― 科学技術計画の哲学 ―

 2005年12月31日、政府は2006年度の科学技術予算の考え方を発表した。それを報道は次のように報じた。

 「財政状況は厳しくとも、科学技術への投資は緩めない。内閣府の総合科学技術会議がまとめた「第3期科学技術基本計画」の原案は、そんな意気込みをにじませている。来年度から5年間で科学技術予算に25兆円を投じる。」
と言うのである。

 「資源小国の日本が国力を維持し、発展を続ける上で、「科学技術創造立国」は極めて重要だ。関係省庁は、貴重な投資が十分に生きるよう、施策を展開して行かなくてはならない。」
と続く。

 この考え方は間違いである。科学に携わる者にとって、科学技術を重要視してくれるのは大変ありがたいが、間違っている。事実認識と論理が破綻している。国の科学技術計画に対して、多くの研究者は「あれは偉い人と官僚が決めるのだから、関係ない。そして言っても仕方がない」と諦めるが、日本は民主主義である。国の科学技術基本計画に日本の科学者は発言するのが適当である。

 まず、事実認識から行きたい。
「資源小国の日本」というが、日本は資源小国ではない。日本は石油、石炭、鉄鉱石、非鉄金属元素などの地下資源に乏しいだけである。「資源」は地下資源だけではない。人間の生活にとって、最も重要な資源は、「太陽、水、空気、土、気温、自然」であって、化石資源ではない。

 日本は地球上では希な「温帯にある大きな島国」である。類似の国はニュージーランドぐらいしかない。温帯の島国は土さえ良ければ、太陽、水、空気、気温、自然のすべてに恵まれている。だから、まず日本は自ら、何が恵まれているかを理解し、それを活用する方法に力を注ぐのが良い。

 四季を楽しむことができる都市計画、風が通る住宅、美味しい水が飲める水道、動植物と一緒の環境・・・などである。私たちが今保有している技術、将来保有し得る技術で日本の自然を活用して楽しい生活ができなければ別であるが、日本はそのようなレベルにはない。まったく飛び抜けて優れた国家である。

 次に、「国力を維持し、発展を続ける」とある。
 これは論理が破綻している。科学技術は何のために存在するのだろうか?基礎的な学問で興味が中心のものもあるが、それ以外はある程度、社会との関係を持っている。たとえば工学は「自然の原理を応用して人類の福利に貢献する学問」であり、貢献できなければ工学ではない。

 日本は科学技術では現在、トップにあるが、それでいて、自殺率は先進国では第一位であり、日本人は将来に不安を持っている。次のグラフは国連が行った世界規模の大アンケートの結果だが、日本人の70%ちかくが将来に不安を持っていて、世界でも「不安感」はトップである。

 本来、社会の発展に尽くし、人々が安心して暮らせる社会を目指すべき科学技術が、単なる効率や物質的な発展を目指した結果、このような無惨な結末になっている。国民の3分の2以上が、将来は危険になると感じているのに、その路線を継続するのは間違っている。

 つまり、現在の日本社会は設計が間違っていて、科学技術が十分発達し、世界一、二を争うにも関わらず、人生、生活、心理、不安、環境などの領域で問題が解決していないのである。ただただ馬車馬のように働き、リストラし、競争し、疑心暗鬼になっている。そこに哲学なしに優れた科学技術を投入したら、自らを傷つける刃になるだけである。

 日本の科学技術計画には哲学がいる。その哲学はここで簡単に結論できるようなものではないが、少なくとも、大型の科学技術計画では「日本人はどういう社会を望んでいるか?この科学技術計画が成功したら、それを満たすことができるか?」ぐらいは示さなければならない。

 日本の科学技術の哲学については別の機会に譲ることにして、最後に「学問」と「産業の発展」の関係を簡単に整理しておく。

 産業は今をより良くしようとする。だから、「今」を正確に認識することが大切であり、近い将来を予測することができる。しかし常に将来は今、予想できる方向には進まない。だから、産業は将来を生み出すことはできない。

これに対して、学は新しいことを作り出していく。新しいことというのは今、無いことだから、学問というのは、自分が今、立脚しているところを捨てていくのがその仕事である。マックスウェーバーが「学は自ら時代遅れになることを望む」と言ったのはそういう意味である。だから、学問は、新しい時代を切り拓けるが、今必要なことはできない。

 このような原理があるので、産業は「自ら有望と判断する研究開発を実施することができる」のに対して、学問を行う大学は「有望と思われる研究は学とは無関係である」ということになる。従って、今回の科学技術計画に対して、
「関係省庁は、貴重な投資が十分に生きるよう、施策を展開して行かなくてはならない。」
としているのも間違っている。

 有望と思われる科学技術は民に任せておけば良い。そうでなくても血眼で有望なテーマを探すのが民間であり、国の計画は審査より数倍、正しく行われる。国が出すべきなのは「有望と思われない科学技術」である。それは民間もできないが、現在の概念が永久に続かないのは確かだから、有望と思われない技術に投資するのが税金である。

 だから、税金を無駄に使わない様にするためには、「成果を出さない」ことであり、「投資が十分に生きる」ようなテーマを国が進めるなら、法人税率を引き下げて開発投資を促した方がずっとましである。

おわり