―アイヌ文化の持続性―

 約2000年ほど前、アイヌの祖先が南方の島から日本列島を北に上り、北海道に定着した。なぜ北に移動したのか、なぜ津軽海峡は渡ったのに宗谷岬から先には行かなかったのかについては推測の域を出ない。おそらく、その当時は現在よりも気温が高かったと考えられるので北海道が一番住みやすかったのだろう。

 いずれにしても北海道に定着したアイヌはその地で独自の文化を発達させた。それは次のようにまとめることができる。
1) 狩猟だけで糧を得る
2) 定住する
3) 文字を持たない
4) 国家のような大きな集団を作らない
5) きわめて高度な論理的頭脳を有している

 ごく普通に見えるアイヌ文化の特徴はそれ全体で見ると実に不思議な文化である。彼らは犬などの家畜を飼っていたが、基本的には鶏、豚、牛などは飼育せず、もっぱら野生動物を狩猟することでその糧を得ていた。クマ、シカ、イノシシ、サケや川魚がその主なものであった。

 狩猟民族の多くは定住せずに移動する。なぜならば、野生動物はそれ自体が移動することもあり、またその年によって数が大きく変動するので、同じ場所で生活をするのは「飢える」という危険性が高いからである。そのため、食糧を得る方法が他種類にわたっている場合には「今年はサケの遡上が見られなかった。だから今年はサケの値段は高い。」ですむが、サケを主食として生きている部落にとってみればそれは全滅を意味する。

 文字を持たないことも特筆すべきことである。すべては宗教的儀式、しきたり、そして口述による伝承や歌によって生活の知恵を後世に伝えている。文字を持つか持たないかという比較では、文字を持つ方が「高級」と考えられているが、果してそうだろうか?文字を持たないので伝えるべきことを限定しなければならず、何が本質的に大切なのかということを常に考えなければならない。いったんその選択を間違えると民族は滅びる。その意味ではどちらが高級かは容易に決めることはできない。

 国家はどうだろうか?
文明が発達すると人の集団が大きくなり国家を持つようになる。旧約聖書にも書かれているように国家を持つことは同時に大きな矛盾を抱え込むことであり、隣のものは隣のもの、自分のものは自分のものという原則さえしっかりしていれば国家は害が多く益の少ないものである。

 アイヌは文字を持たないから歴史を辿ることは考古学的手法によらざるを得ないが、和人(日本人)の歴史などを参考にすると、西暦800年頃の坂上田村麻呂の時のアテルイ、1450年頃の武田信広のコシャマイン、そして1669年、松前藩とシャクシャインなどの戦いの中にわずかにアイヌの国が見える。でも何回かの戦いの歴史を調べてみてもアイヌが国家を持つことはそれほど良い結果をもたらしていない。

 狩猟、チセと呼ばれる小さな家屋に住む定住生活、文字のない文化、そして国家もない・・・そんな像を現在の私たちの価値基準で判断すると「原始的で下等な文化」と感じるだろう。でも彼らは和人より頭脳が発達していたので、論理的でしかも総合的な判断ができた。その一つの証拠を次に示したい。

 彼らはこう考えた。
「人間の数は得られる食料の量によって決まる。だからもし家畜を飼ったり農耕を始めればそれだけ多くの食料を得ることができるが、その結果は人の数を増やすだけである。人の数と人生の幸福とは別である。人の数が増えても幸福にはならない。かえって争いが多くなり、面倒になるだけである。だから北海道の大自然の中で自然が自分たちに与えてくれるものだけに限って生活をすると決めようではないか。」

 そしてさらに彼らの論理的頭脳は考える。
「もし自分たちの住んでいるところで食料がとれなくなったからといって他人のところに移動したらそこで争いが起こるだろう。そこはそこで別の人がいてそこの食料はそこの人のものだ。だから苦しくても一所に住んで何とか危機をしのぐように頭を使おう。狩猟だから移動しなければならないということはない、私たちは定住するべきなのだ。」

「人間の集団が醜悪になるのは文化が発達し、人間の数が多くなり、文字を持ち、貨幣経済を始めるからだ。人生にとって本当に大切なことは文字が無くても伝えることはできるし、お金が無くても取引をすることができる。もちろん国家はいらない。部落の中では人をまとめるのに酋長はいるが、王様のような大きな権力を持った人はいらない。もちろん貨幣は不要で物々交換の範囲でとどめておいた方がよい。」

 かくしてアイヌは2000年間、北海道で小さな部落を作り、その人口は確認できるだけで2万人、直接的証拠を集めて推定すると7万人、そしておそらくは20万人程度が日々の暮らしを送っていた。大きな戦争もなく、身分制度もなく、男は軍隊にとられることもなく、女は後宮に入れられることもなく、大規模な飢饉もなく、理想的な社会を作り上げてきた。

 彼らは本質的に勇敢であったが戦争のための武器も戦術も持たなかったので、時に和人と戦えばたちまちだまされて酋長が捕まって敗北した。でもその敗北は卑劣な手段でだまされたと言うだけでアイヌの名誉を傷つけるものではなかった。なぜなら、もともと戦争などつまらないものであるし、他人の土地を狙うこと自体が間違いなのだから。

 かくして彼らは豊かで幸福な社会を築き、2000年という長きにわたり生活をしてきた。それは完璧な「持続性社会」であり、心優しい、人間らしい人生であった。それはアイヌ文化の中心的存在である彼らの祈りの中にみることができる。少女は阿寒湖のマリモに託して神に祈った。冒頭の絵は阿寒にあるアイヌの記念館にあったものである。この絵一枚でなにが「持続性か?」という設問に対して見事に解答している。

アイヌの祈りは純粋で美しい。

おわり