― 貧富の格差は拡がっているか? ―

 インターネットで「貧富の差」というキーワードを検索すると数十万件が結果として表示される。そしてそのほとんどは「貧富の格差は拡大している」「社会が発達すると貧富の差は拡大する」「科学技術が進歩すると貧富の差が拡大する」と書いてある。

 論評の中には、大新聞の論説や専門家の論評、さらには政府の科学技術総合会議などの中心的委員会などで頻繁に取り上げられていることがわかる。そして「貧富の差が拡大している」ことを前提として結論が導き出されている。

 私は研究の必要上、「貧富の差が本当に拡大しているのか?」を知りたいと思い、最初は、論説を読んでみたが、最初から貧富の差が拡大していることを前提としており、それが日本国内のことなのか、時代はいつなのかがハッキリしていない。そこでデータを少し当たってみた。

 まず先進国の最近20年間程度の所得格差(ジニ係数というものを尺度に使う)を図に示した。資料は総務省統計局のもので、東京大学の本川先生や労働機構などの政府機関が整理をしている。図の縦軸は所得格差で横軸が西暦(91は1991年のこと)を示し、縦軸の値が大きい方(図の上の方)が所得格差が大きい。全体として見ると、アメリカが大きく、オーストラリア、フランス、カナダと続く。

 所得格差の小さい国としては、スウェーデン、ベルギー、ドイツなどが並び、日本は中程度である。また「社会が発展すると格差が広がる」というのも、若干ではあるが、そういう傾向がある。特に1990年以後のアメリカが顕著である。

 上の図は人口が3000万人以上の国の所得格差を示している。一見して判ることは、横軸に示した所得水準にはあまりよらず、その国の社会体制や歴史的状況に依存していることがわかる。南アメリカは人種差別が厳しかった国であり、ブラジル、コロンビア、メキシコ、アルゼンチンはいずれも中南米の国で、所得の格差について社会的にそれほど敏感ではない。

 また次の一群は、中国、ロシア、フィリピン、イラン、タイなどの中進国で、発展途上にあるために社会で裕福な層が出来つつあると考えられる。格差の少ない国は二つに分かれる。一つは日本、フランス、ドイツなどの先進国で、成熟しているために格差が少ない場合と、もう一つはエチオピア、バングラディッシュ、インド、インドネシアなどまだ経済的に発展せず、富裕層の数が少ないと思われるところである。

 また、この二つのグラフを見る時に注意しなければならないことがある。それは「基準の取り方」と「社会の変化」である。たとえば「単身世帯」「老齢世帯」が増えると、格差が増大する。5人家族で、お父さんが45才、お母さん40才、高校生、中学生、おばあさんという家庭と、80才で夫に死に別れたおばあさん一人の世帯では収入はかなり違う。

 年金や財産、そしてお金がいる人生の時期を補正すれば別だが、統計的にはそれはしない。だから単身世帯や老齢世帯が増えると同じような社会状態でも格差が広がる。また累進課税やおつきあい費用などが差し引かれている訳でもない。

 このように格差が拡がっているかどうかということを考えるにはかなり慎重でなければならない。専門家の詳しい解説を勉強すると、日本は少なくとも格差が増大する傾向にはない。

 また、国別でも難しい問題がある。たとえば「極貧世帯」の収入はほとんど把握できない。だから統計自体に入っていない。「大陸の奥地でほとんど自活している人」と「大都会に住んでいる人」のお金をそのまま比較しても意味がない。

 一応、ここまでの基礎知識を元に、最初に列挙したことを検証してみよう。
1) 「貧富の格差は拡大している」・・・・・・・・・・NO
2) 「社会が発達すると貧富の差は拡大する」・・・・・正反対
3) 「科学技術が進歩すると貧富の差が拡大する」・・・正反対

 「貧富の差が拡大している」というのはおそらく作られた幻想である。年金が欲しい、補助金が欲しい、貧困の人を応援することが正義だ・・・という前提でデータを見ずして議論していると考えられる。

 所得格差がどの程度が「人間らしいか?」という哲学的問題は研究の途上にある。中国の要人は「所得格差が発展の原動力になる」と公言している。中国は共産主義であるが、人間の基本的特性は変わらない。村にお金持ちが現れ、裕福な生活をしているとそれがうらやましくなり、努力する。国の要人としては歓迎すべきだろう。なぜなら、一時期は格差が拡がるかも知れないが、国民全体としてはその方が長期的に裕福になるからである。

 また、いくら努力しても勉強しても、偉くなっても我慢しても所得が上がらないのも辛い。人間的ではない。人間は動物だから、努力に応じて報われることが必要だが、人間の努力にはどの程度の差があるのか?相撲なら横綱と幕下では大人と子供の差がある。でも社会活動ではハッキリしない。運もある。それに加えて「人間は平等でなければならない」という不文律もあってややこしい。

 いずれにせよ、事実を正面から受け止めることが大切だし、特に何か発言する人やマスコミは事実を調べ、時に取材し、そしてそれを示すようにしてもらいたいと希望する。

おわり