― 美しい心・つけ込む心 (4)―
サラリーマン金融が栄えている。世界でもまれに見るほど日本のサラリーマン金融の会社の営業成績は良い。そしてその理由は簡単である。
「日本人は美しい心を持っている。人から借りたものは返す。だから担保を取らない金融業が成功する。」
今から20年ほど前、日本の銀行は大失敗した。それは日本人の「美しい心」を認めなかったからである。その頃、ある銀行で次のような激論が交わされていた。
「かつて、日本は急速に成長していたし、優良企業も私たちの銀行から資金を借りた。だから「貸せば儲かる」「返済は心配ない」という状態が続いた。でも今は違う・・・」
すでに1972年には日本の高度成長は止まり、優良企業は自己資金もあり、資金調達の方法も多様化して、なにも銀行から調達しなければならないことも少なくなった。
そうなると銀行の貸し手は「成長するかどうか不明で、優良でない企業」に限定される。貸し出しのリスクは増えるが、もともと楽な商売をしていた銀行員は、借り手の力を計るだけの能力を持ち合わせていなかった。
そこで二つの意見に分かれた。
1) すでに企業に貸し出しても魅力がないのだから、個人に貸し出すべきだ。
2) 個人は担保を持たず返済が危ない。それより土地の担保を取って企業に貸し出すべきである。
激論の後、日本の銀行は後者を選択した。銀行幹部の正直な気持ちは、
「実は、お金を貸す相手が信用できるかということを判断する力はない。また、日本社会が今後、どうなるかを予想する力もない。私たちは大学を優秀な成績で卒業し、「お金を借りたい」と言ってくる人に威張っていれば良かったから。」
ということだった。
それが決して悪いことではない。人生、楽をして生きることが悪いというと複雑になる。でも力が無かったことは事実だった。一方、その頃、町の片隅では次のような話が飛び交っていた。
「昔はお金を借りるのに抵抗があった。でも、もうそんな時代ではない。みんな、お金が無くても生活をエンジョイしたいと思っている。だから、個人にお金を貸す商売を始めようではないか。」
「でも、個人じゃ、担保はないよ。返ってこないんじゃない?」
「そんなことはないよ。きっと返ってくる。」
そう答えた人が、世間で言う「サラリーマン金融」というビジネスを始めた。「サラリーマン金融」とは素晴らしい名前を思いついたものだ。この短い言葉の中に、
「銀行はサラリーマンを相手にしない。」
「俺たちは庶民の味方だ。」
「お貸しする金は少額だが、ともかく困ったときに来てください。」
というメッセージがすべて入っている。
それからというもの、銀行とサラリーマン金融はそれぞれの道を歩んだ。
銀行は、
「土地を担保にまとまったお金を企業に貸し出す」
サラリーマン金融は、
「担保をとらずに少額のお金を個人に貸し出す」
勝負は歴史が証明している。伝統ある大銀行は潰れ、新興のサラリーマン金融の会社は営業成績で大銀行を上回るようになった。勝敗を決めたのは何だったのだろうか?
1) 日本の銀行員は、銀行員としてのもっとも重要な能力・・・貸し手の力を見る・・・ができず、土地のような担保しか取れなかった。本来は「相手の将来性」に対する判断力というソフトの能力だけが勝負だったのに。
2) 日本人は「借りたお金は返す」という不文律を守った。だからサラリーマン金融は取り立てにそれほどの労力がかからず、焦げ付きも驚くほど少なかった。
金融業というのは貸し出しに手がかからず、貸したお金が自然に返ってこればそれだけで大もうけできる。お客さんが「自動貸し出し機」を利用してお金を借り、「自動返却機」を使ってお金を返してくれれば、高い利子だけ手に入るからこんなに都合のよい商売はない。
日本のサラ金はそれに近かった。確かに時に返却が遅れる人がいて、厳しい取り立てを行い世間から非難されたが、多くの庶民は何とか返す期限のうちか、すこし遅れるぐらいで返した。こんな事は広い世界でも日本だけである。
日本の銀行の多くが潰れたのは「日本人は約束を守らない。だから担保が必要だ」と思ったことにあり、日本のサラ金が成功したのは「日本人は約束を守る。だからお金を貸すのに担保はいらない」と考えたのである。
正しく考えた方が成功する。だからサラ金が成功した。サラ金は偉い。社会的には銀行よりサラ金の方が地位が低く取り扱われているが、「日本人を信用する」ということについてはサラ金が上である。
サラ金と銀行の話は日本の経営者に多くのことを教えてくれる。日本人を信用すれば成功する。日本人はじっと我慢をするが、よくわかっている。そして「偉い人」が自分たちの「美しい心」を信用するのか、騙すのかと固唾を飲んで見守っている。
このことをよく考えてNHK問題にもう一回、戻ろう。
NHKの番組はなんと言っても上品で国民が楽しむことができるように工夫されている。受信料で運営されているのだから視聴率にも気を配らなければならない。そうかといって公共的番組も必要である。番組編成も経営も大変な苦労だ。
でも、NHKの経営陣は日本国民の美しい心を信じていないように見える。
「自由にNHKの受信料を支払って貰うようにしたら誰もが支払わない。日本人に「美しい心」があるとは思えない。」
と固く信じているのではないだろうか?
NHKは受信料を税金のように徴収したいと立法を試みたし、不払い者を訴えるという話もでている。でも、私はそれほどNHKに対してみんなが否定的とは思えない。
日本人というのは案外、捨てたものではない。
「NHKを見る人は受信料を支払ってください。」
と言えば、家にテレビのある人の90%は支払うだろう。でも、現在の制度のように、
「NHKを見ることのできるテレビを買った人は、見ても見なくても「受信料」を払ってください。」
と言うと、日本人は許さない。自分の美しい心を踏みにじられるからである。
私たちは日本人が持つ「美しい心」「してはいけないことはしない」という行動様式を守らなければならない。それこそもっとも大切な生活の質だからである。そして公共放送としてのNHKがもっとも重視しなければならないことは、その「美しい心」を守ることであり、それに「つけ込む心」を育ててはいけない。
だから「放送法第32条で決まっているから受信料を払え」と言わない方が良い。ただ一言、
「NHKの番組はスポンサーもいないし、良い番組ですから楽しんだ人は受信料をお願いします。」
と言えば支払わない人は、ごく少数だろう。
美しい心の日本の将来のために、NHKは放送法第32条の放棄を国会に頼み、自由に「受信料」を支払う制度に変える決断をしてほしい。
おわり