廃人工学


1. 緒  言

 近代工学は自然の原理を応用して人類の福祉に役立つ学問として登場した(1).そしてその後のめざましい科学と工学の発展は約300年にわたり所期の目的に向かって順調に,素早く接近しているようにみえた.しかし近代工学誕生の以来しばしば指摘されていたように(2),(3),(4),また直感的に危惧されていたように(5),(6),工学による社会の変革は工学,科学者の予測を越えて進み,既にその相互関係は哲学的な考察を要するに至っている(7),(8).工学が人類に与えた正の寄与と同時に,負の影響として初期に現れたのは,都市のスラム化や地域的に発生した大規模な公害であった(9).それらは18世紀におけるイギリス・マンハッタンのスラムや,1952年のロンドンでスモッグ発生などで顕在化していった(10).今世紀に入り,工学の影響は地球規模になり,オゾン層の破壊(11),地球温暖化(12),砂漠化(13),森林の消滅(14),生物の絶滅速度の上昇(15)などのいわゆる環境破壊と共に,38年の寿命といわれる石油(16),52年といわれる鉄鉱石の枯渇(17)についても様々な議論が交わされている.このような工学と環境および資源の関わりについて社会の関心を呼んだのは,1968年に設立されたローマクラブの活動(18),1969年のウ・タント国連事務総長の演説(19),その委託を受けた1972年のマサチューセッツ工科大学(M.I.T.)の報告(20)によるとされている.しかし,衝撃的なローマクラブの報告書が,急激な石油資源の枯渇,環境の悪化を警告した後,世界各国は様々な対抗手段によってそれらの問題の緩和を進め,現在ではむしろローマクラブの警告の社会に与える影響が減少しているように感じられる.しかし,この報告に先んじた工学の発展に関する未来社会への警告は増子らも鋭く指摘しており(21),これらの精緻で論理的な警告に対抗し得る有効な論はまだ登場していない.
 一方,近代工学はこのような環境・資源面での影響ばかりでなく,人間の精神活動にも大きな影響を与え(22),現在の厳しい遺伝工学に於ける倫理問題へと発展している(23).さらに主として機械工学,電気工学,電子工学などの発展によって本来,人間が人間として保有している機能に大きな影響を与えていると考えられる.

 本論では上記のような一般的な工学に対する認識を踏まえて,機械工学が産業革命以来,人類の機能の「喪失」,あるいは「奪取」についての内容を整理,分析し,将来への見解を述べるものである(24).


2. 人間機能の喪失に及ぼす機械工学の寄与

 18世紀の産業革命の本格的な展開からはじまった近代工学の発展は,20世紀に入ると第一次世界大戦における機関銃などの大量破壊兵器の大規模な使用(25),ベルトコンベアを利用した大量生産方式の出現(26),アメリカにおける自動車の急速な普及(27),それらによる労働者の疎外など社会面にまで及ぶようになった(28).さらに航空機の実用化,原子力の出現,世界的な自動車の大衆化などが大きな社会的影響を与えた変化として取り上げられる.また1960年代には19世紀初頭から増加の一途を辿ってきた鉄鋼の材料におけるシェアが初めて減少に転じたが(29),これは1803年に発明された高圧蒸気機関以来,急速な増加の一途を辿ってきた鉄鋼がその地位を他の材料にとって変わられる兆候でもあり,まさに160年ぶりの方向転換と考えられる(30).

 このような工学の発展の中にあって,機械工学は常にその中心的役割を果たしてきた.産業革命の時の自動織機,蒸気機関は機械工学の成果であり,上に列記した自動車,航空機,電動機,オートメーション,原子炉,そして電化製品に至るまで,機械工学の寄与を無視できるものは無い.従って,機械工学は他の工学部門より厳しくその社会的影響を考慮する必要があると考えられる.


