愛
かつて学問の香りが高かった金沢の町からすっかり大学が無くなって、市街に残っているのは金沢大学病院だけになった。それでも香林坊の近くに旧制第四高等学校の校舎の一部が残り、西田幾太郎、室生犀星、泉鏡花などの作品が展示されている。
泉鏡花の代表的作品「婦系図」に次の一節がある。
「惚れてよ、可愛い、いとしいものなら、何故命がけになって貰わない。結婚したあとで、不具になろうが、肺病になろうが、また其の肺病がうつって、其がために共々倒れようが、そんな事を構ふもんか。・・嫁の家の財産を云々するなんざ、不埒の到だ。」
・・・本当に愛しているなら、どんなに難しくても命がけになって嫁さんに貰ったらどうだ。もし、結婚した後で嫁さんが不自由な身になっても、重篤な病気になっても、それで一緒に倒れることがあっても、そんなこと何で気になるんだ。第一、嫁さんの財産を考えるなどもってのほかだ!・・・
泉鏡花の文章は、そこに書かれている内容も豊かだが、文章自体が美しい。だから現代語にしてしまうと味気無いが、下町っ子の情と心意気はわかる。彼らは人間だった。
ところで・・・
もう、仲人を立てる結婚式も絶滅したが、その昔、といっても今から20年前頃、私は毎年のように仲人を引き受けていた。その人達の多くはすでに立派な家庭を築き、お子さんもそれぞれに大きくなっている。
仲人を引き受ける時、大抵はどこかの料理屋でお食事を共にした。時にはご両親の主催のものもあったけれど、私の時代はすでに形式はそれほど整っていなかった。結婚するお二人とこちらということが多かった。
そんな席で私が聞くことは決まっていた。
「橋本君、嫁さんに何回「愛しているから結婚してくれ!」と迫った?」
ということだった。
男の方は最初は何を聞かれているのかわからないという風に戸惑い、次にもじもじする。やっとのことで、
「何回って・・・結婚して欲しいとは言いましたが・・・」
と言う。そこで私が嫁さんの方に、
「断った?」
と聞く。
嫁さんも横目で橋本君を見ながら、
「いいえ。だって・・・断ったらそれで終わりかも知れないから・・・」
と歯切れが悪い。
「なるほど。でもね。私の時代は違ったよ。何とか嫁さんを獲得しようと思ってね。散々、作戦を組むは、何回断られても「愛しているから結婚してくれ!」の一本槍だった」
と先輩の繰り言を言う。
「そんなんだったんですかー!いいわねー!」
と嫁さん。
「3回は断らなければ、愛されているとは言えないのじゃないかな?」
などと少し意地悪に言ったものだ。
かつて、
「惚れてよ、可愛い、いとしいものなら、何故命がけになって貰わない。」
という時代があった。
「愛」というとヨーロッパの専売特許のように思われているが、日本には日本の愛があった。日本の愛は情愛であり、西洋的な激しさは無いが真からの愛だった。そんな愛を育む土壌が日本にはあったのだ。
山紫水明、四季折々、そして細やかな共感文化が日本流の愛を育てていった。どんな時にも裏切らない、家族の情と夫婦の愛情は区別することができないものだから、一旦、夫婦になったら家族の縁が切れないように夫婦も切れない。
そんな結婚をするためには、「命がけで貰う」「3回は断られても迫る」という儀式が必要なのである。だからこそ愛した女性と共に創る所帯は人生の価値を高めてくれたのだ。こうやって人生を送って良かったとしみじみ思うことができる愛・・・それはもう獲得できないだろう。
夜半、風が激しく吹かなければならない。冬の朝の水は冷たくなくてはいけない。そして彼女に差し出すささやかなプレゼントは自分の衣食を削ったものでなくてはならない。
嫁さんは鍋釜だけで来て欲しい。すべてはこの二人で作っていくのだから・・・
街を歩けば溢れるような化粧品と流行の服、それに給与の大半を充てる女性。人と話す時間すら我が儘を抑えることができず、毎日パソコンだけに向かっている男。
人間は何かを得ると何かを捨てる。今、この豊かな時代に若者は、愛を奪われつつある。すでにあの嫁さんが感じていたように「断ったらそれで終わりになる愛」しか存在しない、壊れやすく薄い人生が待っているのだろう。
それは私たち自身が選んだ道だけれど、引き返すことはできる。
おわり