重たいテーマを少し軽く、経験などを交えて考えてみたいと思って始めたのですが、3回目になりました。
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 地球温暖化と極地の氷の関係と類似した例が、ダイオキシンの毒性です。このホームページにもかなり詳細に書きましたので事実関係は書きませんが、毒性の弱いダイオキシンがなぜ、「猛毒」として報道されたのか、もう少し、国際的な動きも加えて、深く考えてみたいと思います。

 ダイオキシンの誤報(猛毒と間違って報道したこと)のスタートは水俣病にあります。

 水俣病は水銀が原因で起こりました。でも、最初の患者さんが出た時、お医者さんが「日本脳炎」とご診断になったことでわかるように水銀中毒という病気はほとんど知られていなかったのです。

 その後、国、県、大学、そして当事者だった日本窒素(チッソ)が総力を挙げて研究をして6年後、やっと「どうやら水銀が工場の中で反応し、有機水銀に変わり、廃水に流れた。それを食べた魚を食べた人が発病した」という事実がわかったのです。

 この事件は決着が着くまで、しばらく争いがありました。その間も水銀は水俣湾に流れ、被害を拡大していきました。それは「会社が廃水を垂れ流した」ということで一貫して報道されましたが、事実は被害を受けた漁民は市民の内の3%にしか過ぎなかったこと、市議会議員などの利益代表も出していなかったことから、「弱い者は我慢しろ」ということもあったのです。

 でも、水俣病の誤報の影響は拡大しました。一つは、
「事件が起こると起こした企業を叩く」
という習慣が定着したこと、第二に、これは前向きだったのですが、
「予防原則の重要性が認識された」
ということでした。

 まず第一番目のことですが、水俣病の事実は、
「チッソも当事者としての責任があるが、害がないと思ってやったことは確かである。むしろ、この事件の教訓は、『どんなに古くから使われているものでも、大量に使うと危ない』ということだ。」
ということでした。

 もし、社会やマスコミがチッソをあれほどまでに袋だたきにせず、冷静に「なぜ、チッソは国からも認められてあんな工場を運転していたのだろう?」ぐらい考えれば、その後、次々と続いた公害の被害者の一部は救われたでしょう。

 ・・・カネミ油症事件のPCB、ミドリ十字のエイズ、・・・ずっと続いて最近では、アスベストによる肺の疾患まで・・・

 水銀は太古の昔から使われていた「天然品」です。でも、使い方によっては猛毒に変わります。そして我々の現在の科学ではそれを予想できないのです。だから、天然品でも人工的なものでも大量に使うと危ないという事なのです。事実、水俣病の水銀、ミドリ十字のエイズ、そしてアスベスト、いずれも天然品であり、「自然のもの」なのです。

 自然のものは体に優しい、化学物質は危ないという新聞のキャンペーンはある意味で「殺人報道」とも言える誤報だったのです。できるだけこの間違った報道を早く止めて欲しいと私は記者にお願いしたいと思います。

 第二は「予防原則」でした。何かが危ないと思われた時、法律的には具体的な被害が出て、その因果関係が証明されないと、規制が出来ません。このことは「今後も犠牲者が出る」という仕組みですから、良いシステムと言えないことは確かです。

 そこで多くの公害の犠牲のもとに1992年、リオデジャネイロの国際会議でついに「予防原則」が決まったのです。大変な進歩でした。そしてその内容は、
「たとえ、科学的に有害だと証明されていなくても、危ないものは予防的に規制できる」
というものでした。素晴らしい!

 これまでは犠牲者が出て、長い闘争の後にやっと補償される。補償されてもその人の人生は二度と再び帰っては来ない、ということでしたから、このリオデジャネイロ宣言は素晴らしかったのです。
 
 でも、ここでも誤報が続きました。マスコミの記者さんは「科学的根拠が無くても」ということを読まなかったようです。そして予防原則で規制されていく物質・・・その一つがダイオキシンだったのですが・・・が本当に猛毒を持つものとして報道したのです。
 
 わたしはその過程をつぶさに「横にいて」見守る立場にありましたが、事態は水俣病の時と同じように進み、新聞もテレビも「事実」を取材するという努力をまったくしませんでした。あれほど猛毒と言われ、焼却炉で大量に使われ、たき火すら禁止されるというのに患者さんが一人もいない・・・そんな、摩訶不思議なことすら報道されなかったのです。

 実は「所沢ホウレンソウ事件」があった時代、1999年ですが、当時すでに、「ダイオキシンはそれほど毒性が強くないのではないか?」との結果は出ていたのですが、だれも恐ろしくてそれを言い出すことが出来なかったのです。

 「猛毒ではない」ということを言うのが「恐ろしい」という状態でした。それはまさに「戦争反対」というと「袋だたきにされる」という戦前の状態と同じだったのです。そして、戦前もダイオキシンの時も、マスコミは権力側、袋だたき側にいました。

 なるほど!
私はその時、「新聞はなぜ、事実を報道できないのか?」ということの解答の入り口に立つことができたのです。

つづく