― ビール、2、3本 ―
なぜ、海外に行くのか?と聞かれたら、私は迷わず「ビックリする楽しみ」と答えます。20歳代の終わりから何回か海外に行きましたが、折々の印象はみな、ビックリすることばかり、それが楽しみでした。
そんな中で特に印象に残っているのは、海外へ行くようになった最初の頃、アメリカの空港で「短い列より長い列に並ぶ人たち」を見たときでした。
タクシーに乗ってとある空港にたどり着いた私。海外経験の少なかった私は、コチコチに緊張しながらフライトの時間を気にして航空会社のカウンターに急ぎました。
その航空会社のカウンターは3つあり、そこに人が並んでいました。一番、左の窓口には2人、右が3人、そして中央は6人。私は出発時刻を気にしながら急ぎ足で左の方へと向かいましたが、私の前を歩いていた2,3人の人は中央の窓口、人が一番多く並んでいる後ろに付くではありませんか!
それまで日本でしか生活をしていなかった自分。自分には固定観念があったのです。
「窓口で何かをする場合は、空いている窓口を選ぶ」
そんなことは当然で、それ以外のことがあるはずもないというのが、それまでの私でした。
・・・世界には、列が長くでも短くても自分が歩いてきたところに並ぶ人がいる!・・・ということを初めて知った「おどろき」でした。
2番目はロンドン。
午後の4時頃、ヒースロー空港に到着した私たちはホテルに入り、夕食に出かけました。とある町で小さなレストランに入った私たちは、お腹は減っているし、時差で眠たかったので一刻も早くホテルに帰りたかったのです。
でも、事はスムーズには行きません。席に案内され、しばらくしても誰も来ない・・・少しイライラしていたその時に「ボーイらしき人」が盛んに私たちの周りのテーブルを綺麗にしはじめました。
それを見て同僚の一人が「メニューを持ってきて欲しいのだけど」と英語で頼みましたが、そのボーイ、チラッとこちらを見るだけで、一言も言わず、全く無視して黙々とテーブルを拭いているのです。
これこそ「ロンドン」なのです。日本のレストランなら、そこに働く人は全員が店主であり、ボーイであり、時にシェフでもあるのですが、仕事の役割分担が明確に決まっているイギリスでは、テーブルを綺麗にする人はテーブルだけ、料理を持ってくる人は持ってくるだけ、床を拭く人は拭くだけ、なのです。
日本の社会に住んでいる私たちにとっては、どうしてそんな能率の悪いことをしているのだろうと思います、イギリスにはイギリス流儀があるのです。第一、畏れ多くもかつて七つの海を支配した国ですから、それほどバカげているシステムではないのでしょう。謙虚に、そう理解すべきです。
ところで、日本は圧倒的に「曖昧」です。
一杯飲み屋ののれんを分けて、
客 「どこでも良い?」
威勢の良いおばさん 「良いよ、どこでも。好きなとこ」
すぐ熱いおしぼりが運ばれてきます。
席を案内する人、おしぼりを持ってくる人、などという区別はありません。日本では従業員はすべからく店の経営者であり、使用人でもあるのです。つまり、日本で働く時には「職務意識」は不要で、その代わりに「愛社精神」だけが必要なのです。
席について注文の段になると曖昧さは極限に達します。
客 「ビールしようかな」
おばさん 「そう、2,3本、持ってくる」
客 「うん、そうして」
こんな会話はロンドンでなくても世界のどこでも聞くことはできません。
「ビール、2,3本、持ってきて」
と注文したら、間違いなく、
「2本ですか、3本ですか?」
と聞いて来ます。時によってはそれも言わず、明確に言うまで待っていることすらあります。
世界広しといえども、2,3本、などという曖昧な数字が「注文」と見なされるのは日本だけ。いや、2,3本どころか「適当に持ってきて」といっても注文になるのですからすごいものです。
さらに日本のおばさんの偉さは格別です。注文した若者の懐具合、時には中年のおじさんの健康を考えて、どうもお金が無いらしい、肝臓が悪いらしいと思うと2本。今日は飲みそうだと思うと3本という具合に臨機応変なのです。
ところで私は、最近コンビニで「一日の野菜」という素晴らしいネーミングの野菜ジュースを買いました。その時の会話がまた傑作でした。
私 「便利になりましたね。これ一本飲めば野菜がとれるんだから」
レジのおばさん 「でもね。これだけじゃダメ。本物の野菜を食べなければダメですよ。」
どこの国に見ず知らずのコンビニのお客さんの体を心配して叱ってくれるレジなどあるでしょうか!本当に世界で日本だけ。それは、曖昧の国の神髄で、実は日本人は「赤の他人と家族」の区別もつけないのです。
つづく