重たいテーマを少し軽く、経験などを交えて考えてみたいと思って書き始めたのですが、どうも少し長くなりそうな気がします。その(1)を書いた後、助手の先生や学生と話をしてみました。みんな関心があり、みんないろいろな考え方であったように思います。
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 戦争報道、原子力報道で新聞が事実を報道しないことに疑問を感じていた私でしたが、そのうち、環境問題に関係するようになって再び、その疑問が強く頭をもたげてきたのです。 

 最初の衝撃は「ゴミゼロ報道」でした。ある朝、ニュースを見ていると「沼津の工場がゴミゼロを達成した」と報道していました。その工場は、報道の前にはゴミを出していたのですが、それがゼロになったからと報道されても、ゴミが無くなった訳ではありませんでした。

 今までゴミと言って出していた物を少し減らし、ゴミと同じものを「リサイクル品」という名前で業者に引き取らせるシステムにしただけでした。また、その工場の中には従業員食堂がありましたが、そこで出る残飯は従業員が家庭に持ち帰って生ゴミとして捨てていました。

 つまりその企業は「ゴミゼロ」といって環境に優しい素振りを見せ、人気を取ろうとしていたのです。おそらくゴミをリサイクル品として引き取ってもらうお金が少しかかっても、製品が売れればもっと儲かるからでしょう。

 私は報道局に電話をして「なぜ、事実と違う報道をしたのか?」と聞きました。報道局はこの放送について調査をされ、「十分な取材をしていなかった。今後はしっかり取材をしたい」とお答えになりました。

 その時、私は少し判ってきたような気がしました。電話に出てきた報道局次長は事実を報道する気持ちがあるのですが、取材はおろそかで、内容は誤報でした。

 この話はこれだけでは済まず、後日談がありました。偶然にもこの会社の人が大学に来られて講演をされたのです。それがまた環境の講演でしたから、それを聞いていた私の研究室の学生が若い正義感でいたたまれなくなったのでしょう。突然、手を挙げて質問したのです。

 「ゴミゼロでもないのに、そんなことを言うのが環境を守ることですか!」

 最近、おとなしくなったと言われる学生ですが、胸の中にはやはり若者の熱い思いがあるのです。この質問は講演の内容とは直接は関係ありませんでしたので100人ばかりおられた聴衆の方は、なぜ学生がそんな突拍子もない質問をしたのか理解はできなかったようです。

 ゴミゼロ報道に前後して、環境問題ではダイオキシン、地球温暖化と報道内容はますます事実から離れていきました。「環境を守れ」という社会の大合唱の中で新聞は取材する意欲を失い、環境ならどういう報道でも許されることになったのかな?と思ったほどでした。

 社会の動きと新聞、そして新聞と社会の方向は、「糾える縄のごとし」(あざなえるなわのごとし)ですから、社会が環境を守れと言い、新聞がそれに応じていると、社会はさらに加熱していくという状態を体験することが出来たのです。

 社会の動きは次第に学者や学会にも及ぶようになります。

 私は一つの試みをしました。それは「地球温暖化のうち、明確にマスコミが誤報したものを取り上げ、それを論文として投稿する」というものです。そして投稿する学会は日本でも権威が高く、論文審査が厳しい日本金属学会を選びました。

 日本金属学会は有名な本多光太郎博士などが中心に活躍した学会で、日本が世界に誇る金属の学問を扱う学会です。伝統もあり、学会のレベルも高く、かつ論文もしっかりしています。

 そこに「地球温暖化による海面水位に関する技術リテラシー」という題名の論文を投稿しました。内容は、
1) 科学的には「温暖化によって北極と南極の氷が溶けて海水面が下がるか、変わらない」とされているのに、
2) 日本の新聞では20年間にわたり「海水面が上がる」と報道されていること、
3) 日本の一般市民も「海水面が上がる」と受け取っていること。
というものでした。

 私はこの調査を、名古屋大学の学生と一緒にゼミで半年間行い、その後、半年ほどかけて研究生と調べて、間違いないことを確認して論文を出しました。それでも私は学生に、
「おそらく、この論文は通らないだろう。学会も社会の中にいるから「常識」を優先するかも知れない」
と言いました。

 ところが、あに図(はか)らんや、学会はこの論文を「事実と論理」に絞って審査をし、査読(論文審査)を通過して、掲載されたのです。(日本金属学会誌、Vol.70, No.5, p.420-425 (2006))

 私はビックリするやら嬉しいやら複雑な気持ちでした。日本金属学会のような立派な学会だけのことかも知れませんが、学会は社会の常識がどうであれ、事実は事実、論理は論理ということで、学問の自由は守られていたのです。

 これが新聞はもちろん、科学技術総合会議や日本学術会議では、すんなりは行かなかったでしょう。
「京都議定書の約束を守るのに政府が懸命になっている時に、それに水を差すような議論をわざわざしなくても良いじゃないか」
ということを言われると思うからです。

 日本国としては京都議定書の約束を守ることは大切かも知れません。新聞もテレビもそう考えているように見えます。でも、民主主義では国民が事実を知ることは大切でもあり、政府にとって都合が悪いことを隠すとどういう事になるかについても、我々は歴史的によく学んでいるはずなのです。

 でも、
「温暖化して、北極と南極の氷が溶けることが原因して海水面が上がることはない」
というような、報道と真正面から違う論文が通ることはそれでも嬉しいことです。

 ちなみに、我々の研究室の調査では、新聞はここ20年間、平均して3日に一度、地球温暖化について報道していますが、極地の氷の溶解と海水面については「上がる」という記事ばかりで、下がるというのは皆無でした。

 なぜ、新聞は事実を報道できないのでしょうか?

つづく