―郵政民営化と民主主義―

 写真は小泉さんが自民党の首相になってしばらくした2001年の自民党本部を写したものである。支持率80%を超え、国民もマスコミも、そして自民党も小泉首相に熱狂した。それぞれの思惑は複雑だったかもしれないが、結論として小泉首相を日本の首相として認めたのである。そして彼の政策の中心は「郵政民営化」であり、それも公知の事実だった。

 2005年8月8日、午後2時。日本の参議院は衆議院で可決した郵政民営化法案を大差で否決した。小泉総理大臣は内閣不信任として郵政民営化を国民に問うために衆議院を解散し、総選挙になった。自民党衆議院の造反議員は40名程度といわれる。

 郵政民営化というのは簡単に言うと、郵便、貯金、保険などを「国」がやるか「民」がやった方が良いかという話である。

 日本では江戸時代、ヨーロッパでは中世では「お殿様」が庶民の生活を事細かに決めていた。そんな中で江戸時代になると商業などで手紙のやりとりが多くなり「飛脚」が発達した。だいたいはお役所の文書を運んでいて、継飛脚(幕府)、大名飛脚が中心だったが、民間の手紙を届ける町飛脚も江戸、京都、大坂などの大都市で幕府の許可を得て「飛脚屋」を営業していた。また江戸末期には江戸の中だけの「町飛脚」も「民営」でやっていた。この飛脚は担ぎ棒に鈴を付けていたので「チリンチリンの町飛脚」と言われている。

つまり江戸時代は郵政は民営だった。

 明治になると前島密が郵便の国有化を提案、明治4年に地方の名主の家を特定郵便局にして全国的な郵便網を作り、それに大都市の基地局と結んで全国規模の郵便制度を素早く作り上げた。このことは情報という力を利用して日本が近代国家として力をつけていくのに大きな貢献をした。今度の国会で議論された「特定郵便局」は実は「名主の家」である。

 かくして郵政は国有化され、特定郵便局が津々浦々にできた。

 ところで国民が貧乏で教育程度が低く、例えばほとんどが文盲などという状態の時には何から何まで国が世話をする必要がある。特に鉄道、学校、通信、病院などがその対象となり、日本では、運輸省、文部省、逓信省、厚生省などが活躍してきた。

 もともとヨーロッパでは19世紀の後半にあまりに自由な活動が許されて社会にひずみが起こり、労働組合も弱かったから資本家が労働者を搾取して悲惨な生活をする人が多かった。そこで社会主義という考え方が起こり、国家の主要な活動は国有にした方が良いとの考えもでてきた。

 つまり、国有化には2つの時期があって、1)国民の教育や生活が遅れている時、2)あまりにも自由な活動で多くの人が悲惨な生活になる状態の時、に望ましいとされる。反対に国民の生活レベルや教育程度が高くなり、市民の権利がしっかりしてくると国有化は後退する。

 その良い例が「アメリカには文部省がない」ということだろう。教育は国民が自らするのだから特に国が教育内容を決めてもらわなくても良い。特に戦争などになると国の教育ではどうしても軍事優先になるし、平時でも政府の言うことを子供に教えることになってあまり望ましくないからである。

 さらにアメリカを初め多くのヨーロッパ諸国でも鉄道や通信は民営だが、日本でも遅ればせながら国有鉄道がJRに、電電公社がNTTにと変わって確かにサービスも能率も良くなったと実感している人が多い。

 ヤマト運輸が宅配便をやろうとした時に、ものすごく意地悪をされた。今では宅急便がない生活など考えられないので、宅急便を始めたヤマト運輸の経営者は国民栄誉賞か勲一等をもらうべきだろうが、なぜ意地悪をされたのかというと「今までの自分たちの利権をどうしてくれるのだ!国民が便利になる?そんなこと何か関係があるのか!」ということだった。

 人間が心正しく、自分より他人を大切にする動物だったら良かったのだが・・・

 哲学と経済学が抜群だったマルクスが「私有財産を廃止すれば人々の間の敵意が消失する」とした共産主義を唱えると、精神分析学のフロイドは「人間の心はそれほど綺麗ではないから国有化は成功しない」と言った。人間は様々な欲と破壊衝動、そしてコンプレックスを持った複雑な動物なので単純な考えは通用しない。

それを証明するように、世界の共産主義を指示する人たちの期待を担って登場したソ連は、理想郷になるはずだった。ところが、スターリンの粛正(大規模虐殺)、官僚の横暴と賄賂・腐敗、共産党書記長の権力主義など人間の醜さを次々と露呈し、その経済活動が世界に遠くおいて行かれた結果、ソ連は80年の歴史的実験に失敗して滅びた。

 普段の私たちの生活も同じである。

 「まともそうな理屈」のほとんどは「本当は自分を守るためだけれど、それが他人にも良いように見せられるか」という面を持っている。郵政が「郵便を配達する」ということだけなら民営化はすんなりと決まっただろう。ところが「貯金」「保険」はお金が入る。そのお金は本当は預けた国民のものだが、扱っている人、特に力のある人にとってはそのお金は自分のもののように錯覚する。だから必死でその利権を守ろうとする。
 
 もし社会に進歩というものがあるなら、国有から民営化への流れは正しい流れだろうし、江戸時代の名主が明治になって特定郵便局長になったからといって、それを平成まで引きずるのも少し長すぎるかも知れない。

 もう一つ、まったく視点の違う話を付け加えたい。

 小泉首相ははっきりしている人物で、その政策の中心が郵政民営化であることは誰でもわかっている。その人を自民党の総裁にし、国会で首相に指名した。国民も一時は80%を超える支持をした。その人を首相にしておきながら郵政民営化に反対するというのは筋違いである。

 郵政民営化反対派が言っているように、国政は郵政だけではない。だからこそ、あれほどはっきりものを言っている小泉首相が長年、主張してるのだから、今更、「それは知らずに首相に指名した」と言ってはいけない。仮に郵政民営化に反対であってもトップとして選んだんだから、その人のもっとも中心となる政策は認めなければならない。

そうでなければ国民も国会議員も小泉首相の何を支持したのだろうか??

おわり