美しい自然と人の心
愛知県南施楽郡鳳来町玖老勢字新井9番地に「学童農園山びこの丘」がある。
この静かな山間の町は東海道線の豊橋から151号線で東北に、あるいは浜松から257号線で西北に1時間ほど走ったところにある。歴史的には武田勝頼と織田信長が戦い、武田の騎馬隊が織田の鉄砲隊に壊滅させられた長篠合戦の長篠城がある。
かつては信州と東海を結ぶ重要な街道が町の中心を通っていて、明治からは豊橋から を結ぶ飯田線が交通手段になった。でもすでに飯田線は地元の高校生以外にはほとんど利用価値のない鉄道となり、今では「出発地:豊橋から到着地:松本」という旅程で、コンピュータを使って路線検索をすると、「豊橋から新幹線で名古屋へ、名古屋から中央線で松本」というアドバイスがでる。
すでに始点から終点へ旅行する人にとっても飯田線は利用価値のない鉄道となった。
長篠城からほぼ真北に10キロほど走ると鳳来寺があり、その近くにこの山びこの丘がある。「野鳥の声がこだまする」というコピーがついていて、「自然と語らい、自然と遊ぶ」ともある。確かに宿泊した部屋からはゆったりした愛知県東部の山並みがみえ、その裾には山間の道路と民家が散在し、いかにも豊かなで素晴らしい自然に囲まれている。
都会からこのような保養地に来ると、自分の心が自然に溶けこむ実感を持つことができる。夏のおわりのことゆえ、野鳥の声のかわりに夏を惜しむ蝉の声が、これも爽やかだがどこか夏の湿度を含んでそよぐ風にのってどこからともなく聞こえてくる。蒸し暑いように暑くなく、秋風のようで秋風ではないそんな時期なのだろう。
自然の中の施設は完璧で、宿泊、食事、運動、体験、展示などをそろえている。武道館、グラウンド、屋内屋外のテニスコート、郷土文化伝承館、そして蕎麦打ち、芋掘りなどの体験もできる。学童農園とも称しているこの施設の巨大さがわかる。
町営のこの施設は利用料金も格安。少し我慢して「旧館」に宿泊すれば一人一泊2,600円、デラックス新館でも5,100円である。このような低廉な料金でできるのは、施設の建設を税金でやっていて、従業員の賃金も一部は鳳来町が出しているのかも知れない。このような「税金で建設されたらしい施設」というのは日本のあちこちにあり、あるいは竹下首相時代の「ふるさと1億円」がきっかけになったものもあるし、また何かの町おこしで作られた場合もあるだろう。
そしてもともと人口の少ないところだから、大きな施設を作っても開店休業になる可能性があるが、ちょうど、土日に掛かっていたこともあって、この施設は見事に運営も成功しているように見えた。土曜日に昼になるとどこからともなく多くの人が集まり、テニス、サッカー、そして琴や笛のお稽古に至るまで盛んに活動している。ここが人里離れたい「田舎」とは思えぬ繁盛ぶりになる。
自然は美しい、雄大な山並みが一夜の宿の窓から見える。せせらぎの音、晩夏の蝉の声・・・何をとっても素晴らしい自然である。
私は「朝食は7時半から」というアナウンスで部屋を出て食堂へ向かった。食堂は全面がガラスドアーというデザインでふんだんに木曽杉を使った豪華な作りである。どのドアーが入り口かとうろうろとし、ゆっくりと食堂へのドアーを開けて中に入った。
食堂はおそらく詰めれば120人ほどは入る大きなもので、その端の方のテーブルに私たちの食事が並んでいた。日本の朝食のことだから、小さな魚と卵焼き、それに海苔と少しの香の物が付いている。
その時だった。厨房から鋭い声が背をまるめてぼんやりとご飯を口に運んでいた私の背に飛んだ。
「皆さん、すぐ来られるの!」
私はビクッとして起きがけのぼんやりした意識は吹っ飛び、何が起こったかと振り返る。
「すぐ来るんでしょ!」
「いや、・・・えー、はっきりは・・・」
「時間が決まっているんだから、来るわね!」それから程なくして、私の前にも、そして私たちのグループ20名ほどの朝食にも一斉にご飯とみそ汁が運ばれた。有無を言わせない。とにかく7時半から朝食ということになっている。しかもグループの人の内、幸い一人が早く来た。それじゃ、ともかくみそ汁を運んでしまえ、という訳だ。
私は急に憂鬱になりながらご飯を口にして、早々に席を立った。そのとき、厨房の中では先ほど怖い顔をして鋭い声を出していた女性、そしてぶっきらぼうにご飯とみそ汁を出した男性など3人の人が笑顔で、楽しそうに温かいみそ汁を飲みながら朝食を取っていた。私は、
「あなた達の勤務時間は何時から何時ですか?勤務時間中に食事を取っても良いのですか?」
と聞きたくなる気持ちを抑えるのがやっとだった。部屋に帰って食事代金を見ると800円とある。これにはまた驚いた。あの食事、あのサービス、どんなに高く見ても500円以上は取れないだろう。ご飯は固い、みそ汁はぬるい、おかずは冷たく少ない、それで800円!!
