(学問と科学の意義を問う)
征服されるアジア・・その前哨戦としてのアヘン戦争
征服されるアジア・・その前哨戦としてのアヘン戦争
1838年の春、アヘンの密貿易に手を焼いた清(現在の中国)の道光帝は全国から有能な人材を登用した。その一人に後の宰相・林則徐がいたが、彼は皇帝の信頼を受けてアヘンの禁止に乗り出した。
相手となったのはイギリスを中心とするヨーロッパのアヘン船の商人である。林則徐の強力なアヘンの取り締まりは当然、アヘンで利権を得ていた人々との間に様々なトラブルを呼び、遂にアヘン擁護側のイギリス艦隊の出撃へと発展する。
(林則徐)
歴史は繰り返すと言うが「利権」は常に人間にとって魅力的であり、かつ醜いものである。今日の日本でも利権は様々なところに存在し、社会を暗くし不平等を増幅している。特に私の研究分野の「環境」などは正義の衣を着た利権が幅を効かせている社会である。
それはともかく、当時のイギリス政府は、アヘン貿易を守るという大義名分の立たない戦争に乗り気ではなかったが、それでも結局、イギリス商人の利害を守るために艦隊の派遣を決定した。
その出陣決定の直前、イギリス下院では青年代議士グラッドストーンが政府に対する批判演説を行っている。
「清国にはアヘン貿易を止めさせる権利がある。それなのに、なぜこの正当な清国の権利を踏みにじって、我が国の外務大臣はこの不正な貿易を援助したのか。これほど不正な、わが国の恥さらしになるような戦争はかつて聞いたこともない。
大英帝国の国旗は、かつては正義の味方、圧制の敵、民族の権利、公明正大な商業の為に戦ってきた。それなのに、今やあの醜悪なアヘン貿易を保護するために掲げられるのだ。国旗の名誉は汚された。
もはや我々は大英帝国の国旗が扁翻と翻っているのをみても、血湧き肉踊るような感激を覚えないだろう。」
蒸気機関と鐵の生産力で有頂天になっていた当時のイギリスにも、グラッドストーンの様な正義の人もいたが、結局、イギリスは政府の決定通り遠征軍を極東に送った。
(アヘン戦争におけるイギリス軍ネメシス号(東洋文庫蔵))
戦争は約2年に及んだが、最後の決戦は1842年、4月から5月の作浦と鎮江で行われた。作浦の戦いでは、イギリス軍の戦死9名に対して、清軍は女子供を含み、イギリス軍の埋葬者だけで1000名を数えたと記録されている。
イギリス軍は好んで女性、子供を殺戮したわけではなかったが、圧倒的な火力を持つイギリス軍と貧弱な清軍との戦いである。もはや戦いと言えるものではなく、事実多くの女性や子供が殺された。また、鎮江ではイギリス軍の戦死者37に対して、1600人の清軍が死亡した。まさに圧倒的な火力を使っての中国人の虐殺と言えるものである。
8月には清は降伏し、香港の割譲、戦費など2100万ドルの賠償を支払うことになった。「勝てば官軍」の時代である。アヘン戦争のきっかけや、その大義名分がどうであれ、勝った方が正しい。だから、イギリスは香港を手に入れ、賠償金までもらった。
他国にアヘンの貿易を迫り、アヘンの密輸を認めないと言って戦争を仕掛け、圧倒的な力で虐殺し、その上さらに、国土の一部を取り上げて金まで取るのだから、まさに世にも醜悪な江寧条約(南京条約)である。しかし、さすがに戦争のきっかけとなったアヘンについては、この条約に何も触れられていない。
このとき割譲された香港は1998年にイギリスから中国への返還の時を迎えた。テレビで伝えられた香港での返還の儀式は、何か我々にも華やかなものが感じられ、返還の式典にイギリス元首相が列席して愛嬌を振りまいていた。
でも、式典に参加した中国人はどう感じていたのであろうか。香港返還の式典こそ、ヨーロッパ列強が今から150年前、世界を力で支配した醜い歴史の証拠であり、イギリスの国旗の下で行われた恥を晒すことになるのである。
それはともかく、この理不尽なヨーロッパの行為は隣国日本に衝撃を与えずには居られなかった。当時、長崎でこのアヘン戦争についての詳報に接した吉田松陰は驚愕した。平戸滞在中に松蔭が読んだとされる書物に「阿芙蓉彙聞」7冊があり、松蔭が必読書として挙げているものにも「阿片始末」がある。松蔭は読んだ書の一文字一文字が心に刺さり、それが松蔭の口を通して弟子達に語られ、やがて日本を植民地化から救うことになる。
18世紀から19世紀にかけてヨーロッパでは、蒸気機関を中心とする産業革命が飛躍的に生産量を増大させ、また多くの芸術,文学,哲学が誕生し、「科学」と「文化」の花が開いた。そして、その科学力はやがて軍事力となり、軍艦や鉄砲となって他の地域の諸国民を圧迫していったのである。
どんなキッカケでも良い。それがイラク戦争のように「もしかすると大量殺戮兵器を持っているという可能性がある」という「可能性」でもよい。ともかく戦争の理由があれば戦争を仕掛ける。暴力で勝つ見込みがあればそれで良いのである。そして戦争がはじまり、強い方が弱い方の国を占領する。そこに大量殺戮兵器がなくても、諸国民は勝った方を支持する。勝った方が負けた方に賠償金(ブッシュ大統領の「お前はけしからんことをしたのだから、罰を受けるのは当然だ」という論理)を取る。
これまであれほど平和が大切だと言ってきた日本人、第二次世界大戦ではアメリカのルーズベルト大統領が「黄色いサル」と侮蔑した日本人、その日本人が、アジアの国であるイラクが不当に攻められるのを支持している。これはアヘン戦争となんら変わりないだろう。
イギリスと中国との違いは科学と学問の差であった。イギリスはすでに産業革命を経て鐵を作り蒸気機関を持ち、大砲を有していた。それに対して清国はまだ封建社会の中にあり、科学は発達していない。だからイギリスが勝った。人格で勝ったのではない。
それでも人間は暴力を支持する。そしてこのアヘン戦争に代表される植民地戦争は、200年にわたってアジア人やアフリカ人を苦しめ、また現在でもそれは続いている。
学問は何のためにあるのだろうか?本来、学問は人間の知の活動とされ、やや神聖な領域にある。でも現実に学問が働いたものの多くは他人を圧迫する道具であった。学問は尊敬の対象となるべきものではない。