― 物体化する日本人 ―

 京都から南に50キロメートル、おおよそ12里のところに観音様で有名な長谷寺がある。全国に「長谷寺」は多いが、この寺は、奈良県の真ん中より少し北に位置して、現代の地名では桜井市にある。その南には吉野、そして天川があるがそれは遙か山の向こうである。

 長谷寺のあるところは初瀬川に沿った地域で伊勢本街道に続くことから、平安時代から鎌倉時代にかけて参拝の人で賑わったところである。長谷寺も西国観音霊場第八番の札所であり、巨大な十一面観音様がおられる。源氏物語や枕草子にも「初瀬詣で」が出てくるぐらい由緒正しい。

 日本人は1時間に4キロメートル、つまり1里歩くから、京都から出発すると12時間。朝早く出て休みもなしで歩くと夕方には着かないではないが、それは疲れる。途中の宇治か奈良で夜を過ごしてゆっくりと長谷寺に詣る。到着するのに速くて2, 3日かかるということになる。


(長谷寺の巨大伽藍  著者撮影)

 長谷寺の境内は大きく、階段も長く、伽藍の数も並大抵ではない。それを一つ一つお参りして願をかければ1日では終わらない。三日三晩晩願をかけてお詣りをすませる。だから合計10日ほどである。でも、10日かかるとか、それが2週間になるとかは問題ではない。長谷寺にお参りすること、それ自体が当時の人にとっては大きな行事であり、時間はまったく気にならない。

・・・いくたびも参る心ははつせ寺 山も誓いも深き谷川・・・
と歌われるように、願を成就するには信仰の深さが問われる。だから、自動車で何時間で着く、それから急ぎ足で本堂まで行って、えーっと、お詣りは1分ですむから、それから・・・などという現代風のお詣りは考えも及ばないのである。ゆっくりと時間をかけ、いくたびも参る、それが「詣で」というものであった。

 1920年代の日本でも平均寿命は43才だったのである。平安時代はもっと人生の時間は短かった。それでも彼らは10日をかけて長谷寺に詣でることに何の抵抗もなく、惜しくもなく、お参りの時間はことのほか充実していたのである。

 私は急ぎ足で長谷寺の広い講堂の廊下を歩きながら、現代が「時が逆転する時代」であることを感じた。

 京都から朝、車で出発し、途中の混雑に気を取られながら、169号線と165号線の交差する地点で左折する。それから長谷寺の後ろにある駐車場に車を入れ、駐車料金を少しおまけしてもらい、仁王門や登廊で写真を撮りながら、あわただしく本堂へ向かう。

 せっかくの長谷寺だ、そして参拝を終えたらすぐ昼食を取って室生寺に行く。ちょうど、桜の季節だから見るだけでも見たい・・・と気が焦る。本堂の横に長谷寺の建立に関わる神社がある。なるほど、日本という国は神様と仏様は区別しないのだな、と思いながら、ここはかしわ手、ここは念仏と使い分けながら進む。

 私は何をしているのだろうか?私の行動の目的はなんなのだろうか?私は忙しい。私は仏教も観音様も信仰していない。確かに桜は綺麗だが、私は桜を見に長谷寺まで来たのではない。まして忙しいのに室生寺まで何で行くのだろうか?

 今朝、京都を出てから、私はなにも「実質的」なことをしていない。ホテルを出て車に乗り、事故が起こらないように、渋滞に巻き込まれないようにと緊張して走ってきた。ドライブをエンジョイするということもなかった。169号線と165号線の交差点を行き過ぎると戻ってくるのに5分は損すると思って神経を尖らせてきた。

 別に5分はどうってことはないが、損なような気がした。せっかく長谷寺に来たんだ。別に時間を気にしなくてもゆっくり心ゆくまで参拝し、なんなら今日から観音様を信仰するようになれば、それは意味がある。

 現代というのはどういうものだろうか?平安時代とどうしてそんなに変わってしまったのだろうか?おそらく平安時代の人はほとんど「もの」は持っていなかっただろう。当然、自動車はない。その代わり自動車を買うお金もいらない。お金がいらなければそのために働く必要もない。

 なにもいらないから忙しくない。忙しくないから初瀬詣でに10日かけることができる。自動車というのは、時間を作っているのだろうか?それとも奪っているのだろうか??

 家計の中で、食事にかける経費の割合を「エンゲル係数」という。食べるだけの人生ではつまらないのでエンゲル係数は低い方が文化的という。平安時代と現代を比べればエンゲル係数はずいぶん低くなったが、現代人の方が人生の時間の中で「精神活動」に使う時間の割合は低い。

 平安時代は、エンゲル係数が高かった。だから食が確保できれば、その他は必要がないので精神活動に人生の時間を使う。
・・・ガキとカカアのメシを稼いだら、後は好き勝手・・・
というのは江戸の職人である。エンゲル係数は高いが精神活動時間も長い。

 現代の日本人は、事務的仕事と機械的時間だけを消費している。それはまさに「消費」という名称がピッタリであり、とても充実した人生の時とは言えない。実はこの文章の最初に「キロメートル」だの「里」だの長谷寺までの時間の話をした。これには裏がある。

 昔の「里」というのは距離ではなかった。人が一時間歩く時間を距離に直したものだったから、平坦で歩きやすい道なら「一里」は長く、山道の「一里」は短かった。人間にとって距離とは「どのぐらい時間がかかり、どのぐらい疲れるか?」が問題であって、何キロメートルかは問題ではない。

 だから、当時は十里と言えば、十時間かかることがすぐ判った。今流に言えば「人に優しい度量衡」というのだろう。自分が普通の人より2割程度、足が遅いと思えば、十二里である。素晴らしい「距離の定義」である。それが単なるメートルになった。文化は機械化し、劣化している。

 人間は生きている。そして私たちは生を楽しむためにこの世に生まれてきた。事務的な仕事とどこかに行くために時間を使う存在ではない。平安時代は、それがわかり実行する勇気があったが、私たちは劣化し、機械化し、事務の奴隷となって一生を終えている。

 もっとも人生の時間の使い方は古今東西に関係なく難しかったらしい。

 フランスの文豪・モンテーニュ
「人生の有用さはその長さにあるのではなく、その使い方にある。長生きをしても、ほとんど生きなかった者もある」

 私がそうだ。

おわり