御用学者はなぜ、存在するのか?
もう20年も前のことだろうか。私が静岡県の富士市に勤務していた頃のことである。そこにいた実直で優れた技術者が、ある時、私に次のような質問をした。
「武田さん、なぜ、この世に暴力団というのがいるのですか?もし、暴力団と呼ばずに「仕切り集団」などと呼ばれるなら、まだ判るのですが、ハッキリと暴力団と言いながらそのままにしておくということはどういうことですか?」
その人は私よりご年配だったが、控えめで偉い人だった。だから新聞に「暴力団」と堂々と載っているのに、その団体がこの世に存在することが不思議だったのだ。
私は下の図を示して解説をした。
「社会の現象というのは私たちの心を映していると私は考えています。自分の心の中に「暴力でけりをつけたい」というのが0.1%あれば、世の中には0.1%の暴力傾向が現れる。日本の人口は約1億人だから10万人は暴力傾向の人が現れるという事になります。」
数学的、社会学的にはそうなるが、それでも、その人が憤慨するように「暴力団」などとおおっぴらに宣言している団体があることは法治国家としては許されない。清水の次郎長の時でもそんなことはあり得ず、少なくとも表面的には合法であるという形を取っていた。
でも、もし「暴力団」を非合法として、全部取り締まったとしたら、この世から暴力団がいなくなるかというと私は悲観的である。もし暴力団が1万人いて、その人たちに全部、お引き取り願ったとしたら、しばらくしてまた1万人の暴力団が新しく出現するだろうから。
魚のオスメス関係でも似たようなことがある。
10匹で生活している魚の集団で、そこにボスのオスが一尾いるとする。そのオスが戦いに敗れて死ぬと、その集団の中で一番、体の大きなメスがオスに性転換する。
つまり、生物の集団というのはある原則があって、それが直接的ではなく、別の形になって目に見えていると考えられる。
環境問題を研究していると、奇妙なことが続く。リサイクルをすればするほどゴミが増え、地球が温暖化しても北極と南極の氷が溶けたら海水面が下がる、ダイオキシンは猛毒ではない・・・などがそれである。
日本の国民はみんな、リサイクルするとゴミが減るとか、ダイオキシンは猛毒であると信じている。でも、少しずつ本当のことが判ってきて、これまで信じてきたことの多くが間違いであることに気が付く。その時、決まって私に質問してくること・・・それは、
「御用学者って、なんで?居るのですか!」
「それは私たちの心の中に、魂を売ってもお金を貰いたいという気持ちがあり、それを代弁してくれる人がいるからです。でも、リサイクルをすればゴミが減る、ダイオキシンは猛毒だ、と本当に信じた学者がいるのも確かです。おそらく半々だったでしょう。」
確かに、普通の人から見れば「もう少し、しっかりやって欲しい」と思う気持ちはわかる。せっかく一所懸命ゴミを分別し、ゴミを減らそう、燃やさないでもう一度使いたい、それに自分が一役買うことができればと思ってやっているのに、集めたらまた混ぜて燃やしているなんてむごいことだ。
また、「ダイオキシン」ではどんなに脅かされただろうか?最近でもたき火が恐ろしくて出来ない人がいる。大昔からやっているたき火は、タバコや焼き鳥よりダイオキシンがずっと少ないのに、それも教えてはくれない。
イエス・キリストに影響を受けている私には、御用学者の人を非難する気持ちはない。
実は、正義ぶっている私でもチョットは魂を売ってお金を貰うことがある。チョットなら許されるけれど、堂々と政府の委員会で発言するなら許されない、などと言うことはない。悪いことは悪い、私も同類である。
また、リサイクルはゴミを増やす、ダイオキシンは猛毒ではない、というぐらいは私も判ったが、これがもう少し難しい問題になると私も間違えると思う。このくらいなら間違えないが、もう少し難しくなったら間違えるというなら、これも同類である。
私たち、人間は不完全なもので、決して他人にお説教したり、「これが正しい!」と言ったりは出来ないのだろう。私もイエス・キリストやお釈迦様の前では小さくならざるを得ない。
おわり