科学と非科学

―環境問題を題材にして―

はじめに

 私たち技術者は科学にもとづいて業務をしていると信じている。科学者はもちろんそうである。でも実際はそれほど簡単ではないようだ。そして技術者が科学から離れて、非科学の罠にはまったら、成功はおぼつかない。もちろん、経営も同じであり、しかも中小企業ほど非科学を許さない。
本稿は環境問題を題材にして、21世紀の初頭における日本社会がいかに科学の存在を許さないかを整理し、今後の業務を進める上で少しでも参考になればという希望のもとで執筆されたものである。

1.  ダイオキシンの毒性

1.1.  ダイオキシンは毒性が低い

   

1.2.  ダイオキシンは焼却で発生したのではない

図 1 焼却炉の本格的な対策は1995年以後だがダイオキシン類の曝露量は1970年代から減っている。農薬の使用が一時的にダイオキシン類を増加させた。昔からダイオキシン類は現在のレベルにある。

1.3.  ダイオキシンは蓄積性がない

   
図 2 ダイオキシンは蓄積性があるとされているが、スウェーデンの魚介類にも日本人の母乳の中にもダイオキシンは蓄積していない

 考えてみればおかしな事である。人類が縦穴住宅に住んでいる時には煙がもうもうとしている中で住んでいた。ついこの前までたき火は環境に良い行為だった。そして現在でも税金の入る煙草は禁止されていない。歴然としたデータが否定され、先入観が形作られる。その中での技術や経営は、短期的な収益や新技術を生むと言っても、非科学的認識のもとで長期的に正常に進むだろうか?

2.  地球温暖化は二酸化炭素が原因ではない

2.1.  地球温暖化は太陽活動である

   
図 3 「傾向が一致する」というのは「因果関係」とは別である。左の図は地球温暖化が二酸化炭素と関係あるという整理であり、右の図は太陽活動との関係を示している。私の年齢で整理しても同じ。より正しくは「判らない」ということだろう。

2.2.  地球は寒冷化に向かっている

   
図 4 地球は温暖化から寒冷化に向かっている。氷期の方が私はイヤだ・・・つまり「温暖化の被害」は特定の国の特定の人たちの利害を損なうという面がある。日本の情報だけを聴いているとCOP8での「二酸化炭素の対策より地球温暖化の対策を急げ」という各国の主張は理解できない。

2.3.  新しい現象を考えないと500ppm程度の二酸化炭素で地球が破滅することはない

   
図 5 地質学的尺度における二酸化炭素濃度の推移(左:大昔、右:昔。現在の二酸化炭素濃度は高い方ではない)

2.4.  森林は二酸化炭素を吸収しない

   
図 6 自然は二酸化炭素のバランスがとれている。そして、現在の問題は人間の活動が自然の数倍になったから二酸化炭素の濃度が上がってきたというのであり、それを自然に頼ることは論理的に無理である。また、現在の日本の計画は日本の山を全て杉にするというもので、紅葉ともお別れ。

2.5.  燃料電池自動車は二酸化炭素の排出が多い

図 7 燃料電池は二酸化炭素がでないという非科学的なことが大新聞にのる。しかし、言論の自由がないから、新聞には文句が付けられない。

3.  資源の科学と非科学

3.1.  資源は無限にある?

表 1 資源寿命の推移(資源は無限にある??)

3.2.  持続性資源としての森林は無駄に捨てられている?

   
図 8 紙の消費と世界の森林減少は無関係であり、計画的森林は枯れていく。特に、日本の森林は世話する人がいないので荒れている。それでも日本人は「森林を大切にする」ために紙のリサイクルをする。

4.  地球に優しいということの非科学性

4.1.  地球はもともと砂漠と氷河である

   
図 9 新生代の地球はほとんどが砂漠と氷河に覆われていた。地球に優しいとは森林がすくないことである。

   
図 10 生物にとってどちらが砂漠か?

5.  リサイクル

5.1.  循環型社会は成立しない

図 11 2000年近傍の日本の物流

5.2.  廃棄物貯蔵所は十分ある

   
図 12 日本の20億トンの資源から発生するゴミを綺麗に処理することは容易であり(左の図)、居住面積の1000分の1のゴミ箱を作れば100年分以上のゴミを人工鉱山として蓄積できる。

5.3.  両価性としてのリサイクルと環境

(言動の不一致はどこにその原因があるか?)

