パリ
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パリよお前とほろ酔い機嫌で
町中うろうろ歩こう メ・セシボン
敷石並べたお前の広場は
恋でも愛でもお望みしだいさ
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パリはセーヌ川、シャンゼリゼ通り、凱旋門、そしてエッフェル塔でできている。というとオペラ座もあるじゃないか、モンマルトルは?ということになるが、それでもパリはこの4つだろう。そして細い道でも変な形の交差点も、どこもかしこも同じパリの臭いがする。
「パリ野郎」というこの歌は、パリというところが無機的で非生命的な都市ではなく、生命ではないはずなのに、それ自体が息づき、語りかけ、時には友達のように連れ添ってくれる、そんなパリを謳っている。わたしもそう思う。
私はあまりヨーロッパが好きではない。この貴族的雰囲気の裏にある、フランスの歴史自体も、またヨーロッパ人が世界に雄飛した歴史も共に血なまぐさいからである。でも、パリはそれを超えて人の心に訴えてくるものがある。
都市計画のような外観的なものもあるだろう。よく言われるように新市街を除いてパリのビルは写真を見ても判るように高さが揃っているし、その建築様式もおおよそ同じである。そして夏の気温がそれほど高くないので、みっともないクーラーの室外機が外に出ていることもない。
シャンゼリゼ通りのように広い道路には街路樹が植えてある。どこもかしこも緑豊かというわけではないが、一見、汚い街角にも風情がある。パリの中心部自体がそれほど大きくないというのも一役買っているだろう。東京ほど大きくなく、名古屋より少し大きい。大阪というところだろうか。街角で迷っても少し歩けば「ああ、あそこか!」と判る程度の大きさである。
パリがなぜ、素晴らしいか。パリがなぜ世界の芸術家を引きつけ、私のような技術者にも魅力があるのだろうか?それは「フランス魂」が住んでいるからだと私は思う。なかにし陽子さんが「パリ野郎」を歌っても、私の様な日本人がパリを歩いても、魂があるから「人間としてのパリ」と付き合うことができる。
どんな素晴らしい建造物でも、どんな都市計画でも、それ自体に意味があるわけではなく、そこにその国民や都市の人たちの魂が感じられるかどうか、それがその都市の魅力である。古い、新しい、統一されている、バラバラであるという外見より、やはり「魂」である。
フランス人は、あのフランス革命のエネルギー、ナチスからのパリ解放の根性がある。一人、一人はなんとなく個人主義的でプライドも高く、焼いても・・・というところがある。その点では日本人より人間的には辛いかも知れない。でも、国歌「ラ・マルセイユーズ」を聴けば、そこに秘められているものは判る。
かつて、日本にも魂があった。日本人の魂は明白だった。だから日本の都市はどこも美しく、幕末から明治の初期に日本に来たヨーロッパ人は一様に「なんと素晴らしい国だ」という感想を漏らしている。江戸であれ、京都であれ、田園地帯でも、一見して貧相な漁村でもそれは同じだった。物質的に貧しいかどうかではなく、そこの民族の誇りや日本人の優しさ、気高さが潜んでいたのである。
幕末に対日外交で活躍したイギリス大使オールコックは、次のように言っている。
「・・・これらの良く耕作された谷間を横切って、非常な豊かさの中で所帯を営んでいる幸福で満ち足りた暮らし向きの良さそうな住民を見て、(中略)・・・気楽な暮らしを送り、欲しいものも無ければ、余分なものもない」
最高の賛辞だ。ただ豊かだ、きらびやかだと言っているのではない。気楽で、欲しい物が無く、余分もない。お金という点では今の価値に直しても1000分の1以下なのに、簡素なその生活は、彼らの人生そのものであり、彼らは生きていたのである。
現代の東京にも名古屋にも都市から日本人の魂を感じることはない。高い品質で舗装された道路と歩道。最近では歩道には樹木があり、ところどころにレンガが貼ってあって情緒溢れる道筋すらある。でも、冷たい。都市が私に語りかけることも、慰めてくれることもない。完全に無機物であり、単なる建造物であり、素晴らしいデザインもまた人の懐から如何にしてお金を引き出すかに注力しているように見える。
かつて私が「屋上庭園」なるものを毛嫌いしたのは、なんの魂も無く、あれほど浅薄なものは無かったからである。緑は通学路にあるべきであり、子供が見ることもできないビルの屋上に、ただ「クーラーで加熱した都市を冷やすため」に樹木を植えるのは日本人ではない。
人々は都会の空気に疎外され、にらみ合うような車内からどっと駅の構内へと吐き出され、そして暗い道を家路に急ぐ。その後ろ姿は無惨である。日本人という魂を持った人間の集団は、やはり日本の精神をタップリと含んだ都市でなければ生きることは出来ないのではないだろうか。
日本の精神とは、自然との調和である。自然と対決するのではなく、自然を取り込み、自然に敬意を表し、そしてそれを活かす精神である。日本には歴史的に過去3回にわたってレンガ建築が持ち込まれたが、日本人はそのいずれも拒否して木造に拘った。それも「ペンキを塗らない木材」に拘ったのである。
パリは塗り込める。でも日本の都市は塗り込めない。むしろ自然を引き出し、自然と共に生活をする。急ぎたい。私は日本の都市に日本の精神をもって改造するのを急ぎたい。少し飛び離れたことを言うようで躊躇するが、そうすればこの自然豊かな日本に住む人の自殺者が世界で一、二を争うようなことにはならないだろう。
おわり