛行することだけに夢を抱いたリンドバーグ、この誰もが「名誉」とはほど遠い人だった。

 人類の膨大な歴史には名誉を求めていないのに何かのきっかけで名を残した数名の人がいるが、それに対して何倍の「本当に偉かった人」が名も知れずこの世から姿を消しただろう。たとえ人類に大きな功績を残さなくても、隣の病人を慰めたというだけで、本当に偉いのだから。

 ナイチンゲールの話を書いているうちに、私は医師の一人のことも書きたくなった。それはイタイイタイ病でその身を捧げた萩野医師である。

 ・・・終戦の翌年(1946年)、中国から復員した萩野医師は、父の医院の跡を継ぐ。そんな時、年配の婦人が担ぎ込まれてきて「痛い、痛い」と子どものように泣く。黒ずんだ顔、やせ細った体から飛び出したろっ骨、タコのように折れ曲がった手足。脈を取ろうとして腕を持つと、ボキリと折れた。そんな患者が畳にのせられ、次々に運ばれてきた。・・・

 「患者たちは苦しみながら死んでいった。「地獄の果てとしか思えない悲惨な現実を毎日目撃する。」苦悶(くもん)の日々が続く。萩野の脳裏には軍医として赴いたフィリピンやマレーの戦地が浮かび、負傷した兵士と患者の姿が重なる。「何としても助けたい。」

 萩野医師は治療と原因の究明に没頭した。長男の茂継さんは、朝早くから往診に出かけ夜遅く戻っては研究を続ける父の姿しか覚えていないという。茂雄さんが高校生になったある晩、トイレに起きると院長室から明かりがもれていた。時計は午前3時すぎ。のぞくと一心不乱に文献を読む父がいた。」(荻野医師の記録から)


(萩野医師を拝む患者)

 人を助けるということは並大抵のことではない。出勤時間に病院に出て、退勤時間に交代の医師に代わる・・・そういう生活では患者を救うことはできない。本当に患者の痛みが自分の痛みのように感じられ、居ても立ってもいられない衝動感に駆られないと、近代医学でも病人を救うことは出来ない。

 医師を拝む老婆の心には医師の心が伝わる。老婆は医師が夜の3時に論文を読んでいるかは知らないが、人間というのはそれが判るのである。自分の目の前にいる人が本当に自分を理解してくれているか、自分の痛みをわかっているのか、それは生き物としての人間が判断できることなのである。

 百の美辞麗句を並べても、重役が揃ってテレビカメラの前で土下座しても、被害者の心には何も達しない。不思議なことに人間は相手が自分のために「痛んだ」時だけ、苦しみを共有することができる。患者は苦しくて痛い。だから医師というものは常に痛みを分かち合わなければならない。それは職業として辛いことではあるが、医師の宿命でもある。

 ナイチンゲールも萩野医師も立派な看護婦であり、医師である。「看護婦」が差別語であると言って「看護師」と呼び変えるようなそんな枝葉末節なことに看護婦の人生があるのではない。「患者」を「患者さん」と呼ぶか、「患者様」と呼ぶかを議論しても始まらないのである。問題は魂にあり、呼び方にあるのではない。

 射水市民病院の事件は院長と外科部長の人間的確執が感じられ、さらに低レベルな議論をしなければならないが、もし医師が本当に患者の痛みを感じ、真摯に治療にあたり、院長が医師の治療に全幅の信頼を置いていたら、これから人生を閉じようとする患者さんを抱える病院でおこることなど考えられない茶番劇である。

 おそらくナイチンゲールは爪にマニュキュアをせず、髪を染めることはなかっただろう。勤務は辛かっただろうがそれを甘んじて受けたに違いない。看護婦は爪も髪も染めてはいけない。どんなに妙齢な看護婦さんでもそれは御法度である。こんな当たり前のことに反論する人がいるとすると、患者さんを看護するという職業自体を理解していない。

 萩野医師はゴルフをしなかっただろう。寸時も惜しんで最新の治療法を勉強したに違いない。それでこそ医師は「尊敬される職業」であり、看護婦や医師は「人の苦しみを和らげる」という仕事であるが故に「尊敬」されなければならず、常人とは異なる生活をしなければいけないのである。

 現在の日本では医療事故やその裁判などが行われている。私はそれは当然のことと思う。看護婦さんがセックス雑誌に登場し、髪を染め、爪に絵を描き、そして患者の尊敬を得ることはできない。医師はそれ相応の報酬を受けるべきであるが、生活はあくまで質素で24時間、患者さんの事だけを考えなければならない。それが職業としての宿命である。

 私は教師である。教師も尊敬されるべき職業であり、貧困であり、そして学問一筋に生活を送らなければならない。社会はお金が価値の尺度であるが、教師は学問が尺度である。ここに二人の教師がいて、同じ学問的レベルなら「貧乏の方が偉い」のが教師という職業である。

 私は人生、半ばにして大学に移った。その時、大学には「学問が好きでしかたがない」という人がいるところと思っていた。高等学校や中学校は教育に命を捧げている人が先生をしていると思っていた。トルストイが書き、トインビーが論じたように現代の教師も時代の子である。学問を好きな教師を見いだすのは大変だったし、何よりも周囲の評価が違うのだった。

 学生は時に迷い、時に悩む。卒業する時には一応、一人前の人間になるが、学生の時にはすべったり転んだりする。教師は人間の人格を高めなければならない。「人格を高める」・・・どうしてそんな大それた事ができるのだろうか?それにはよほど修行を積み、社会の汚濁から離れ、誠心誠意、その人生の時のすべてを使って学生に対しても、なお力は及ばない。

 大学に移って3年目。私は自分に学生を指導する力のないことに絶望し、週に2回、教会に通った。私の前を傷ついた学生が通り過ぎていく。その学生に私は誠心誠意、接するのだが、学生には伝わらない。それは私の人格が低いからである。もし私にイエス・キリストの万分の一の人格でもあれば、私はこの学生を助けることが出来ると思うと切なかった。

 私は苦しみ、教えをイエス・キリストに求めた。イエスは悩める人の傍を通っただけで悩みを消し、その言葉はどんな苦しみに呻吟している人も楽にした。ああ、私にそれができたら・・・と何度、思っただろうか!イエスは神様であるから人間の自分には無理であると思っていても私は教えを求めた。

 お医者さん、看護婦さん、そして先生・・・この職業は実に大変な仕事を担うものである。製造業が物を作る時も魂を込め、禊ぎをして制作する。まして人間が相手の仕事である。労働条件とか勤務時間とか、休日などに気を取られて、どうしてこの天職を全うすることが出来るだろうか?

 あの事件は、射水市民病院の事件は外科部長が悪いのでも、終末医療の検討が遅れているのでもない。その原因は、尊敬されるべき職業としての医師、看護婦、そして教師がその本来あるべき姿に立ち返らないことにある。私たちは断じて労働者ではない。それは労働者をバカにするとか、そういう次元ではなく、質的に異なる存在なのである。

 日本社会が安心して暮らし、現代の多くの不安を無くしていくためには「医師も看護婦も教師も、休日には休む権利がある」などという方向の違う議論から早く離れることだろう。大学が特許にうつつを抜かす時代である。時代の子としての私たちは大きなハンディキャップを負っているが、そんなことは問題ではない。

 患者さんは人生を終わろうとしている。そして心安らかにこの世を去る時、その人に全力で立ち向かうことができるのは尊敬できる人だけなのである。自戒。

おわり