2・1 産業機械とオートメーションによる労働筋肉機能の喪失

 近代工学の時代区分は以上のような見地から行われているが(31),1733-1878年の産業革命期の機械工学時代,1879-1946年の電気工学時代,1947-1972年の電子工学時代,そして1973年から今日に至る情報工学時代に分けるのが順当であろう(32).これらの時代区分を具体的な発明を軸に示すと,1712年のダドリー城の蒸気機関(33),1733年に発明された自動織機,1789年のジェームス・ワットの蒸気機関,1803年のリチャード・トレヴィシクによる高圧蒸気機関と続き,1856年にはヘンリー・ベッセマーが転炉を発明して鉄鋼の大量生産を可能にし,1879年にはトーマス・エジソンによる実用ランプが作られて電気工学が花開いている.

 これらの工学の発展の中でも,蒸気機関は人類が文明的な生活を始めて以来,人間や家畜の力,あるいはせいぜい風力や水力を使用して得られるを利用した力に比較して圧倒的に巨大で,しかも時間や場所に依存しないという意味でも使いやすい力を提供した.巨大な力という意味では19世紀に活躍した「蒸気ハンマー」を上げることができる(34).このハンマーの登場で,それまで不可能であった大きな鉄鋼の製品を加工することが可能になった.その後,蒸気機関は様々な機械や輸送機器の動力として使われ,たくましく動くその様子は「力」の象徴としての文化的な意味をも持つようになった.日本で「D51」型蒸気機関車が,「デコイチ」という愛称で呼ばれ,多くのファンを持つようになったのもその一つである.

 蒸気機関がトリチェリーの真空の発見から(35),マグデブルグの真空の力に関する公開実験を経たあと,さらにワットによる復水器という発明を要して実用的な蒸気機関となったことに比較して,蒸気機関に代わって動力を提供するようになった電動機の場合は,電気の発見からそれほど時間は経たなかった(36).1752年にベンジャミン・フランクリンが夜空を劈く雷が放電による巨大な電気エネルギーの解放であることを発見した.近代科学の発見の多くがそうであったように,フランクリンの発見は電気という物理的現象を発見したに止まらず「雷は人間の原罪を正すために神が下した鉄槌ではなく,一つの科学的現象である」ということを明らかにしたことが,その後の工学的発明に繋がったのである.フランクリン(37)から50年後,最初のアーク灯が1802年にロシア人のペトロフによって考案される.その後の電気工学の進歩は目を見張るものがあり,ドイツを中心として照明,モーターなどが社会へ大きなインパクトを与えた.

 しかも,電動機は蒸気機関に比較して,「石炭を焚く」という操作が不要であり,電線を通してエネルギーの継続的補給が可能であった.従って,電動機は蒸気機関に比較してさらに場所と時間を選ばない動力となった.

 20世紀に入ると自動車を中心にガソリンや灯油を直接的に燃焼させて動力に変える難燃機関も発達し,人類は多様で強力な動力を得るようになった.そして,これらの各種の動力はさらに精密機械工学,電気工学,さらには制御工学の成果を応用して,複雑で多様な力の要求に応じるようになった.

 初期の蒸気機関の応用は繊維工場,炭坑,冶金工場等に応用されたが,それによって切り羽における作業や坑道の運搬などの重労働はかなり軽減された.産業革命の初期までは炭坑労働などの重労働は強い筋肉を持つ男性の独占的職業であったが,次第に切り羽作業など一部の作業を除いて軽作業者へと代わっていった.農業用機械への応用では蒸気プラウ(鋤)等の耕具が作り出され,農夫の肉体労働を軽くした.更に電動機の発明は多くの発電所を生み,男の筋肉労働を電動機に代えていった.これらの動きを炭坑労働などの重労働の職業と,繊維工業などの軽労働の職業とを比較すると,筋肉労働に耐える屈強な男性は職業選択の幅が広かったが,女性は繊維工業などの軽労働に働き口を求めざるを得なかった.筋肉を使用する重労働という意味で炭鉱の作業は辛いものであったが,男性の筋肉の機能は十分に発揮され,その価値に応じて男性は賃金を獲得することができたのである.

