―スマトラトラと持続性―
このトラはスマトラ島に住むスマトラトラというトラであるが、なぜ彼は寝そべっているのだろう?
このトラはスマトラ島で人間に捕獲され、日本の動物園にいるのだから狩りをする必要もなく、第一、運動しようにも檻が狭くて動き回ることはできない。おまけに見物人と称する人が四六時中、ジロジロ見ているのでそれだけで馬鹿らしくて動く気にもならない・・・おそらくトラはそう答えるだろう。
でもスマトラトラが寝そべっている理由はそんなに単純なものではない。もっと深遠な理由があるのである。
スマトラトラはインドネシアのスマトラ島に棲んでいて体重が150キロほどで体が小さい。絶滅寸前種(critically endangered)の一つだが、毛皮をきたトラとしてはもっとも暑い気候の所に棲んでいることや、大陸ではなく「島」で絶滅せずに生き長らえている唯一のトラでもある。
スマトラ島の面積は47万4000平方キロメートルで、日本全体より少し大きく、本州の22万8000平方キロメートルと比較すると2倍程度である。昔はそこに2万頭ほどのスマトラトラが棲んでいたと考えられているが、今ではトラの代わりに人間が住み始め、4000万人にもなったので、トラの方は絶滅寸前種になってしまった。
スマトラ島は四方を海で囲まれているのでそこで生きる動物の数は限られる。だから、人間が増えるとスマトラトラが減るという関係ははっきりしていて、
トラと人間を合計した数=(トラの数)+(人間の数/2000)
という式がおおよそ成り立ってきた。
“人間が増えるとトラが減る”という関係になるのは簡単な理由がある。動物は自分のエサを採るために「縄張り」を張るがスマトラトラの縄張りはオスとメス平均して2000ha(ヘクタール)程度と言われている。それに対して、人間の縄張りはほぼ平野に限定すると0.1ha程度である。だから単純計算すると人間が2万人増えるとトラが一匹いなくなるという計算になるが、人間は道路を敷いたり河川にダムを造ったりするので、実際には「生活の縄張り」だけではなく、その外側に「公共施設」があるので10倍程度の範囲を占有する。だから人間が2000人増えるとトラが一匹減る・・・そういう関係になるのが上の式なのである。
ところで人間以外の「高等な動物」は「縄張り」を持っていて住んでいる土地の面積を縄張りで割った数以上には増えないようになっている。スマトラトラの縄張りは2000haだが、このような広大な土地を占有するのはスマトラトラがイノシシやシカをとって食糧にするからに他ならない。自分の命を保つ食糧が育つ土地の大きさが必要なのである。イノシシやシカは主に植物を食べ、その植物は太陽の光をエネルギー源にして生きている。太陽の光の量は面積によって決まるので、結局、植物の量もイノシシやシカの数も、そしてスマトラトラの数も、もっぱら太陽の光によって決まるということになる。
「縄張り」があれば「持続性」が達成される。そして先祖の時代から決まっている縄張りの大きさは変えない。もしあるスマトラトラが「もっと裕福な生活をしたい」と思って、縄張りの面積を増やそうとするとお隣さんと喧嘩になる。仮に喧嘩に強いトラが隣のトラを駆逐して、スマトラ島のトラがすべてそれまでの倍の縄張りを持ったとしよう。そうすると半分のトラが裕福になり、半分は縄張りを失って死滅する。
単純な計算だが「2000haの縄張りで我慢すれば2万頭のスマトラトラが幸福に過ごせる」が、「所得を倍に使用とすると4000haの縄張りが必要なので1万頭しか棲めない」ということになる。これは命の数が大切か、それとも命の数は減っても一匹一匹の生活の豊かさが大切か、という選択の問題になり、進化の過程で「ある程度の縄張りで我慢する生物が生き残る」という原則が確立した。
近代化された社会に住む人間以外の人間、動物は「ある程度の生活ができれば、それで満足。それ以上の豊かさは望まない」という原則を貫いている。スマトラトラばかりではなく、サバンナで寝ころぶライオン、ロイヤル島でのんびりと過ごすオオカミ・・・その地域の生物の頂点に立つもののすべての戒律である。
これが、スマトラトラが寝そべっている理由である。縄張りを増やす必要もないのだから、特にあくせく働く必要もないのである。
スマトラトラに比べると、近代社会に住む人間は実にバカである。第一、自分たちの住んでいる土地にどの程度の太陽が降り注ぐかも知らない。だからそこでどの程度の食糧がとれるかも計算せず、ただ目の前にある食べ物をむさぼり食い、もしそれでも足りなかったら他人の土地に行って食べる。現代の日本人は食糧自給率が土地ベースで25%であるが、自分たちの土地で採れるものの3倍をよその土地から採ってきている。そして「世界には飢えている人がいるので救わなければならない」などという「慈善事業」に精を出して、また食べる。
でも私たち日本人のような行動しかできない動物もいる。たとえばスマトラトラの食糧となるシカだが、彼らはスマトラトラという「ご主人」がいるので、後先のことを考えなくても良い。ただ目の前にある木の芽や草を食べる。シカは目の前にある植物の生育など考えずに食べて、食べただけ繁殖するので、もしスマトラトラというご主人がいなければあまりに数が増えて植物をすべて食べ尽くし、そのうち餓死する。事実、そうなった例が知られている。
つまり、シカは自制できないからご主人がいる。ご主人がシカの数を調整して、ある程度食べられるので自分たちの数を一定にすることができ、従って、死に絶えることを防ぐことができる。著者はトラのように自分たちで自分のことを制限できる性質を持った動物を「第一階級動物」に分類し、自分たちでは自分たちの生活を制限できない動物を「第二階級動物」と分類しているが、人間は今までのところ第二階級動物である。
人間は万物の霊長などといっているが、それは人間が自分の行動を冷静に見ることもできず自分に甘い評価をしているにすぎない。人間は第二階級動物であり、特にアメリカ人はそうである。アメリカ人は食糧を与えればそれを食べ、肥満に苦しむ。
肥満率という指標があり、BMIといって体重を身長の二乗で割って求める。このBMIが30以上の場合、国際的に「肥満」と定義しているが、例えば身長160センチの人なら77キロ以上で肥満となる。そうかも知れない。身長が160センチで体重が77キロというとかなり重たい。
ドイツ、フランス、オランダなどの中部ヨーロッパ諸国、スウェーデン、デンマーク、ノルウェーなどの北部ヨーロッパ諸国など多くの国の「肥満の人の割合」は10%である。さすが日本人は自制することができるので3%であるが、アメリカ人は実に31%と日本人の10倍であり、しかもますますこの傾向が激しくなっている。
アメリカ人は完全な第二階級人種だから、自分で自制はできない。アメリカ人にはご主人が必要なのに、たまたま国が大きく、資源があり、行動が活発だったために、アメリカ人自身が主人になったところに現代の世界の行き詰まりがある。
人間はいつ自分たちの行動が第二階級動物のそれであることに気づき、第一階級の動物を動物園の檻の中に閉じこめるなら、自分たちこそ第一階級としての自制ができなければならないことに気がつくのだろうか?
おわり