なぜ、新聞は事実を報道しないのか?・・・これは長年の私の疑問でした。物心ついて歴史に興味を持ち始めてから、太平洋戦争前の新聞報道に若い私の心は強い疑問を持ちました。新聞を非難しようというのではなく、私の人生にとって新聞は大切なものなのに、その大切なものがいま一つ信用できなかったのです。
この重たいテーマを、「惚れてしまえば痘痕(あばた)も笑窪」と解いてどうなるか、私の経験も含めて少し気軽に考えてみたいと思います。
高校生の頃、わたしは「若い男」の常として「戦争」に一種のあこがれを持っていました。私の体の中にあるDNAが「破壊願望」を持っていたからでしょう。ともかく、坂井三郎戦記はもちろん、当時から、戦争の記録を出していた「丸」という雑誌をいつも読んでいました。
そのうち、日本が経験した戦争に詳しくなり、ミッドウェー海戦という文字に接するとそれだけでイヤな気持ちがするようになったのです。一言で言えば、「戦争好き・愛国心あり」という青年だったのです。
それでも安保闘争の最中でしたから、同時に私の考え方はかなり「左寄り」でした。つまり、私の体の中に戦争を賛美する気持ちと、平和主義が混在していたのです。戦争物が好きで、左翼、そして文学を読みふけるというバランスのとれていない青春時代でした。
そうこうしている内に、戦闘の事実、そこに書かれている将校や兵士の日記、従軍記者の記事に詳しくなるにつれ、私は「大本営発表」をそのまま報道した新聞に疑問を持ったのです。
「軍とか政府が戦果を大げさに発表するのは仕方がないとしても、新聞までがなぜ、事実と違う報道をするのだろうか?」と思いました。軍の圧力といっても、事実と違うことを知っているのだから報道してはいけないのではないか?
兵士も戦場で血を流しているのだから、新聞も潰れるからといって妥協してはいけないのではないか?と私は疑問に思っていたのです。当時、軍の圧力で言論は圧迫されていたと言われますが、5000円札に肖像が載って名誉を回復した、あの新渡戸稲造は戦争前、一人で軍部の独走に反対しています。
新渡戸稲造が一人の力で反対できたのですから、大新聞にできないはずはありません。しかし、事実は「軍を批判した」ということで新渡戸稲造を批判したのは新聞だったのです。
なぜ、新聞は真実を報道できないのか?
この疑問はその後、学校を卒業しても持ち越され、しばらくは若き技術者として毎日、技術の事ばかりしていましたが、ある機会があって、原子力の仕事に携わるようになりました。
日本人は原子力嫌いですから、この先も日本人がエネルギーとして原子力を選択するかどうかは判りませんが、私は若き科学者として原子力が日本には必要であると信じていました。割合、動機は単純で、石油が無い日本では原子力がないと寒い地方は飢え死ぬと心配していたからです。
ところがマスコミは総じて「原子力反対」でした。もちろん、自分の職業が原子力でも、社会がそれにノーと言うことはあるわけで、それは別に気になりませんでした。
「技術者、自らが原子力に反対すべき」と言われますが、それはなかなか難しいところがあります。科学は将来を決めるものですから、日本の将来にとって原子力が必要かどうか、それを技術者が決めたら、それで終わりとなりますから、そこは少し考えなければなりません。
ある原子力施設に所長として赴任した時のことです。朝日新聞の記者が来られて、新任のインタビューをされ、「ところで、所長さん、この施設は絶対に安全ですか?」とお聞きになりました。
当時の原子力関係の取材には必ず聞かれた質問で、これは当時の社会情勢にもとづく「トリック質問」でした。
もし施設の責任者が「絶対、安全です」と答えるとします。優等生の回答ですからその時はそれで良いのですが、そのうち、原子力の施設で誰かが転んで怪我をしたというような小さな事故が起こりますと、「絶対安全と言ったのにウソをついた」と報道し、その所長はクビです。
そうかといって、「絶対、安全とは言えません」と答えると、翌日の新聞に「今度の施設は、安全ではない。責任者自身が発言」と書かれ、そのまま解任です。
私はこういうのを「ヤクザの論理」と言っていますが、新聞が現実に、そのような報道をするかは別にして、原子力関係者はこの論理に困っていたのは事実でした。
そこで私はこのトリックにはまらないように、注意しながら次のように答えました。
「私は安全と思って全力を尽くしていますが、社会が私の判断に納得するかどうかは社会が決めることです。私は、事実をお話しますから、記者さんは読者が判断できるように頑張ってください。私はそれが新聞の役割であると思います。」
翌日、朝日新聞は「この人」というコラムに「この所長は冷静」という調子で記事を書いてくれたので、私はトリック質問で苦しむことなく、その後の研究に注力することができました。記者に感謝。
少し脱線しましたが、当時、朝日新聞は「原子力は悪い。社会のためにならない。」という会社の方針があったように思います。朝日新聞が正面から「原子力を推進するべきではない」と表明していたのか、それとも原子力の報道の姿勢として批判的であったかは、私のような読者には明確にはわかりませんが、ともかく「朝日新聞は原子力にかなり辛い」という印象を持っていました。
原子力にも良いことと悪いことがあり、それを普通に、事実を報道するのではなく、ともかく悪いことがないか、それだけに注目しているという印象を受けていたのです。
ですから、私たちは、チョットした問題も起こさないようにずいぶん、気を張ってやったものです。この経験を通じて、私は再び「なぜ、新聞は、事実を書きたくないのか?」と再び、疑問に思ったのです。
しかし、この時も、その疑問は解消しませんでした。当事者でもあったので「どうせ、新聞は本当のことを書いてくれない。とにかく、原子力が嫌いなのだ」と感じるだけで、なぜ、そうなのか、なぜ、朝日新聞は原子力をあれほど毛嫌いするのか、なぜあれほど感情的な見出しが付くのか、疑問のまま残りました。
つづく