 現在は既に高圧蒸気機関が発明されてから約200年を経過し,ほとんどの産業機械は人間の筋肉を必要としないまでになっている.また産業機器以外の日常的な生活で使用する自動車などでも,スイッチを指先で押せばアクチュエータが窓の上げ下げまでしてくれるようになった.最近の日本では日曜大工店での売れ筋商品が電動ドライバともいわれ,若い新入の男子社員の筋肉労働はコピー機の蓋を開けるぐらいだともいわれている.

 機械工学の発達によるオートメーション化は人間を工場の歯車の一部とならしめ,労働する人間にとって自分の作業の価値が認識できなくなる.そのことによって人間は「自らの労働によって真面目さを発揮する機会を失い(38)」,疎外される.機械に翻弄される人間が働くことの神聖さを感じられなくなったことを示している(39).20世紀の全体を通じてオートメーションや組織化された工場労働による人間疎外は「機械と人間」という範ちゅうで多くの検討がなされてきた.しかし本論では,機械の発達による精神的打撃に基づく人間疎外より,直接的な人間としての機能の喪失である「筋肉労働からの追放」の方が,工学が人間に及ぼしたより強い影響であると考える.それは人類が450万年前に誕生して以来,「筋肉」というものは人間の体の持つ主要な機能の一つであったからである(40).


2・2  家庭電化製品と主婦労働の喪失

 歴史的に太古の昔から世界の多くの国で女性は厳しい家事労働に従事してきた.もともと家事労働は幼児のおしめの交換や洗濯,家の内外の掃除,そして家族の食事の準備と後片付けなど,切れ目のなく継続的で休むことのできない労働と水くみなどの重労働が含まれるという特徴がある.しかも,現在でも開発途上国で見られるように1人の女性が生む子供の数は5人を上回り,妊娠,出産,そして育児と追いまくられたのである.かつての主婦の一日は目の回るような仕事の連続の内に終わった.特に温帯地方より北の国では冬には湯が自由に使えなかったので,家事労働に携わる女性の手は常にあかぎれに悩み,体の痛みも激しく,従って平均寿命も決して長くはなかった(41).このような環境の中で育つ子供にとっては,就労できる年齢になり遠く故郷を離れて「母」を想い出すとき,それは忙しいさなかに暖かい食事を出してくれた人であり,自分の為に生活の厳しさを耐えた母親の手であった.

Table 1Diffusion of Electric appliances in Japan
Year Electric appliances
1890 Electric light
1902 Electric fan
1915 Electric iron
1925 Radio
1930 Washing machine
1930 Electric refrigerator
1931 Vacuum cleaner
1952 Television

 このような過酷な家庭労働は電気の応用が進むとともに,いわゆる"家庭電化製品"によって徐々に代わっていった.特に,20世紀半ばにはアメリカ,ヨーロッパ諸国を中心として家庭労働の電化が進み,20世紀後半には日本にも及ぶようになった.アメリカの電化された家庭の様子を垂涎のまなざしでみていた日本は1960年代の高度成長とともに収入が増加し,一般家庭でもテレビ,冷蔵庫,洗濯機の購入が可能になり,それらは"三種の神器"といわれるようになった(41).現在では,家庭労働の多くが家庭電化製品によって代替され,さらに外食産業,宅配などで代表される第三次産業の発展とも相まって,先進国の女性の多くが厳しい家事労働から解放されたのである(42).

Fig. 1 The number of Workingwomen and housework time in Japan.

 もとより,家事労働の軽減は女性の家庭からの解放を意味し,女性の社会的進出を促した.同時に,男性の強い筋肉が厳しい肉体労働を伴う職業においてその価値を発揮したように,女性は家事労働のようなきめ細かい労働,手先の器用さ,そして家族への気配りで尊敬と愛を受けることができていたが,それは家庭電化製品の普及とともに失われることになる(43).人類が誕生して以来,多くの民族で長い間にわたって存在した男女のアイデンテティは喪失したのである.

