― 南極の氷とウィスキーの蒸留 ―
少し前のこのシリーズ「人生の鱗と科学者の目」で、地球温暖化で北極の氷が溶けても海水面が上昇しないと書いた。それを聞くと、次にすぐ知りたくなるのは「じゃあ、南極の氷は?」ということになる。この時の心の動き、疑問に感じる方向は2つある。
1) これまでテレビとか新聞で、北極か南極の氷が溶けると海水面が上がると信じていた。北極の氷が関係ないなら南極の氷のことをテレビが言っていたのか、と思うこと。
2) 北極は浮いた氷だから海水面は変わらないが、南極は大陸の上の氷だから溶けた分だけ水が増えるのではないかと考える理論派。
結論は、一般的に知られていることと正反対で、
「南極が暖かくなると、氷が増えて海水面が下がる」
というのが正解である。北極の氷は海に浮いているので地球温暖化によって溶けても海水面は変わらないが、南極が温暖化すると海水面は「下がる」のが正解である。
広大な南極大陸に膨大な氷。これが溶ければ海水面も上がろうと思うところだが、かえって水は少なくなる。その理由を説明する。北極と違ってアルキメデスの原理のような簡単な説明はできないので、多少、まどろっこしいがしっかり説明したい。
謎を解く鍵は「蒸留」にある。
上の絵は100年ほど前、アイルランドでウィスキーの蒸留をしているところである。ウィスキーは「蒸留酒」だから、醸造したお酒を蒸留して作る。蒸留した直後はあまり風味がないので木樽で何年も寝かしておく。17年も寝たウィスキーはそれはそれは香りが良くて美味しい。
古いウィスキー蒸留の絵を見て欲しい。なにやら釜のようなものがあって、そこで作業員が火を炊いている。火をたいてモルトと呼ばれる原酒を温めて蒸発させ、それを冷やしてウィスキーを取り出すのである。つまり液体を一度、気体にし、再び凝縮させて液体にする。その時、温めないで何年も待っていていてもほんの少ししかアルコールを回収できないので、温めて回収を早めるのである。
つまり物質を一度、蒸発させて冷やして回収する時には温めた方が早い。温めると「蒸気圧」が高くなり、移動が早くなるからである。蒸気圧というと難しいが、39℃の風呂では緩くて「湯気」があまり立たないが、43℃にもなると「湯気」が盛んにでる。あの「湯気の濃さ」を「蒸気圧」という。
地球が温暖化して南極が暖かくなったとしよう。それはちょうど、モルトを火で温めたようなもので、海水が温かくなって南極の周辺の氷は溶け、蒸気圧が高くなる。蒸気圧が高いということは空気中の水分が多くなることであり、湿気が多い空気となる。
その水分が移動して南極大陸の中心部へ行く。温暖化といっても何10℃も暖かくなるわけではない。南極はもともと零下20℃とか50℃になるので、少しぐらい暖かくなっても零下であることには変わりはない。そこに湿気の多い空気が流れてきて氷になる。
つまり、地球が温暖化し南極大陸全体の温度が上がると、周辺の海水から湿気があがり、それが大陸の中心部で凍るので、氷が多くなるということである。物理学的な第一感は、
「南極が暖かくなると、氷が増えるから海水面が下がる」
である。現実には気象学を考え、気流の動きを慎重に考えて結論を得る。
ところで、北極の氷と海水面はほとんど問題にしなかった国際地球温暖化機構(IPCC)も、南極の気温と海水面の関係は良く研究し、
「地球が温暖化すると南極の氷が増えて、海水面が下がる」
と報告している。予測には幅があるが、平均すればIPCCの3回の報告書に、いずれも同じ結論が書かれている。
もちろん、といっては失礼だが、日本政府もマスコミも、正反対のことを言っている。日本の政府やマスコミ、そして有識者までもが「地球が温暖化すると南極の氷が少なくなって、海水面が上がる」と言っている。 そこで日本国民の多くは「地球温暖化によって南極の氷が溶けて海水面が上がる」と信じるのも当然かも知れない。
これだけ先入観が強いと、私が原理を説明しただけでは納得しないかも知れない。そこでIPCCが3回出している報告書に南極が温暖化したときの海水面の変化を表で示したい。プラスは上昇、マイナスは下降である。
1990年から2001年までの報告の平均をとると、北極の氷は関係がなく、南極はマイナス・・・つまり南極が暖かくなると海水面が下がるとしている。これほどはっきりした報告がされているのである。
北極の氷の問題を書いた時にも姉歯建築士に登場してもらった。日本社会はビルの設計の偽装が明るみに出ると毎日のように騒いだ。その理由は「自分が有利になるために、間違ったことを言うとはなんということだ!」という憤激である。
姉歯建築士の偽装の場合は人命に関わるが、たかが地球温暖化だという訳にもいかない。地球温暖化で直ちに人命が失われることはないとしても膨大な税金を使い、対策を練り、そしてそれが間違っていれば環境が決定的に破壊されるかも知れないのである。ビルの設計でも地球温暖化でも偽装は許されることではない。
おわり