― アスピリン ―

 

 自然のものは体に優しく、人工的なものは「化学物質」という名前で忌避されるのが昨今の風潮です。薬で言えば漢方は体に優しく、合成新薬は何が起こるか判らないという感覚もそれと同じでしょう。

そんな風潮の中で「アスピリン」という薬ほど悪名高い薬はないと思います。確かに、効果は抜群で、熱は冷ましてくれるし痛みは取れる。でも、ものすごく胃が悪くなるのです。薬効もすごいが副作用もすごい、さすが「化学物質」だと納得してしまいます。

 この薬は近代的な有機合成の技術を使ってドイツのバイエルと言う会社が開発し、110年ほど前の1897年に売り出したものです。熱を冷まし痛みを抑えるこの鎮痛剤は、発売と共に爆発的に売れて人類史上、もっとも使われた薬と言われています。化学構造は下の図のようなもので、アセチルサルチル酸と言います。


アスピリンことアセチルサルチル酸の化学構造

 ドイツはせっかくこのすごい薬を発明したのに、それから10数年経って第一次世界大戦が始まり、ドイツはイギリスやフランスの連合軍に負けました。「勝てば官軍」ということで連合軍はドイツに膨大な賠償金を課すと共にドイツが発明したいろいろなものを取り上げたのですが、その一つがアスピリンでした。

 隣の芝生は美しく見え、隣で食べている人のものは美味しく見えます。だから連合国もドイツが開発したアスピリンには魅力を感じたのでしょう。戦利品として科学の発明品まで、かっぱらってしまったのです。いつの世でも、戦勝国というのは酷いことをするもので、第二次世界大戦後の東京裁判もその典型的なものです。

 アメリカ軍は広島、長崎に原子爆弾を落として多くの市民を殺したのに、それは問わず、日本軍が行ったそれよりずっと小さな犯罪を問うたのです。それは「私たちは勝ったのだから、負けた方の首を取るのは当然だ」という論理に近代的な衣をかぶせただけです。だれが考えても第二次世界大戦におけるもっとも大きな罪は原子爆弾の投下であることは間違いないからです。

 ところで・・・・

 その後、この連合軍に連れて行かれたアスピリンはアメリカで大流行し、1930年代には「アスピリンばかり飲んでいる、アスピリン・エイジ」という世代が生まれたほどでした。現在でも日本人が消費するアスピリンが年間300トン程度なのに対して、アメリカ人はその50倍の1万5000トンも飲みます。

 ここで注目したいのは、なぜアメリカ人は日本人の50倍もアスピリンを飲むのだろうか?ということです。アメリカの人口は日本の2倍なので、一人あたりに直すと、25倍も飲む計算になります。つまり、もし日本人が一ヶ月に1回、アスピリンを飲むとすると、アメリカ人はほとんど毎日飲んでいることになるのですから、この25倍という数字はすごいのです。

 アメリカ人がなぜこれほどまでにアスピリンが好きかというと、「痛みを取り、熱を冷ましてくれる」からです。多少の副作用があろうと、そんなことより当面の痛みが無くなる方が大事だ、とアメリカ人は単刀直入に考えます。だから頭が痛いとアスピリン、熱がでるとアスピリンということになるのです。

 ところが、日本人は正反対。確かに頭は痛い・・・今日はせっかく外でデートをする日だ・・・でも頭が痛いということはきっと何か原因があるだろう・・・もし風邪なら外に出ないで家で休んでいた方が良いし、もし、くも膜下出血ならすぐ病院に行かなければならない・・・アスピリンを飲んで痛みだけ無くなったらかえって原因がわからなくなる・・・と考えるのが我々です。

 頭が痛ければ痛み止めを飲むアメリカ人と、その原因を知ることが大切だから少しの痛みは我慢しようと考える日本人。ずいぶん、考え方が違うものです。

 どちらが合理的かは難しいところです。真の原因を確かめずに、ただ対症療法で満足するアメリカ人はいかがなものかと思う人もいるでしょう。でも、日本人は風邪薬で「元を断とう」としますから、自分で治す力はつきません。

 これに対して、アメリカ人は「痛いときだけ薬に頼り、風邪の本体は自分の体の力で直そう」とするのですから抵抗力は増大します。実はアメリカ人の方が良く考えているかも知れないのです。

 鳥インフルエンザの問題で、アメリカ人はインフルエンザでは病院に行かないと言う話がテレビで紹介されていました。インフルエンザはウィルスが引き起こすものであるため、今のところウィルスに効く薬はなく、病院に行っても手当はできないからです。

 ところでこのシリーズではアスピリンやインフルエンザの話をしようとするのではありません。アメリカ人がアスピリンを飲み、日本人が風邪薬を飲むという「アスピリン現象」と日本人のあいまい文化とが深く関係しているからです。

 日本人というのは常にものごとの「本質」を見ようとします。そして、日本人が見ようとする「本質」とは、目の前にある物の「物質的な本質」ではなく、もう少し遠い、その奥に潜む本質のように思えます。

 頭が痛い・・・これはきっと風邪を引いたに相違ない・・・鎮痛剤を飲むより元を断たなければダメだ・・・風邪薬を飲むより寝ていた方が良いのじゃないか・・・ともかく卵酒でも飲んで今日はゆっくりしよう・・・(しばらくして)・・・考えてみれば俺の人生もいろいろあったな・・・風邪をこじらせて肺炎になってお陀仏か・・・それもそれで人生だ、ああ頭が痛い・・・

 というように論理は曖昧に、そしてエスカレートするのです。頭が痛いのを考えている内に、それはどこかに飛んでいってしまい、すぐ人生論になり、そのうち「どうでもいいや、どうせはかない命だから」となるのが日本人の思考ルートなのです。だからアスピリンのような「すぐ治る」「目の前の困難を排除する」というのを嫌う、実に日本的です。

ところで日本人の多くが「アスピリンは合成医薬で副作用が強い」と錯覚していますが、アスピリンは実は漢方のような生薬で、天然物です。

 その昔、歯医者が無かった時代がありました。実は、歯医者さんほど偉い人はいません。あの耐えられない痛みを何とか抑えてくれるのですから、素晴らしい職業です。もし歯医者さんがおられなければ、私の人生はどうなっているでしょうか? あの痛み! 歯が痛み出したら最後、痛みをこらえて毎日を過ごし、夜、床につかなければならない、それが死ぬまで続く・・・と考えるとゾッとします。

 そこで歯医者さんのいなかった昔の人は天然にあるもので何とか歯の痛みを減らそうとしました。そしてある時にヤナギの枝を噛むとなんとなく歯の痛みが消えるような気がして、歯が痛むとヤナギの枝を噛んでいたのです。

そのうち、「爪楊枝」ができて、ヤナギの枝で作るようになりました。

19世紀になって科学が発展し、
「ヤナギの枝に鎮痛作用があるのは、枝の中にサルチル酸があるからだ」
ということが判りました。でもサルチル酸をそのまま使うとすごく胃を痛めるので、ドイツのバイエルに勤めていた若き化学者のホフマンがサルチル酸をアセチル化して作ったのがアスピリン(アセチルサルチル酸)というわけです。

だから、アスピリンは「自然からとった優しい薬」なのです。

つづく