 工学と社会の発達による家庭の有様の変容は主婦ばかりでなく,父親の方にも変化をもたらした.かつて父親は家族の目の前で農業に携わり,危険を冒して海に出た.家族は隆々とした筋肉を持った父親が田を耕やしたり,とても自分たちには手に負えない大木の切り株を掘り起こしたりするのをみて,尊敬の念を持つことができたが,現在では父親の多くは家族と離れた場所で労働をするようになった.そのために労働の労苦は家族から隔離され,父親の銀行口座に振り込まれる数字を観念的に捉えてその労働を想像するというしかなくなったのである.父親が家族の尊敬と信頼を得にくくなるのは当然とも言え,それは家事労働を喪失した主婦の立場と類似している(44).


2・3 自動車など移動手段の大衆化による生活機能の喪失

 自動車は工学がもたらした進歩の中でもきわだっているが,自動車の有用性が認められたのは,カール・ベンツが1886年に自動車の生産を開始してから20年を経過した今世紀であった(45).そして自動車の優位性は1906年に生産が開始されたT型フォードではっきりと認知され,1915年にはアメリカ一国での自動車登録数は250万台に達した.自動車は機械工学が発明した多くのもののうち,一,二を争うほど有用なものであり,人類の生活程度を大幅に向上させるに役立っている.産業原料や製品,一般機材の運搬,人員の輸送など国の産業の基礎部分で大きな貢献をするのはもちろん,家庭や若者のグループに「ドライブ」という新しい楽しみを与え,病気の母親を寒い雨に日に病院まで運ぶことができるようになるなど生活の全般にわたって大きな影響をもたらしたのである.その一方,自動車の持つ利便性ゆえに近代化された国家では自動車の保有台数は増大し,交通渋滞,大気汚染などの問題を起こしてきた(46).1940年代には鉛をガソリンに使って鉛公害を起こし(47),1970年代には石油の枯渇とエネルギー問題を,そして1990年代には環境への関心の高まりとともにリサイクル問題の主たる要素の一つになっている(48).そしてある意味では戦争中より多い死者数をもたらす交通事故では,日本一カ国で毎年1万人程度の人が死亡する.桁外れに大きい自動車の社会への功罪を示している(49).

 確かに物質面では自動車は大きな貢献をなしてきたが,生活のテンポはあわただしくなり,短い距離でも歩くのがおっくうになり,脚の退化やそれによる精神的障害を生んでいる.人間には足を使って移動するという機能があり,それに伴って肉体的,精神的な健康が保たれ,自分の関係する付近の状態を詳しく観察し,足の裏で感じる土に対する特別な愛着を生むと考えられる.

 自動車でもたらされた「移動は機械に任せる」という思想に基づく機械工学の進歩は自動車以外にも適用されている.5階以上の高層ビルにつけられていたエレベータはより低層のビルや家庭にも普及し始め,エスカレータはデパートをはじめとした大型店舗から最近では電車の駅にも備えられるようになった.一方,人間は自らの移動や簡単な荷物を担ってそれらを移動させることも目的とした筋肉を脚,腰,そして上腕などに有している.自動車やエスカレータはそれらの筋肉,いわば「生活に必要な筋肉の機能」を不必要なものにした.最近の東京などは電車のホームにはエスカレータが備えられ,街にはタクシーが走り,ビルはエレベータが備えられている.そして,どこかしこにあるコンビニエンスストアでは少しの荷物も安価な宅配便で全国に送ってくれる.自分の移動や荷物のために体の筋肉を使用する機会は極端に少ない.

Table 2 The number of convenient stores
Year Number of stores
1985 7736
1995 24535
           (大手8社)

 社会的には移動の為の筋肉を使用する機会を奪われていることから,自らの疲労感覚で判断することすら困難となり,どの程度移動したかを万歩計のような計測器で測定する必要も生じている.また車の送り迎え,エレベータを使用している会社の幹部などの人たちは,移動の機能を損なうことを補うためにゴルフなどのスポーツをするまでに至っている(50),(51),(52).Figure 1に示すように自動車の生産台数と国民の運動時間にはある程度の相関があるが,工業の成熟と共に運動時間の確保が容易になったとともに,移動機能の補填の動作ともいえる.

