― ゴミの中で生きる ―

 「廃棄物問題」は環境問題の中でも中核をなす。人によっては「日本の環境問題は、廃棄物問題だけですよ」と私に耳打ちする人もいる。確かに、大気は綺麗だし、水も良くなっている。有害物質も交通事故も一頃より、ずいぶん減ってきている。今、残された問題は、「日本人があまりに多くの物を使うので、それがゴミになって困る。」ということに尽きる。

 性善説を基本とする環境運動から言えば、ずいぶん身勝手な話だ。でも、ここではそれには目をつぶって、いったい私たちが言っている「ゴミ」というのはどういうものかを考えてみたい。

話: その1 私たちが吸っている酸素は、大昔の生物が吐いた廃棄物である。

 現在の大気中には酸素が21%ある。綺麗に澄んだ空、豊富な酸素・・それを私たちは「素晴らしい自然」「綺麗な大気」と言う。でも地球が誕生した時には酸素は無かった。

 地球が46億年前に誕生した時の大気は、窒素、二酸化炭素、水などだった。それから9億年。地球上に生物が誕生し、活動を始めた。もちろん、原子の大気は酸素がなく、「呼吸」は出来なかった。そこで生物は二酸化炭素を使い、「嫌気性」と言われる環境の中で活動したのだった。そしてその廃棄物は「酸素」だった。


(大気の中の酸素)

 太古の生物は、今で言う「汚い空気」「よどんだ水」「茶色の海」を「素晴らしい自然」と呼んでいた。そして、酸素を廃棄物として放出する。それは約30億年続いた。そして大気中には生物の廃棄物である酸素がたまり、やがてその廃棄物を利用する生物が誕生する。それが現在の「酸素呼吸する生物」であり、酸素が必要な「人間」だったのである。

 恋人でもない限り、他人が吐いた息を吸うのは気持ちが悪い。でも今、私たちが吸っている酸素は大昔、奇妙な生物が吐き出した酸素である。


(酸素を吐いた生物)

話: その2 私たちが使っている鉄は、大昔の生物が吐いた廃棄物からできたものである。

 大気中の酸素ばかりではない。昔、海は茶と緑の間の様な汚い色をしていた。鉄が海に溶けていたのである。その鉄は、これも生物が吐き出す酸素で酸化された。酸化されたというのは、簡単に言うと「鉄が錆びた」のである。

 鉄は錆びると赤茶色になって、水に溶けなくなる。そこで沈殿して「鉄鉱山」になった。海は青くなり、鉄鉱石が山になった。我々は今、青い海が「美しい」という。それは私たちが「廃棄物生物」だからであり、もともとの自然を知っている生物なら「なんて汚れた海だ。昔のように鉄が溶けて無いじゃないか!」と言うだろう。

 人間が登場するまでは、もう一つの呼気の廃棄物である鉄鉱石を使う動物はいなかった。でも、人間は紀元前12世紀、鉄の製錬技術を発明し、この廃棄物を使うようになった。これを「鉄器時代」というが「金属性廃棄物利用時代」と言ってもよい。鉄鉱石の山は「美しい」と言えば美しいが「廃棄物貯蔵所」と言えば、そうも見えないことはない。


(鉄鉱石・・貴重な山?廃棄物貯蔵所?)

話: その3 私たちが使っている石油・石炭は、植物・動物の死骸である。

 200年前になって、人間の「廃物性」はさらに高まり、植物の死骸や動物の死骸をも利用するようになり、珊瑚礁にも住むようになった。言うまでもなく、石炭は植物の死骸であり、石油は動物が死んだ死体である。珊瑚礁はサンゴが死んで蓄積したものである。

 私たちは黒光りした石炭に神秘を感じ、石油で温めるストーブが心地よく感じ、そして珊瑚礁は美しい。それはみんな、私たちが「ゴミため生物」だからである。こともあろうに「死骸」を利用して、それが「無くなる」といって一喜一憂しているのだから、なんとも言えない。

 

 実は人間は「糞転がし」だった。そう思うのはイヤだが、事実は事実である。なぜ、人間は「糞転がし」であり、「ゴミために生きる生物」なのだろうか?

 「自然」というのは価値観を持たない。というより自然そのものが価値であり、人間のように自らの頭で価値観を作ったりはしない。だから、実は何が廃棄物か、なにが昔からある物なのかなどの区別はつけない。

 地球が出来た時の大気は、窒素、二酸化炭素、水だった。これらも「ビックバン」と呼ばれる宇宙の最初から見れば、「反応の廃棄物」に過ぎない。ただ、現実問題として大気に二酸化炭素があったから、生物はそれを利用したに過ぎない。海水に鉄が溶けていて赤茶色をしているから、その海が「美しい」だけである。

 大気はやがて廃棄物で充満し、地上には生物の死骸があふれる。酸素が吐いた息であり、石油が動物の死体であろうと無かろうと、それが現実にあるのだから、利用するものが現れる。それが私たちである。だから、私たちの故郷は一つ前の生物の亡骸と糞であり、それが美しく見える。私たちにとって「かけがえの無い地球」とは「廃棄物に覆われた地球」なのである。

 二酸化炭素の放出が地球を汚染すると言う。そんなことがあるはずもない。なぜなら、私たちが二酸化炭素を放出するのは、動物の亡骸と動物の呼気を混ぜて昔の状態に帰しているだけだから。

 「地球に優しい」「かけがえの無い地球」とはいったい、何を言っているのだろう?自分の身の回りだけを見て、自分だけが得をすることを考えているのに、何か偉そうなことを言っている人間を見て、自然は苦笑しているだろう。

おわり