― 語りかける ―

 

 間口2間、奥行き4間の狭いその店には小振りの作品が並んでいる。薄明かりの中で、古めかしい鉄製の黒い取っ手のついた4段の小さなタンスが置いてあった。

 建具屋にとって江戸時代に完成の域に達した組み手の技法は貴重なものである。完成した組み手模様は複雑で見事なものであるが、その基本的な枠組みは三種類に限定される。それをどのように組み合わせ、定められた空間に合わせるかは職人の腕である。

 私のような現代材料学の手法を用いる者にとっては樹木はやっかいな相手である。鉄鋼やプラスチックはナノスケールの微細な構造を持っているが、基本的には均質である。均質なこと自体が材料としての性能を高め、そして品質を上げる。同質のものを数多く生産するためには都合が良い。

 それに対して樹木から得られる材料はやっかいだ。表面の樹皮、その下のコルク層、形成層、内側に入れば白い辺材と少し褐色がかった心材がそれぞれの構造を持っている。これらの各部分は構造も性質も違うが、人工的な材料との最も大きな差は樹木が「細胞」で構成されていることだろう。

 細胞は独立している。独立した細胞同士は「壁孔」という小さな貫通孔で連絡し合っている。細胞の間をつなぐこの小さな孔が開いていること、それが樹木が生きている証である。死ぬと細胞は乾燥し、壁孔を閉じる。

 壁孔が閉じた細胞はそれから後、小さな壁孔を通じて液体も気体も通過できない。硬い細胞壁を通って少しずつ物質が移動するだけになる。このような「不均質」な材料は現代材料学では手に負えない。切断したり磨いたりすることはできるが、壁孔が閉じた材料内部はすでに手が付けられない状態になっている。

 江戸指物はそんな木材を相手にする。建具師の手で揃って形を整えられた後、やや乾燥した状態で組みたてられる。この時、建具師は「しめる」「ころす」という言い方を使う。建具師が手にしている小さな木のスティックはすでに死んでいる。その死んだ木のかけらをさらに彼は「ころす」という。

 建具師がしめて、ころして組み上げた組み手は空気中の水分を吸って小さな声で呻く(うめく)。この呻きは空気中の水分が木片にしみ込むからである。すでに壁孔は閉じている。木片を構成している細胞はそれぞれに独立し外部からの侵入を拒んでいる。でも水は細胞壁を通って少しずつ侵入し、膨張した木片は雁字搦めに組み上げられて呻く。

 建具師は木片のあげる呻き声が聞こえると言う。その僅かな呻き声を聞きながら建具師はさらに組み手を調整する。伝統的な材料と職人の関係は概ねこのようなものである。職人は常に材料と対話し、その声を聞きながら作品を作り上げていく。

 だから多くの職人は謙虚である。それは自分の作品が自分だけの力で出来たのではなく、材料との対話で作り上げていくからである。職人が好んで使う言葉に「いかされている」という言葉がある。作品を作る時に積極的に働きかけるのは職人であるが、それに応じて動くのが材料である。そして材料が動くことによって作品は満足な状態に近づく。

 すでに死んでいる木材を「いかされている」と表現するところに「もの」に対する日本の伝統的な考え方が垣間見える。それは日本文化全体を覆っているのだろう。ある時、中国の人と共に職人のところに行く機会があった。その人は日本の職人の見事な技、謙虚な心に感心したようだった。

 大学に帰る途中のことだった。中国から来たその人の口から意外なことを聞くことが出来た。
「今日はとても良かったけれど、もっとビックリしたことがあります。それは皆さんが職人さんに対して尊敬していることです。中国ではそうではありません。先生方のような偉い人が職人さんを尊敬することなどありません。ほんとにビックリしました。」

 民族主義になることには注意をする必要があるし、自分が日本人だから選民意識を持つことはさらに適当ではない。でも日本文化や日本人には世界でも特別な振る舞いがある。「恩」という英語の単語が無いように、その民族にはその民族にしか見られないことがあるのだ。

 日本の伝統文化は「完全平等概念」を基礎に作られている。封建制が厳しい時でも、表面的に身分制を守っていても、日本人の心の中には現世における階級制は仮の姿であることを、実感していたのである。建前上は身分制がある。お侍さんは偉い。それで社会秩序を作っていくのには異論がないが、「本当はどうなのですか?」と聞かれると、「そんな、野暮なことは聞くなってことよ」と答える。判っているのである。

 長谷寺の本堂には舞台がある。間口九間のこの本堂(正堂)には外舞台がついていて、そこからの眺めは素晴らしいものがある。春は桜、それから牡丹、夏はあじさい、秋は紅葉、そして冬も牡丹が咲く大きな境内を一望できる。

 そして正堂の中には十一面観音菩薩がすっと立っておられる。観音菩薩に信仰を抱いている人にとって、京都からはるばるこの初瀬に詣でた人にとって、これほどありがたい場所があろうか。人々は願いを持ってここを訪れ、願いをかけてここを去る。そのひととき、長い坂を上ってきた身を休める。

 外舞台に面した正堂に大きな「四角い」基礎がおいてある。腰長押(こしなげし)である。その上に九間のお堂を支える柱が立つ。外舞台の端の方に面するこの「四角い」長押は、その形が四角いままである。それから中央へと移動すると、それは徐々に「丸く」なり、中央に近い部分ではすっかり角がとれて丸太となる。

 長谷寺のこのお堂は1650年、徳川家光公の時に再建されたものだから、約350年の年月を経ている。だからこれは、その間ここで休憩をとった人の残した跡である。いや、この固い長押に人間の柔らかい体が乗ったからと言って角がとれるわけではない。最初の鋭い鋭角の角は何かの拍子に欠けることがあっても、少し丸くなればその後は頑丈なはずだ。

 でもこの太い長押は完全に丸く太くなっている。その曲線に多くの人たちの願いを感じることができる。これほど丸くなるにはどんなに多くの願いを持って人々がここに集ったことだろう。その一人一人の熱い願いを十一面観音菩薩様はじっと聞いてこられた。

 願が成就した人、しなかった人、それはそれぞれであっても、伽藍が建設され、観音菩薩が立たれ、そして花の咲き誇る境内が支えてきたのだろう。

 長谷寺が美しい花で飾られているのには意味がある。ここに詣でる人は病んだ人たちである。その人たちを慰めるには、長い初瀬詣での旅があり、広い境内があり、十一面観音菩薩がおられ、そして美しい花が迎える・・・それでやっと人が願いをかける舞台ができるのである。

 日本の伝統材料は、材料そのものに重点を置いていない。材料がどのように生きているのか、組み上がった材料は何を望む人に使われるのか、その人の願いは何なのか、そこに重点を置く。だから組織の電子顕微鏡写真は必要がない。それよりまずは「材料は生きていますか?組み上げてから変わりますか?どのような運命を辿るのですか?」ということを明らかにする。

 私は新しい工業製品、私たちの生活を便利にし、彩りを与える材料や製品を考えている。現代科学はそれなりに豊かな生活を作り出してくれたが、私たちは大量に供給される製品に慰められることはない。でも、私たちが今まで研究してきたことは、最初の一歩である。四角い頑丈な長押は少しも揺らぐことがないように見えるが、それでも多くの人の願いで丸くなってくれる。その希望を持って「対話できる材料研究」に踏み出したい。

おわり