Figure 1  Production of motorcars and sporting activive time a week.


2・4  コンピュータとネットワークの発展による頭脳労働の追放

 1946年にエッカートとモークリー によって考案されたコンピュータ(ENIAC)(53)は電子工学の進歩と共に急激に発展し,1970年代に脚光を浴びた計算速度の速いスーパーコンピュータの性能を1990年代の数十万円のパソコンが追い越すようにまでなった.コンピュータは人間の頭脳の働きを部分的に代替しうるものであることから,単純労働のコンピュータへの置き換わりが進んでいる.4ビットや8ビットの簡単な回路を持つマイクロプロセッサが家庭電化製品の自動化に応用され,続いて電車の改札や切符の販売,銀行における現金出納機などが自動化されている.さらに会社の営業分野では物流システムや会計計算実務にコンピュータがかなり早期に導入され,膨大な事務員で処理していたこれらの業務も自動化された.生産工場においてはかつてポンプの運転や機械の操作を作業員が現場で運転を見ながら作業を進めていたが,現在では温度や圧力の計測などがセンサーと計算の自動化により遠距離管理になり,徐々に複雑な作業がコンピュータによって代替されている(54).1980年代の初頭には大規模プラントのパネル室には数名の監視員と見回り要員がいたが,現在ではかなり複雑で大規模なプラントの運転をコンピュータがほぼ完全に制御することが可能になってきており,さらに停電や火災などのエマージェンシの時の停止操作や復帰操作にはコンピュータ制御の方が望ましいまでに至っている.工場はやがて工場長と僅かなスタッフを残すのみになると思われる.

 このように人間の知的活動に基づく様々な部分的作業や職業が少しずつコンピュータに置き換わりつつある.コンピュータの性能がさらに向上すれば,会社の事務業務や工場の生産業務はさらに省力化が行われることは確実と思われるし,最終的には医師の判断を自動診断機器で,弁護士や予備裁判に過去の判例をすべて納め,それに個別の判断機能を備えた機器によってさらに教育関係では自動応答プログラムを備えた教育ソフトと機器が実用化されるであろう.

 コンピュータの機能は人間の脳活動の一部を代替するに止まらない.現在すでに急激に進歩しつつある「通信」は今まで人間の脳の記憶や本などの媒体に局在していた情報をより広く共有する可能性が出てきた.インターネットで判るようにアメリカの文字と画像情報はほぼ瞬時に日本において知覚される.このようなネットワークと通信の発達は「人の代わりに電子を移動する」というコミュニケーションの方法を生み出し,出張が減少し,それによって新幹線などの交通機関を利用する人の数を激減させる可能性もある(55).そしてネットワークの寄与は最初はコミュニケーションの量と速度の増大として現れるだろうが,やがてネットワークによる情報の共有化が社会を決定的に変化させていくであろう(56).知識は共有され,必要なときに常にそれを使い得るようになると,すでに政治が情報の発達によって大きく変化しつつあるように多くの社会活動がその様相を変化させると考えられる.


3. 考察

 工学,特にその中心をなす機械工学の進歩によってもたらされた自働機械,蒸気機関,電動機と動力伝達機械,オートメーションなどは近代工学の発展の初期の段階で屈強な男性から筋肉労働を奪った.そして家庭電化製品と可動装置は女性から家庭労働を奪い,自動車やエスカレータなどの自動移動機械は人間の生活能力に打撃を与えている.そして現在ではコンピュータと精緻なアクチュエータによって人間から頭脳労働を奪い,機械工学は順次人間から本来備わっている機能を奪いつつあるように見える.かつて人間には「力を出す筋肉」,「家族を守り,辛い仕事を支える愛情」,「生活に必要な筋肉と判断能力」及び「考える頭」がそれぞれ十分に機能していた.しかし現在,機械工学に携わる人たちが進めている工学はまさに人類からほとんどの機能を奪うことに熱中しているように見えるのである.

