― ヌプケウシ紀行 シルエトックのラウシ ―

 

 シルエトックの山々が初冬のさざ波の遙か彼方に並んで見える。初冠雪を終えた山々は神々しく静かに佇んでいる。私がカメラを向けると遙かシルエトックの峰々には光が届き、手前の海原に白い飛沫が飛ぶ。自然は私を感じてくれている。

 シュマトゥカリペツの岸に女たちが集まってくる。

すでに北国の夕暮れが迫り、あたり一面はすぐにやってくる漆黒の闇に閉ざされる準備に忙しい。シュマトゥカリペツからシルエトックの岩肌が厳しく迫ってくるが、なだらかで柔らかく、女たちが輪になって船を待つ小さな優しい川辺が用意されている。

 冬季の過半は流氷に閉ざされ、冬のオホーツクは荒れ、そうした厳しい海ではあったが、それは同時に女たちが婆から母、母から娘と綿々と命を続けていく源でもあった。

女たちはそんな海から帰る男たちの船が遠くに見えると一斉に歓声を上げてつないだ輪を小さくしたり、また大きくしたりしながらゆっくりと近づいてくる男たちを迎える。岸辺から女たちが輪を作っている中央へ文様の刺繍が施された敷物が敷かれ、女たちは足には脚絆、手には手甲、頭には頭巾を着けている。

イカルカル・・・太めの縄と細い刺繍で飾られたアイヌの女たちは皆、美しい。

 乗り組んだ男は7人。いずれも鋭い鏃を手に持ち、勇壮なオヒョウー漁の勇士たちである。頑丈な木材を組み合わせ、外側に樹皮を貼り付けたその見事な船が近づいてくると女たちが作る輪が忙しく縮み、そして開く。それに合わせるように女たちの頬には恥じらいと高ぶりで紅がさす。

 このようにして一日が終わり、夫婦は連れだってそれぞれの家に帰る。知床から網走にかけてその地を永住の地として生活をしていたアイヌの文化は豊かだった。それは今に残る僅かなこの民族の衣装や家屋、そして鏃や船によって知ることができる。

 今では極寒の地と言われるこの地方もかつては暖かく豊かだった。それは気温が高かったからではない。ここに住む人と自然が調和して暖かかったのである。いわばそれは体感気温の測定値であって、水銀の膨張係数の問題ではない。

 シュマトゥカリペツから知床に入るとそこは岩場となる。緩やかで穏やかな砂地はたちまち荒々しい岩となり、急峻な地形は海から知床に近づくことを許さない。そして“大地の行き止まり”、シルエトック、それは地名から言っても最果てに相違ない。暗いシルエトック、誰もいないシルエトック、そして寒風吹きすさび、生命の息吹の無いシルエトック、それが「大地の行き止まり」という語感である。

 サルウンペツ(斜里の川)とオンネ・ヌプリ(斜里岳)はシルエトック(知床、シレトク)の玄関口である。かつて湿地帯だったこの斜里の地には美しい花畑が広がる。そして斜里岳はその神秘的な姿で知床に入る人たちを守る。知床は中央に斜里岳、海別岳、遠音別岳、そして羅臼岳、硫黄山、知床岳と続き、知床岬に至る。早春の溶雪、初夏の新緑、そして秋の紅葉、すべてが穏やかで美しい。

 シルエトックの奥にラウシ(臓腑)がある。大地の行き止まりである、そして、動物の臓腑であふれた場所、それはさぞかしおどろおどろしく、それは厳しい自然を創造する。かつてのラウシにはそのような面影があったのだろうが、現在のラウシは明るく、美しい。そして雄大である。標高1660メートル、日本100名山の一つに上げられる羅臼岳と海岸に広がる羅臼町には陽光が降り注いでいる。カムイワッカ湯の滝には若い女が水着ではしゃぐ。

 シルエトックは秘境なのであろうか?秘境とはどういう意味だろうか?秘境とは誰もが足を踏み入れないところ、踏み入れることがないところであり、それは知床ではない。知床は実は秘境ではなく、明るい陽光の中で動物、美しい花、草木、そして人間が調和して生きてきた。

男たちが豊かな海の幸を持ち帰れば女たちが輪になって踊る。冬には凍土となる大地もハッカ、馬鈴薯、タマネギと収穫は豊富である。冬の荒れた海、ヒグマの襲撃もその自然の中でのことである。

 時代は変わった。だからこの自然を守るためには世界遺産の登録がいるのだろう。でも、シルエトックの自然はそこに住む人間の自然である。なぜ、この自然が遺産なのだろうか?

おわり