― 石油は本当に無くなるのか? ―

 今から30年程前の1972年に石油ショックが起こった。石油に依存した生活を楽しみ、未来永劫に石油という恩恵に浸ることができると錯覚していた世界は、次の警告にビックリした。

「石油は、来世紀の初めには供給量が減少し、来世紀の半ばに枯渇する」

 続いて1973年には第三次中東戦争が勃発、原油価格は、1バレルあたり2ドルから20ドル、さらに40ドルまで上昇し、自動車用ガソリンは枯渇して移動が困難になり、灯油の供給が滞って暖房も思いのままにはならなくなる。ヨーロッパ諸国は国民に「シャワーは一週間に一度」と呼びかけた。

 日本では「トイレットペーパー買い付け騒ぎ」が起こり、各家庭はトイレットペーパーを買いだめした。

 あれから40年、「もう無くなる、もう無くなる」と言われ続けてきた石油はまだ十分に供給されている。原油価格は40ドルから20ドルに下がっていた。しかし、昨年から原油価格が再び上がり始め、60ドルになった。本当のところ原油は無くなるのだろうか?

 歴史的事実を整理してみよう。上のグラフは1930年からの「発見された原油の量(棒グラフ)」と「消費された原油の量(折れ線グラフ(原油精製量))」を示している。石油が盛んに使われ出した1930年代から1980年までの約50年間は、発見量>消費量 だった。

 石油ショックがあった1972年にはまだ石油の需給関係は、発見量>消費量 だったのである。石油が無くなるという警告は「将来」であって、1972年ではなかった。私はマスコミ嫌いではないが、日本のマスコミは危機をあおり、視聴率を稼ごうとして今にも石油が無くなるような報道をした。それが騒ぎの原因となった。これは事実である。

 現代社会は「事実を肌で感じる」ことは出来ない。情報は幻想である。従って、国民は「納得性」で動くが、納得性はマスコミ報道で作られる。マスコミが事実を報道すれば国民の納得性は事実に基づくが、マスコミが事実とは違う報道をすれば、国民の納得性は事実から離れる。

 そして、石油は1980年に需給関係が逆転した。その後は、消費量>発見量 の関係は固定され、資源発見の努力は実らなかった。それからすでに20年。そろそろ「底が見えてきた」ことが2005年の原油価格の高騰につながったのである。

 それでもまだ石油の消費量は増大している。その理由は主として中国やインドなどの発展途上国の需要が増えることにある。先進国の技術は急速に発展途上国に移りつつある。そして発展途上国の人は情報公開によって先進国の生活を具体的な目標にすることができる。だから現在、世界人口の約5分の1の人が世界の石油の約5分の4を消費しているという状態なので、石油の消費速度は増大を続けることが予想される。

 石油の代わりに石炭、天然ガス、オイルサンド、オイルシェール、メタンハイドレードなどがあるが、天然ガス以外は、いずれも石油が1バレルあたり200ドル程度にならないと競争力はない。天然ガスは石油代替として消費量が増大していくが、石油を全面的に代替する力はない。

 結論として次のことが言える。
1) 1972年の「石油ショック」で警告されたのは、「21世紀の初頭に不足してきて、21世紀の半ばに無くなる」ということであり、それをマスコミが間違えて報道し、その結果、事実と違う認識が社会に生まれたに過ぎない。
2) だから、「もう無くなる、もう無くなる」と繰り返し言っていた人はいない。
3) 現代科学の推定では石油は21世紀の半ばに枯渇する。

 石油の寿命に関してごく簡単に論理を展開すれば上記のようになる。でも現実は、もう少し複雑な様相を呈するだろう。原油の掘削量が減少すると、原油の価格が上がる。上がり始めると天然ガスや石炭などの石油代換エネルギーが注目を浴びて、価格は緩やかに上昇していく。

 エネルギー価格がかなり上昇すると、中国やその他の開発途上国の経済発展が抑制され、石油の消費量が一時的に減少する。さらに石油価格が上昇すると、オイルサンドなどさらに品質が悪いエネルギー源への切り替えが起こり、そこで綱引き状態になる。

 石油の供給がかなり減少してくると、石油でなければ化学構造的に難しい化学原料や輸送用燃料と、現在のC重油のような「熱源」として使われてきたものが分離して取り扱われるようになる。そして徐々に石油文化から多様化されたエネルギー源を使う世界に変わっていく。

 このように推定は現在の資源学、石油、エネルギー環境などを前提にしたものである。一方、学問は「今、正しいと思っていることを覆す」というのが役割である。従って、21世紀の半ばという推定年限は間違っている可能性がある。しかし、私たちは同時に現在の学問の範囲であまり複雑なことを考えず、まっすぐ将来を見る必要もある。だから、

 「石油は近いうちに必ず枯渇する」

おわり