 確かに,厳しい肉体労働は辛い.しかし辛いからといって肉体労働自体が「人間らしい労働」ではないとはできない.額に汗して働き,1日の労働が終われば軽い筋肉の疲れを感じつつ,家路に帰るのは正常な人間の活動である.その状態はFigure 2に示すような人間の遺伝的な機能を奪われた像より,現在の我々には人間らしく感じるだろう.同じく家事労働が多くの女性を家庭に拘束したからといって,家事労働自体が「人間らしい労働」ではないともできない.発展途上国ののどかな農村で庭に数羽のニワトリが遊び,農家の脇の小川では少年が魚を求めて川縁を歩いている光景を目にすることができる.農家の庭先では主婦が選択した家族の衣服をまぶしい太陽の光にさらしている.健康的で幸福な農村の生活である.

 生活の糧を得るために適度な距離を歩くこと,必要によっては自分の筋肉を使って小さな荷物を運び,汗を流すこと,山道を登ることなどは人間が本来行ってきた基本的な行動であり,時には苦痛を伴うことがあっても決して異常な行為ではない.徒歩で10分ほどの距離に自動車を使用したり,駅の階段を上るのにエスカレータを使用し,さらにエスカレータの「右側」が空いていないといってイライラする方が異常であろう.また,銀行の窓口が全廃されるのは我慢ができるにしても,病気の際に医者ではなく自動診断機で診断される状態は人類にとって異様な事態であるだろう.機械工学がこれまでのように「人間は筋肉をできるだけ使わず,頭脳をできるだけ使用しない方が望ましい」という方向をもってさらに進歩を遂げるならば,それは結果として一日中何もしなくても生活しうる人間を作っていくことになる.人間の遺伝子は急激には変化しないので,そうなったとしても脚の筋肉や頭の格好が変化することは無いだろうが,それでもこれまで人間の体の中の使用頻度の低い器官が退化をしてきたように徐々に人間の機能が退化していくことも確かである.

Figure 2  Symbolized and Ideal Human Beings considered by Mechanical Engineering.

 先に述べたように機械工学は「人間の筋肉を使用させず,頭脳を使用しない」という状態をその最終的な目標とし,それを機械工学の倫理規範としているのであろうか.蒸気機関や自動車,コンピュータは結果として人間の機能を喪失される方向に進み,また進みつつあるが,機械工学に携わる多くの技術者はそのような目標や倫理を持っているわけではない.日本の機械学会には明確な倫理綱領は無いが,機械学会の目的としては「機械に関する学術,技芸の進歩,発達をはかり,かつ工業の発展のためにつくすこと」となっている.また,アメリカの機械学会(American Society of Mechanical Engineers (ASME))は倫理綱領を持っているが,「技術能力,専門家としての幸福を促進すること,そして機械工学の質的な計画,活動を通して熟練者は人類の幸福に貢献することをより可能にさせること」を主たる倫理となしている(57).

 近代工学が誕生したときに規定された「自然原理を応用して人類の福祉に貢献する」という工学の目的はこれらの綱領を見る限り,基本的には現代の機械学会にも受け継がれていると言えよう.確かに炭坑で働く労働者が非人間的な重労働のもとで呻吟すること,自動機械と移動装置で解決することは近代工学や機械学会の目的にも合致している.しかし,わずか数十段の駅の階段にエスカレータを配置するのは機械工学の目的に合致しているといえるであろうか.単調な銀行の出納作業をコンピュータで行うことは,その作業に従事する労働者をより人間的な仕事に就けることができるという点でやはり工学の目的に沿っていると考えられる.しかし自動診断機,自動裁判,そして自動教育機器によって取り扱われる人間はそれを希望しないと考えられる.

 以上のような例から判るように,現代の機械工学の倫理について単純に「機械工学の成果を活かして社会に貢献する」ということはできない.その前提として,①機械工学の発展の限界,②機械工学が生み出したものを使用する社会との関係について機械工学が明白な倫理規範を有している必要があると本論は主張する.