6.  環境の現状認識

6.1.  大気や水は綺麗になっている

   
図 13 日本の大気中の二酸化炭素と河川の水質合格状況

6.2.  公害病患者も乳児死亡率も減っている

   
図 14 1990年以降は犯罪性の公害以外はほとんどない。

6.3.  平均寿命も所得も世界一なのに??

   
図 15 平均寿命も所得も実質世界一(リストラがない世界一などあるのか?それでなにに不満があるのか?・・・不満のはけ口としての環境問題?)

7.  非科学発生の原因となった9つの絶滅

7.1.  鉄の絶滅

図 16 1960年に鉄器時代が終焉し、価値観も変わった。

7.2.  人間機能の絶滅

図 17 現代の私たちには人間機能を発揮することが許されていない。

7.3.  五感の絶滅

図 18 機関銃は人間を殺すという感覚を奪った。

7.4.  過信の絶滅

          
図 19 宇宙の中心にいた人間は次第にサルになり、さらに大腸菌と同じになった。

7.5.  フロンティアの絶滅

       
図 20 アムンゼンと南極に向かう船(すでに冒険はなくなった)

7.6.  自然の絶滅

図 21 美しい自然は「環境に優しいリサイクル・レンガ」で滅びつつある。

7.7.  連続した命の絶滅

      
図 22 バイソンもトキも絶滅寸前であり、都会では奴隷状態の生物しかいない。

7.8.  跡継ぎの絶滅

図 23 私たちの子孫も絶滅しつつある。

7.9.  誠実の絶滅

 拙著「エコロジー幻想」より、
 ・ ・・・
 「不名誉な者として判定された者が、たとい財宝をもっていても、そんな財宝は社会的にはなんの価値も認められない、また所有主である本人自身が一人前の人間としては通用しないのであって、社会的には全く「生けるしかばね」以上の何物でもない・・・あらゆる名誉は誠実に由来する。」

と淡野安太郎さんはまとめています。そして、このように誠実を重んじるゲルマンの文化は我が国でも同じであったとされています。その例として借金証文をあげます。

 「万一、拝借した金子をお返ししえないような節は、拙宅の前に来てお笑いくださっても構いません。」

 つまり、少し前までは、誠実を失うことは生きていくことを拒否されるという規範は洋の東西に因らなかったのです。著者は科学者なので、近代科学が人間から誠実さを奪ったと考えたくないのですが、歴史はそういっているように思えます。

 わたしたちは衣食足りて礼節を知るようになれるでしょうか?」
・・・・

8.  認識の特徴

8.1.  簡単な非科学

都合の悪いものは理解できない。


8.2.  年齢と認識

 25歳までに決まった価値観はその後、変化しない。

    
図 24 人間の「善悪」の認識の構造

8.3.  学問と科学

おわりに

 われわれはどのような目的で学問を学ぶのか?もちろん、より深く人生を考え、事物の真実をみることが出来るようになることである。

 ここに二枚の写真がある。一つは両親を原爆で失い、ただ一人残った弟もやがて力尽きて死んだ。その弟を背負って埋葬のために共同墓地の縁に佇む少年であり、もう一つは物理学の「世界的権威」であり原子爆弾を作ったオッペンハイマーである。学問とは、そして教育を受けるということはどういう事だろうか?100の屁理屈を言っても真実は真実である。

 学問がその人の誠実さを高めることが出来なかったら、その価値を失う。

 学問には「力」がある。それは一度に数万人を殺戮することの出来る力である。だから、学問を学ぶということはそれにともなった人間的な力が求められる。科学は真実を追うものであり、真実から離れたら、たとえ学問によって人格が高められても、その判断は間違い、優れていればいるほど、被害は大きくなるだろう。

参考図書

1. Brown H, The Wisdom of Science, (1986), Cambridge University Press.
2. C. Darwin:"On the Origin of Species", John Murray, London, (1859)
3. スウィフト J(中野好夫訳), ガリバー旅行記, (1985), 新潮社.
4. オルテガ著、桑名一博、「大衆の反逆」排水社 (1991)
5. マックス・ウェーバー(尾高邦雄訳):"職業としての学問",岩波書店, (1982)
6. 渡辺京二,「逝きし世の面影」葦書房 (1998)
7. 淡野安太郎、「社会倫理思想史」 剄草書房 (1959)
8. 武田邦彦、「リサイクル幻想」(文春新書)文芸春秋社 (2000)
9. 武田邦彦、「エコロジー幻想」、青春出版、(2001)
10. 武田邦彦、「二つの環境」、大日本図書 (2002)