― 人生の時間 ―
高等学校の頃には、何故あんなに時間が経つのが遅かったのだろう?試験の前などは特にそうだった。なかなか試験の日に近づかない。そんな時、試験が終わったらあれもしたい、これもしようと思って指折り数えたものだ。でも、いざ試験が終わるとそんな意欲もなくなってしまうのだが。
若い頃、早く年を取りたかった。生活も苦しかったし、家も狭かった。何から何まで余裕がなく、自分より年長の先輩がうらやましかったものだ。でも、そんな時にはかえって時間は遅くしか進まなかった。
それが40歳にもなると変わってきた。
「40代はつるべ落とし、50代は真っ逆さま」
とはよく言ったものだ。年をとると共に時間が経つのが速くなってくる。
年を取ると「アカ」がたまってくる。アカと言っては失礼で、「しがらみ」と言うべきだろう。たとえば中学校の時には小学校の同窓会しかない。高等学校の時には、それが中学校と小学校の2つになる。
そして40才にもなると、小学校、中学校、高等学校、大学、最初の職場、次の職場、草野球の仲間、飲み仲間と同窓会が増える。かつて1つだった同窓会が8つになる。どの同窓会も基本的には同じだから、8つの同窓会に出席すると、同窓会が1回の時に比べると時間が8分の1に縮むことになる。
年ごとに年賀状の数も増え、携帯に登録する電話番号も増える。考えてみれば友人は50人もいれば十分なのかも知れない。電話をする人だって100人もいれば私の人生には多すぎるぐらいだろう。でも少しずつ少しずつ情が重なり義理がたまり、年賀状は500枚。電話は1000人になった。それだけ住所録を作ったり、年賀状を書いたりする時間で人生は短くなる。50人が500人になれば人生の時間は10分の1だ。
年を取ると時間が短くなる理屈の一つである。
やることが増え、消していけないから時間が短くなるだけではない。時間というものは不思議なものである。追っかけると短く、待つと長い。暇だと遅く、忙しいと速く過ぎる。物理的な時間は時計が一定の速度で刻んでいくが、人生の時間の進み方は一様ではないのだ。
このグラフは東京―大阪間を列車で行く時の所要時間である。明治時代、もっとも速い急行列車で行っても13時間かかった。それが特急ツバメができて8時間になり、今では「のぞみ」で行けばわずか2時間半である。実に効率的になった。それだけ人生の時間が長くなったように見える。
13時間かかった当時、朝、早く家を出て東京駅に向かい、9時の列車に乗る。品川、横浜、二宮、国府津と東海道線を走る。駅に着くと駅弁売りが窓に集まり、走り出すと田んぼのあぜ道から子供が手を振っている。ときどきウトウトとしたり、本を読んだりしながら13時間の旅を終えて夜の10時に大阪に着き、北新地で宿をとる。
それが今では、2時間半になった。朝、家を出てあわただしく東京駅へ向かい、9時の「のぞみ」に乗る。時速300キロの旅は完全に密閉され、快適な空間からは外を見ても感慨はない。ただ繭のように眠り、11時半に新大阪に着く。梅田に出て食事をして13時に先方の事務所に駆けつける。
もちろんその日に帰らなければならない。疲れた体をまた新大阪まで運び、駅弁を買って「のぞみ」に乗り込む。午後11時、帰宅した時には体は綿のように疲れている。確かに一日で大阪に出張し、数時間の打ち合わせをすることができた。
13時間かかった当時、朝の9時から夜の10時までの旅の時間は自分の人生の時間だった。そして「のぞみ」で2時間半になった今、新幹線車中の時間は睡眠となり、すべての時間は自分の人生から控除されてしまうようになった。「時間泥棒」という小説を思い出す。
効率的というのは時間が奪われることであり、次から次にやることも時間を失うことである。「約束の時間、ギリギリに到着する」などはさらに時間を短くする。なぜなら、移動の間の時間は空白になるからである。
「狭い日本、そんなに急いでどこに行くの?」
「新年」
私たちはこの言葉に希望と余裕とそして人生を感じる。ゆっくりとおせち料理に箸をつけ、酒を口に運ぶ。今年こそ時間をゆっくり進ませるぞ!
おわり