ちなみに、帰る日の昼食がまた傑作だった。普通には昼食としては支払うことの無いような高価なものだったが、私たちのグループの中の若い人はテーブルについて、思わず
「なに、これ!?」
と呻いた。そしてその後、「山びこの里」を後にしてすぐ、車に同乗していた女性が、
「あたし、久しぶりだわ。タマネギだけのカレーライスって」
といい、私は、
「そうね。せめて野菜でも付いていたらね。タマネギのカレーだけ・・・」みんな黙っていた。公営というのはそう言うことだ。たぶん、従業員から見れば、お金持ちなら高いホテルに行くだろう。それを町営の保養所に来る団体だから貧乏人に決まっている。だからまずはサービスはいらない、そう思っているだろう。
宿に着いたとき、チェックインには少し早い時間だったが、フロントの人は融通を利かせて荷物を部屋に置かせてくれた。ある意味では親切だったが、決して笑顔は見せなかった。
そう言えば、私は長い人生を送り、活動的だったのでいろいろなところに行ったが、およそ公営のようなところで従業員の笑顔を見たことは少ない。
名古屋の池下に厚生年金会館があるが、ここは全く別で、まるでホテル並みの笑顔、そして綺麗な部屋、さらに高級ホテルと同じ笑顔だ。この厚生年金会館は大変、はやっている。
でも、普通の公共施設の職員は、まず、宿泊客に笑顔を見せない。そして第二に自分たちの賃金は税金で支払われているのだから、飛び抜けて高い食事代を取ろうが、サービスがどうだろうが、丁寧な言葉使いをしたり、勤務時間中に食事を我慢したり、お客さんに暖かいものを食べさせようなどという気は全く起こらないのだ。
いまどきタマネギだけのカレーライスがいかに異常でもそんなことは鳳来町の利害には関係がない。深くは考えていないだろうが、ともかく「食わせてやっているだけ、感謝しろ!」ということであることは確かだ。
そして従業員の方が大切だから、客にサービスする時間でもかまわず食事を取って何が悪い・・・鳳来町もそう考えている。考えていなければ、こんなことが起こるはずもない。
まあ、施設の従業員がサービス精神に目覚めるのは、町からお偉方や厚生関係の担当者が来たときだけ。そのとき、少しましな食事を作り、お偉方がお帰りになるまで自分たちの食事を控えれば良いのだ。
そう言えば、この公共施設は「お客さん駐車場」というのがかなり離れていて、そこに必ず止めさせられる。敷地からいってそれは仕方がない面もあるが、従業員の車はお客さんの車の数より多いときにも玄関先に止めてある。たとえば、ゴルフ場でお客さんの駐車場より従業員の方が近くに止めていたらどうなるだろうか??
私は不思議な思いに駆られて車の運転を続けた。
人間は笑顔が辛いんだな、本当は。お金をもらい、義務がなければ笑顔は見せないのか・・・そう言えば、私に対して笑顔を見せてくれる人はほとんど利害関係がある。銀座のママ、行きつけの料理屋の女将、共同研究をしている先の技術者、学生にご父兄、そして単位を取れそうもない学生・・・。利害関係が無くても笑顔なのは昔の同窓生くらいなものかも知れない。
でも、利害関係の笑顔も悪くはないが、本当ではない。笑顔が人の心をいやすとすれば、それは本当に心と心が通い合った時に自然に顔に出る笑顔だろう。
公共施設はお金に制限があり、必ずしも経営を考えて投資できない面があるが、笑顔はお金がかかるだろうか?
もちろん、お金はかからない。でも「山びこの里」の人の顔は笑顔にならない。それはおそらくは、その人がちから見て宿泊客は人間ではないのか、腹が立つ存在なのか、ともかく仕事にプライドをもてず、働く喜びも感じていないからだろう。
そう、あのタマネギのカレーライスを苦虫をかみしめた顔で運ばれて美味しいと思うお客さんはいないだろうし、それが続けばカレーライスを運ぶ人の顔も苦虫になる。
日本の自然は山紫水明である。実に美しい。私は旅に出るたびに日本の景色の美しさを強く感じる。でもその美しい景色の向こうになにかそれを汚す人の心を感じる。それは時に嫁姑の姿であり、時に山村のボスの怒鳴り声、そして村民のひそひそ話だ。
美しい自然は人の心で汚れる。
(終わり)