― ライシャワー事件 ―
新聞やテレビがなぜ事実を報道しないのかということについて、これまでこのシリーズでいろいろな角度から考えてきました。そして、大きな原因は、新聞やテレビが「庶民より偉く」、従って「正義を主張して、それを教えなければならない」と思っていることが判りました。
選挙の日には「国民の皆さん、選挙に行きましょう」と盛んに呼びかけるのもその一つです。その日に選挙があること、投票はどこでどのようにするかという事実より、「俺たちは偉いのだから呼びかけないと無知蒙昧の庶民は選挙に行かないだろう」という前提があるのです。
太平洋戦争の前、日本の多くの人は戦争することが正しいと思っていました。そこで新聞は「戦争は正義だ」と報道しました。その典型的な例が上海事変に端を発した日中戦争です。
日本軍が蒋介石率いる中国人と戦った上海事変の後、現地軍は戦争を拡大することに反対でしたが、国内の新聞報道にあおられて戦争を継続せざるを得なくなったのです。これまで「現地軍の暴走」とされていたのとは反対だったのです。
その結果、日本は戦争に巻き込まれ、太平洋戦争の終結までに300万人の命を失ったのです。
そして戦後、再びいろいろな局面で新聞やマスコミは事実を報道するよりも社会をリードするということに重きを置いていました。もし新聞記者がきわめて正しく報道し、また論説委員や編集委員も高潔な人格と卓越した見識を持っているならば、社会をリードすることができると思いますが、やはり、「事実を正確に報道する」方がより正しく社会をリードすることができるということが歴史的には判っていると思います。
その一つの例であるライシャワー事件というものを振り返って考えてみたいと思います。
少し年輩の人は、ライシャワーと聞くと、あのいかにも人格者だと感じられる顔を思い浮かべます。幼いころから日本で生活し、大変有名な駐日アメリカ大使でした。ライシャワー大使の肖像画はまだ版権が残っている可能性がありますので、失礼ながらライシャワー大使のご父母の写真を掲載させて貰いました。
ある時に、日本人が敬愛していたライシャワー大使が、事もあろうに日本人に襲われるという事件が起こりました。
今から約30年前の1964年3月24日。ちょうど昼時に東京都赤坂のアメリカ大使館の前でライシャワー大使が車を降りたところ、待ち伏せていた男が刃渡り16センチのナイフでライシャワー大使を刺したのです。
当時の新聞はこの事件を徹底的に取り上げました。その時の「新聞の正義」というのは翌日3月25日の朝日新聞の天声人語に良く現れています。
「・・・春になると精神病者とが変質者というのが増えるものだ。毎年毎年同じようなことを繰り返している。今度のライシャワー大使の殺傷事件も春先。精神病者だった。このような危険人物を社会に野放しにしておくということは大変に問題であって、犯人が精神病的であったからといって刑を軽くしたりしてはいけない。」
当時、この朝日新聞の論調は新聞やマスコミの代表的な論調でした。また刑法学者や厚生省もこれに同調したのです。マスコミの力というのはなかなか強く、朝日新聞が何か言うと社会の多くの人はそれに同調しました。
もしも「専門家」という人たちがもう少し強ければ、新聞やマスコミが間違った正義を主張しても、ある程度ブレーキがかかるのですが、日本では専門家はそれほど強くないのです。
刑法学者や専門家は、「このライシャワー事件はケネディ大統領の暗殺などとは違って、政治的な問題ではなく、精神病者の問題である、精神病の人を“野放し”にしていることが原因だ」と主張したのです。
さらに翌日の朝日新聞の社説では精神障害者の対策を進めようという社説を掲げました。
この社説で、「精神病者をまず早く発見し、それを隠さず、精神病の相談所に行くなり、医師のところに行くなりしなければいけない。精神病者を収容するベッド数は少なく、日本の病床数に占める精神病の比率は約11%である。これに対してアメリカは約50%、その他の先進国が30%であるのに比べて貧弱なものである」と誤報に基づく判断を示したのです。
次の図は先進国である、OECD諸国における精神病患者の平均的な病院在院日数を示しています。1番上の赤い線が日本で、下にゴチャゴチャしているのが先進国です。説明するまでもなく、日本の精神病患者は非常に長い期間病院で暮らし、他の先進国では社会の中で暮らしているということがわかります。
新聞を読む普通の人は、精神病の病棟がどうなっているかを良く知っているわけではありません。そこに、信頼できる朝日新聞が具体的に、アメリカが50%とか先進国が30%とか言うとそれを信じてしまうのです。
本来、新聞というのは「数字を正しく報道する」ということ自体が役割で、一般人は数字を自分の都合に合わせて作るとは考えてもみないのです。
しかし事実は全く違いました。
新聞で報道された「日本は精神病患者が社会の中に野放しになっており、ヨーロッパやアメリカなどの先進国は精神病患者が病院の中にいる」という報道自体が間違いだったのです。でも、社会はライシャワー大使が刺されたことで感情的になっていました。これを新聞はうまく使ったのです。
新聞が考える正義なら、多少の誤報があっても結果的に正しければそれで良いのでしょうか?
太平洋戦争、新聞が「戦争の正義」を説いたために約300万人が命を失いました。最近では、小さなことですが、マスコミがホリエモンを持ち上げ、それが一つの事件になりました。環境問題も誤報だらけです。
ところで、ライシャワー事件は大変な被害を精神病の人に与えました。精神病は特殊な病気に見えますが、我々が足を怪我したとか、お腹が痛いと同じように頭の神経の一部に欠陥が生じたものですから、本来は病人としていたわる必要があるのです。
昔から村の中には必ず精神病の人がいましたが、単純な仕事をさせてもらってその人なりの人生を送っていたのです。私の小さい頃にも精神的な病気の人が近くにいました。でも、その人がその界隈の危険の原因になるということは全くありませんでした。
ライシャワー事件に関する新聞報道は日本の地域社会の文化を根本から崩したのです。「精神病者を野放しにしてはいけない」という機運が高まり日本に急激に精神病棟ができたのです。
そして精神病棟では病気の治療が行われるというより単に閉じ込められたのです。精神病の人は何とか精神病棟から逃れたいと願いつつその人生を送ることになりました。
精神病を煩っていない人は「社会に精神病の人の割合が少ないのだからそのくらい良いじゃないか」と思うのです。それはちょうど、車いすの人の割合は少ないのだから段差のある社会でもかまわないではないかというのと同じです。
でも、日本社会は元気に働ける人がさらに能率を上げる必要が無いほど繁栄しています。ですから、病気の人、精神病の人、身体が壮健ではない人、また経済的に苦しい人をいたわりながら、一緒に生活をしていけるだけの力があります。
しかし、マスコミはそれを許しません。あくまでも「親方日の丸」「強い者の見方」「弱者切り捨て」なのです。そしてその陰で多くの精神病を患った人が寂しく病棟の中で人生を送ったことを私たちは知らなければなりません。
つづく