マスコミはなぜ、間違ったのか?

 「ダイオキシンは猛毒だ」
という世紀の大誤報を、なぜマスコミはしてしまったのだろうか?それも一人の記者が功を焦って間違った報道をしたのではない。国を挙げ、マスコミを挙げての誤報だった。

 間違ったことをしてもマスコミだから謝らないが、これが普通の会社だったら、社長以下が頭を下げる例のシーンがテレビに映るはずである。国民を不安に陥れ、多くの税金を使い、そしてダイオキシンの排出に関係する会社を罵倒したのだから、その罪は大きい。

 でも、この現代の日本、情報が公開され、科学が進み、自由な発言が許されている日本で、どうしてこんなに長い間、堂々と誤報が許されているのだろうか?マスコミはなぜ、間違ったのだろうか?

 鄧小平の言葉を思いだしてしまうが、「黒い猫も白い猫も、猫は猫だ」という言い方を借りれば、「悪いマスコミも、良いマスコミも、マスコミはマスコミだ」ということになるだろうか。

 現代の日本のマスコミには2つの系列がある。一つは、「真実を伝えるより、社の方針を優先する」というマスコミであり、もう一つは、「できるだけ真実を伝えたいが、真実そのものではなく、社会が容認する真実を報道する」というマスコミである。

 真実を伝えることにはあまり興味がなく、会社の方針がハッキリしていて記者はそれに従って取材し、報道するタイプのマスコミがある。そのようなマスコミが私のところに取材に来られて、最初に記者の方は次のように言った。

 「先生に取材をさせてもらいますが、記事にはなりません。」

 後でこの話をしたら、ある人が「そんな失敬な記者なら追い返したら良いじゃないか」と言ってくれた。私はそうしなかった。その記者に少しでも残っている記者魂、マスコミ魂に期待した。もちろん、ダメだったが。

 「ダイオキシンは猛毒だと報道した方がよい」という事になると、記者が取材した段階で「猛毒だ」という専門家と「毒性は不明だ」という人がいたとしても、猛毒だという方だけ報道する。

 ダイオキシンばかりではないが、一般に毒物かどうかという判定は難しいので、異なったデータが出るし、違う見解が示される。その時、真実とはそのままを報道することだから、最初の頃から言われていた、「ダイオキシンの毒性は弱いかも知れない。日本の水田や焼却場では大量に発生していたのに発病しない」という見解も報道すべきである。

 このことは、太平洋戦争の直前、日本の新聞が「上海事変とその後の日本軍」について事実と異なる報道をして、それがある意味では太平洋戦争の300万人の犠牲者につながった事実を思い起こす。

 上海を占領した日本軍の多くは厭戦気分が漂い、中国の奥地まで攻め入る考えは無かった。また参謀本部も上海の近くに「これ以上、奥に進軍してはいけない」という線を引いていた。

 その時、マスコミは一大キャンペーンをやった。「上海陥落!」「一撃で支那は崩壊する!」「万歳!」「現地軍、意気盛ん」という訳である。「事実」は「捏造」され、内地では提灯行列が行われ、日本中が戦勝気分に浸ってしまった。

 日本人だから日本が勝つのは嬉しい。だから「上海陥落、いざ、南京へ」というのは人の感情を撫でる。それを新聞は狙ったのだった。かくして歴史的には現地軍の暴走とされた日中戦争が開始された。

 日本が作った傀儡政権の満州国も、時の政府は反対だったが、大新聞は「兵士を見捨てるのか!」との論陣を張り、国民を扇動した。罪は深い。

 1990年代の日本のマスコミが仕掛けたダイオキシン大誤報とその騒動は本当に上海から南京への軍事行動を起こした当時に似ている。「事実」が「捏造」され、それ以後は誰も抵抗できなくなってしまうのである。

1) マスコミが「このように報道しよう」と決める。マスコミが決心するのは「お金(販売部数や視聴率)」である。
2) 報道する方向の事実だけを取材し、それを事実と強弁する(上海にも少数だが、好戦派はいたし、ダイオキシンもデータが無くても猛毒だという少数の専門家はいた)。
3) 国民がマスコミを信じて、作られた事実を支持する。
4) 政治家は票があるから国民が支持したものをそのまま支持する。
5) 官僚は政治家が指示したことを支持するのが役目であるので、支持する。
6) かくして、誰も賛成では無いことが、あれよあれよという間に進む。

 上海事変から第二次世界大戦までこのような手順で行われた戦争で日本人300万人が死んだ。それから見ると、ダイオキシンの場合は膨大な税金が使われただけで、不安に駆られて自殺した人が出なかったのが幸いだった。

 上の1)から6)の手順は今後も使われるだろう。ポイントは2)である。もし取材する記者に魂があり、専門家としてのプライドがあるなら、たとえ社の中での出世を犠牲にしても、国民に真実を伝えてくれるだろう。

 記者という職業は、医師や一級建築士と同じ「専門職」であり、それであるが故に、「雇用者の利害に基づくのではなく、不特定多数(情報を受け取る国民)に忠誠を誓う存在」だからである。

 姉歯一級建築士もお金に負けて専門を捨てた。

 新聞記者の皆さん。もう一度、取材してダイオキシンに関する真実を同じような規模で大々的に報道して貰いたい。それが記者魂であり、専門職のプライドだと私は思う。

おわり