― ヌプケウシ紀行 オタエトウの夏 ―

 

「躁うつ病は精神病じゃないね、あれは・・・」
僻地医療ばかりを30年もやっているという、その国立尾岱沼僻地診療所の医師は青いジャンパーの襟を立てながら呟いた。

 名古屋で38℃を記録した真夏の日に、私は航路、女満別に飛び、そして数日後にこの別海町尾岱沼潮見町にやってきた。この地域の厳冬は、流氷が漂着する。真夏なのに、もう夕刻になるとまるでミルクのような白く冷たい霧がゆっくりと西へ進み、その白霧は野付半島を越え、僻地診療所の宿舎を包み込んで当幌川まで侵入していた。砂の岬が伸びるオタエトウの夏は寒い。白霧が海岸から流れてくると真夏でも15℃を切り、セーターの上に厚手のジャンパーを羽織る。

「普通に診るとここは精神病が多いんだけどね、それが変なんだ・・・不思議だね、ここは・・・躁うつ病も治るんだ。半年だね。」

 夕暮れの薄闇の中を女の白く細い指が細かく動いている。そしてその指と同じ乳白色の長方形の皿の上に北海シマエビが、その淡朱の体を横たえていく。どうしてあれほど女の肌は白く透き通っているのだろうか?漁師が暇を見てこの僻地診療所の医師に獲物を投げ込んでくる。それをこうして女の指が裁いているのだ。

「どうも躁うつ病というのは脳神経の伝達物質を使いすぎで消費に供給が追いつかないらしい。だから何も考えさせないで栄養を補給して半年も経つとすっかり直る。」

 そうか、私もその僻地の医師の言うことに思い当たる。躁うつ病とは躁状態と鬱状態の繰り返しと習った。それはとりもなおさず脳神経の伝達物質が多いときと少ないときという意味でもある。なぜ、躁になるかという原因は人によって違うだろう。あまりに強い集中力がある人はその時に脳神経の間に行き交う伝達物質を使い切るだろうし、もともと脳の活動がそれほど盛んではないのに心配事や集中して仕事をしなければならないような環境に陥って無理矢理、脳の伝達物質を多く使うこともある。

 そんなとき、栄養が十分にあって伝達物質の合成能力が高ければ良いが、人によってはそれもままならないことがある。そして鬱状態に移行する。この状態が続くと、本人も周りもこれは精神病と思いこんで栄養を補給したり、のんびりしたりしようとはしない。悪いことに鬱状態を克服しようと更に脳を使うと、伝達物質が不足してますます状態が悪くなるという具合だ。

「僻地医療というのも面白いね。ゆっくり患者さんを診察できるだろう?」
と私が聞くと、
「そういう意味もあるが、急患なんかもあるしね。その時には札幌にヘリで運ぶ」

 その僻地医療に一生を捧げた医師は、かつて外科と産婦人科を修得して僻地に向かった。何が彼を僻地医療に向かわせているのかは知らないが、彼の存在のおかげで多くの命が救われただろう。定年になった今も毎日朝の6時になると診療所に行って院長室で勉強をし、いったん宿舎に帰って朝食を採ると9時からの診察を行う。人間が僻地で生活をしている以上、そして人間は故障するのだから、僻地にも医師は必要である。

 次の料理が冷気の中で消えそうな炭の上に乗せられる。それにしても白い肌だ。透き通るような指・・・ 尾岱沼潮見町の小さな漁港に町営の温泉がある。この地方は断層の上に乗っていることもあって、温泉が多いが、そのほとんどがアルカリ泉である。真夏でも夕暮れには20℃を切るこの地方には温泉はありがたい。白霧に包まれて冷え切った体をそのアルカリ泉が暖めると、肌が溶けていくようである。

 アルカリ泉は皮膚を腐食させるから肌は溶け、つるつるになる。そして、そのアルカリは肌の内部に侵入して組織を破壊する。これが人間の作った化学薬品ならこれほどの症状が出たら、入院かも知れないが、自然と伝統に支えられた障害は障害ではない。

 このアルカリがあのような白く見事な肌を作るのだろう。でも、アルカリは肌を侵すだけだろうか?肌から体内にしみ込んだアルカリはやがて神経に到達するに相違ない。この地方に多いという僻地の医師の言う神経の病はどこからくるのか・・・この寒い一夜を一人で過ごすと思うと、なおさらのように湯と肌が恋しい。

 やがて外にいられないほど寒気は鋭くなり、私は中に入って寝床についた。ヌプケウシは不思議なところだ。鬱病はこの地方に独特ではない。むしろ都会の喧噪の中にこそ、発祥の原因があるはずだ。それにしてもあのアルカリ泉は・・・私は考えをまとめることができずにまどろんだ。

 オタエトウの夏はもう幻想の中に消えていきそうになっている。

おわり