 すなわち,炭鉱労働者の労働を軽減する機械の開発は倫理違反ではないが,電車の駅のエスカレータの設計と製造は機械工学の倫理規範に違反するというガイドラインの設定を要する.第二に「工学がもたらしたものは他の学問や政治,社会は止めることはできない」という歴史的な現実を踏まえて,工学の行為の結果を他の分野の行動の責任に帰すことができないという点である(58).例えば,新幹線という新しい機械工学の成果が完成すると,政治はそれをどこに敷設するかを決めることはできるが,その利便性に抵抗することはできないので敷設しないという決定をすることは不可能である.さらに新型の新幹線車両が完成すると「もともと東京から大阪まで3時間でいければよいではないか」と言う議論は成立せず,「快適で速いほうがよい」という論理に抵抗することはできない.この現象を最も鋭く示したのが,第二次世界大戦の時に使用された原子爆弾である.

 原子爆弾の投下が大量の犠牲者を出し,悲惨な結果を招くことはそれを製造した工学者にはよく判ることである.そこで,工学倫理としては次の2つの考え方がある.一つは,工学は原子爆弾を製造するだけであり,それを使用するかどうかは工学が関与することではない,という考え方であり,また別の一つは,原子爆弾が非人道的な兵器であり,それが工学倫理に反するならその製造に携わってはいけない,という論理である.工学倫理をより限定的に捉え,「工学はその成果の結果を問われない」とするならば原子爆弾を製造することは工学倫理に悖る行為ではない.ミサイルの製造や戦闘員の悲惨な死を招く高性能ナパーム弾,一般人の大量の焼死をもたらす焼夷弾などの研究も成立するであろう.しかし,歴史的な事実として原子爆弾が使用されたということ,現在でも世界は原子爆弾が使用される危険性の中にあるという点を考えると,「工学が生み出したものを工学以外の学問や政治,社会が止めることはできない」という原則が適用され,現在でも適用されていると言えよう.

 本論は「工学はその成果の結果について最低限の責任を負う」との立場を表明する.それは蒸気のような歴史的事実によって検証されると考えるからである.したがって,機械工学は「人間機能を喪失させ,廃人となす」という現在の方向性を可能な限り早期に廃棄して,「人間機能を発揮させる補助的な機械の開発にとどめる」という新しいガイドラインを構築する必要があろう.

 このように,21世紀に到来すると考えられる人間の本格的な機能喪失は人間の精神活動にも大きな影響を与えるであろう.機械工学がもたらそうとしている「何もしなくてよい」という状態は廃人に近い状態であるが,人間の遺伝子が急激に変化せず,それゆえに肉体が変化しない限り,精神は健康な肉体に宿る以外に無いからである,そして「労働は人間にとって神聖である」という基本的原則はが変わらないと考えられる.


4. おわりに

 工学倫理の分野には,ヨーロッパを中心として進歩してきた哲学的倫理学的アプローチがあり,また近年主としてアメリカで発達したいわゆる"Ethics in Engineering"と言われる分野がある.前者はベーコン,コンドルセ,マルクスなどを経て,ハイデガーやヤスパースに至る哲学(59),あるいはバナールや小倉金之助などの科学社会の考察(60),(61),スウィフト,メアリー・シェリー,そしてチャップリンの直感的警告である.そこでの主題は機械工学の研究過程や機械の製造過程において社会的不正が許されるかというものである.例えば,具体的な問題として「スペースシャトルの事故に対して倫理的な問題が存在したか」などが論じられる(62).確かに,そのような具体的で対象物の是非を問う問題は機械工学の倫理で重要であるが,本論で展開した「もともと機械工学の目的と基本的倫理とは何か」という問いが21世紀の機械工学にとってさらに基本的なものとして考えられなければならないだろう.近代工学が誕生して300年余を経過し,工学は初期の目的を既に達成している可能性も高い.その点からは既に機械工学はその使命を終わり,幕を閉じる必要があるのではないだろうか.


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