― 牛乳ビンと青年 ―

 せっかく深夜の1時にはベッドに入ったのにその日も寝つけなかった。しばらく寝床の中でゴソゴソとしている内に何か心臓のあたりが苦しくなってラジオに手を伸ばす。毎日のことなので特に聞きたいわけでもないが、ただ単に人の声が欲しいだけである。

 ラジオからは懐メロが流れていた。様子からみると3時から4時の番組らしいので既に2時間は経っている。明日は7時に起きなければならないから、6時間は寝られると思ったけれど、今日もせいぜい4時間だ、とつい睡眠時間を計算する。

 昼間はたまらなく眠たくなることがあるのに夜は寝られない。というより寝ることそのものがイヤなのだ。そうして毎日、暗い空間でモソモソと動きながら数時間を費やし、そしてようやくカーテンの周りがボーッと明るくなる頃、眠たくなってくる。

 そんな時、いつも牛乳配達の音が聞こえてきた。こんなに寒いのに大変だろう。毎日、決まって五時だな・・・牛乳ビンがぶつかりあう音と、自転車のブレーキの音が聞こえる。私は寝返り、安心して、たちまち深い眠りについた。

 「牛乳パック」という便利なものが発明されるまで、日本の家庭には毎朝、牛乳が運ばれていた。まだノンビリした時代のことである。玄関先には、簡単な鍵のついた牛乳ビンが二つ入るほどの小さな郵便受けのような箱があった。そこに牛乳屋さんが新しい牛乳ビンを入れる。箱には「森永」と書いてあった。

 家族が起きると最初にしなければならない仕事は玄関先に出て、牛乳と新聞を取ってくることだった。玄関からほんの10歩も歩かないのに朝のけだるさの中ではそれも億劫な役割だった。

 その頃、牛乳配達はおじさん、新聞配達はお兄さんと決まっていた。でも小さい私にはそれがどのぐらい大変な事かを知ることはできなかった。

 それから30年も経っただろうか・・・


 彼は決意した。この歳になるまで何となく人生を送り、チャンスはいくらでもあったのにその度に後ろへ後ろへと後退して今日になってしまった。だけど、もうこんな人生を送りたくはない。そう思って就職もしてみたが長くは続かなかった。これまで何もしない生活が長く続いたから、規則正しく、そして頑張らなければならない生活には耐えられないのだ。

 彼はそんな中で決意をした。
「いや、朝、7時に起きて9時までに会社に行けばよい。時々は休んでもいい。そんな勤めだから俺は立ち直れないんだ!」
 
 彼は会社を辞めて新聞配達の店の扉を開けた。それからもう1ヶ月になるだろう。新聞配達の店には中二階がある。はしごで登ると屋根裏に小さな3畳ばかりの空間があり、そこに布団を敷く。潜るように布団に入ると彼は自分が自分であることを確かめることができた。6畳のアパートよりこの屋根裏部屋の方が居心地は良かった。

 3時になると暗闇の中で布団を出る。せんべい布団で寝たせいで、体は芯まで冷えて震えもしない。背をかがめながら作業ズボンをはき、ジャンパーを羽織ってはしごを降りた。小さな電灯の光を頼りに新聞の束を取り、それを自転車の後ろに乗せて店を出る。

 身を切るような寒風の中、彼はペダルをこいだ。もう、1ヶ月になるな、まだ頑張ることはできないけれど、ともかく続けよう。俺は試しているんだ。凍えるような寒さでなければ彼は挫折したかも知れない。暗くなければダメだったかも知れない。

 6ヶ月が経ち、台風の予報が聞こえてくる頃、彼は新聞配達を辞めた。最初の計画通りだったし、それは彼が物心がついて初めて自分で決めたことを自分でやり遂げた瞬間だった。

 私は彼に魂を感じる。立派な青年だ。

 新聞配達も牛乳配達も共に日本の文化である。そこには様々な人生が見え、そして消えていく。人が強いノスタルジアを感じ、配達の音を懐かしく聞くのはそれが昔のことだからではない。あの音、あの時間、そしてあの暗さ・・・それなのである。

 牛乳パックが登場してスーパーやコンビニですぐ手に入るようになり、牛乳配達は絶滅していった。そして暫く経つと、「牛乳パックのリサイクル運動」というのが始まった。もちろん、牛乳パックの紙を回収しても環境に良いはずもないのだが、何となくもったいないと思ったのだろう。誤解と幻想が生んだ社会現象だった。

 空になった牛乳パックを水道で洗って潰し、それを束にしてリサイクルに出しても世界の森林を守ることもできなければ、日本のゴミを減らすこともできない。かえって森林は荒廃し、ゴミは増えるのだが、錯覚に基づく運動は常にそういうものだ。仕方がない。

 そんな中で「牛乳ビンに戻ったら良いじゃないか。昔は良かった」という話も出てきた。牛乳配達も新聞配達も懐かしい。そして情緒もあった。人生をやり直す一つの道具として一人の男を救ったこともあった。でも、その仕事はとても辛い。

 牛乳ビンを使った方が良いと言う人は一度も牛乳配達をしたことが無く、朝、3時に起きて仕事をしたこともない。ただ自分は「おい、牛乳」と言えば飲むことができ、冷蔵庫を開ければ牛乳パックが入っていると錯覚している。

 石炭を背に担ぎ突然沸き出してきた出水にそのまま人生を終わった人もいる。二○三高地でトーチカに向かって突撃し頑丈な体躯を満州の荒野に横たえた人もいる。そして自らを立ち直らせるために凍えるような朝、はしごを降り立つ青年がいた。

 私たちはあまりに・・・

おわり