― 刀のつば ―

 

 10年ほど前、山口県萩市でシンポジウムをやりました。萩市には徳川時代の末期、製鉄を行っていたのではないかと思われる反射炉跡が残っています。煉瓦作りで下の方には炉、そこから2本の煙突が聳えています。

 反射炉の外見は有名な伊豆の韮山の反射炉と同じで、当時の日本では韮山、佐賀、大分などにあったものと同一の技術です。その萩の反射炉が現実に鉄を精錬したのか、あるいは形だけだったのかというのがシンポジウムにおいて解明したいテーマでした。

 そのシンポジウムの話は長くなるので省略することにして、当時、何回か萩を訪問しているうちに有名な「萩焼」を見る機会がありました。大変、素晴らしい焼き物で、私は「いいなあ」と思っておりましたら、市長さんが、
「萩焼というのは朝鮮から伝わってきたのですが、もともとは庶民が使うものを焼いたのです」
と教えてくれました。

 日本の文化を勉強しているとその多くの特徴のうち、
「本来の目的をはずして芸術にする」
という傾向があることを感じます。その一つが刀の鍔です。

 刀は切っ先から手元までなにも障害物がなくすっきりしています。そうしないと相手に致命傷を与えることが出来ません。ヨーロッパで使われたフェンシングの剣も日本刀もすべて鋭い一本の「棒」です。
 
 そのような形をしている刀には必ず「鍔(つば)」が必要です。相手の刀を自分の刀で防いだときに、相手の刀が自分の刀の上を滑ってきて、手先がやられてしまうからです。刀には常に鍔が必要です。

 次の写真はフェンシングの鍔です。鋭い剣を持つところに円形の鍔が見えます。相手の剣が自分の剣の上を滑ってきたときにがっちりと受け止めるには適切な形をしています。この防御とさらに腕に何かを巻いておけば完璧です。

 でも、日本人の感覚は違います。もちろん日本刀を滑ってくる相手の切っ先は厳しいので鍔はいるのですが、その鍔を「機能的」には作らないのです。おそらくは最初はフェンシングのように「何の変哲もない鍔」でしたが、日本の場合はすぐ変わるのです。

 かくして日本刀の鍔は次第に芸術品になり、飾りが付いていく。その飾りも、最初のころは自分の出身を示すしるしや家紋から、次第に変化して芸術的な趣に変わっていくのです。そして最終的には中国の古事にならった絵を描いたりするのです。

 このような日本刀の鍔の変化を見ると、まず「機能的に相手の剣を防ぐ」こと、次に「この刀を使ったのが自分であることを示す」こと、そして「美しく飾る」ことと進み、最後は「所詮、この人生ははかない。この戦いで私は命を失うだろうが、それもそれだ」ということを意味する模様に変って行くのです。

 相手の刀で自分の手を切られると痛い、痛いから鍔はほしい、でも考えて見ると自分が勝つということは相手が死ぬと言うことですし、相手が勝てば自分が死ぬことです。考えてみると自分にとっては自分だが、相手にとっては自分は他人ですし。ところが自分でもなく相手でも無い第三者から見れば、自分が死ぬのも相手が死ぬのもこの世から一人いなくなることだから同じであることに思いが至るのです。

 どちらが勝つかは神様が決めてくれる、この世の最後になるかも知れないこの戦いに臨むにあたって運悪く自分が死んだときには心おきなく死にたい、だから戦いに出るときにはいかつい武士も薄化粧をして、そして死地に臨むのです。

 戦いに臨む時の日本人の心境は、あらゆる物に対する日本人の感覚と通じているように感じられます。刀の鍔の形を変えていくのもそうで、日本の建築物も同じです。

 日本の木造建築技術は素晴らしく、すでに奈良時代に法隆寺を作り、後に木造建築で世界最大東大寺大仏殿を建てるだけの力がありました。でもそれから何世紀も経つと、日本の木造建築は「茶室」になるのです。

 建築技術はあたかも「退化」したように小さく小さく、ムダを省いて行きますし、貴族や殿様の屋敷も豪華で巨大な建築物を作る方向には進まないのと同じ特徴なのでしょう。日本の技術はあくまでも「心」に向かい、実用はさげすまれるものと考えているように思われます。

 刀の鍔も、萩焼も、そして木造建築物も、日本人は実用品を美術品に変えていく・・・人生のその瞬間瞬間が良ければそれで良いというのなら、頭が痛ければアスピリン、コストパフォーマンスならカムリ、ご飯を食べる時には萩焼でよいのです。

 でも日本人は常に全体を見て、直接的な判断を避け、私の目の前にあるものが結局はどういうものか、私の人生にとってなんなのかを直感的に描いているのでしょう。

おわり