昨日までたき火をして焼き芋をほおばっていたのに、今日から「ダイオキシンが出るからたき火は危ない」というのは、いかにも「頭でっかち」な判断で私は納得できません。
人間の生活の中で一番、信頼ができることは頭で考えることではなく、「これまでずっとやってきたこと」です。突然、「肉にお塩をかけて焼くと死ぬ」というのに等しいダイオキシンの危険話には違和感がありました。
タバコを吸いながら「ダイオキシンは猛毒だ。高分子を燃やすとすぐできるから、プラスチックを燃やしたらダメだ」と言っている方を見るにつけ、「タバコの葉も高分子なのだが・・・」と思ったりしていました。
そして架空のダイオキシン毒物伝説で、日本の庶民はどのぐらい税金と時間を使ったでしょうか?研究費だけでも膨大ですし、焼却炉を入れ替え、住民が文句を言うからというのでダイオキシンの分析にも巨額な税金が使われました。志のあるお役人は苦々しく思いながらも抵抗できずに流されていったのです。
おとぎ話のようなこの事件は何を語っているのでしょうか?社会現象に深く切り込んでみます。
ちょうどその頃、私自身も似たような体験をしていました。私が20年来、学問の成果を発表してきた学会で「ペットボトルのリサイクルは余計に石油を使う」と言っただけで「売国奴!」と罵倒されたのです。歴史的にはナチスやソ連の社会と同じような「環境全体主義」が行き渡っていたのです。
ドイツ人がナチスを受け入れたのは第一次大戦後の耐え難い社会情勢でした。それを打破するために何か特別な運動が必要とされ、それがヒトラーの台頭、ユダヤ人の虐殺などにつながっていきます。
それと同じように、冷静になれば誰が見ても非合理的なリサイクルやダイオキシンに庶民が判断を間違ったのは、いわばヒステリー状態に陥っていると私は考えました。リサイクルやダイオキシンはその代償に過ぎない、そう思ったのです。
そこで私は「エコロジー幻想」という本を出し、そこで「物の時代から心の時代」という一文を書きました。幸い、その文章は文学者の目にとまり、高等学校の国語の教科書に採用されたので、私としてはやはり同意する人がおられるという感触でした。
人間は、300年前、貧しく哀しい時代を過ごしていました。それが近代科学という武器を持ち、僅かの間に豊かな生活を手に入れたのです。そして、すでに1972年には日本は「物質はもう良い」という状態でした。
そのことを如実に示すのが鉄鋼の生産量で、下のグラフに示すように1972年を境にピタリと動かなくなりました。実に見事な変化です。鉄鋼といえば「物」の代名詞のような存在で、建築物も自動車もテレビも鉄鋼がなければできません。それがピタリと止まったのです。
それから日本社会は何度となく「心」を求めました。政治関係で言えば「ふるさと1億円」「大型レジャーランド構想」などもそれに当たります。ただ、心というのは「1億円」でも「大型構想」でもなく、もともとお金で勘定したり、大規模に行うこととは質的に違うものなのです。
結局、1970年代から1980年代にかけて、庶民は心を求め続け、それが逆にバブルになり、崩壊しました。でも何とかしたい、何とかしなければ私たちは精神的に参ってしまう・・・その悲鳴がダイオキシン騒動・・・もう、イヤだ。次々と危険なものが出てくるのはイヤだ。止めて欲しい。私たちの願いがわからないのか!との声が聞こえてきたのです。
ダイオキシンは「もう、いろいろと新しい物を造り出すのは止めてくれ」という庶民のシグナルであり、ダイオキシン自身の毒性を言っているのではないと私は思っていました。有吉佐和子さんの農薬から始まり、食品添加物、ダイオキシン、そして環境ホルモンに至る騒動はすべて科学としては架空でしたが、庶民の希望は強かったのです。
私は「エコロジー幻想」「二つの環境」などを執筆し、研究では「自然に学ぶ、伝統に学ぶ」という新しい分野に入り、何とか解答を見出そうとしました。
その結果、私の今の結論は、「日本の自然を活かした国土作りと日本の伝統的な生活スタイル」こそがダイオキシン騒動に見られる庶民の願いだろうと信じるに至っています。
もし、人口を減らし、農業を盛んにし、食べ残しを止め、都市を大改造し、新幹線の速度を落とし、教育にゆっくりとしたお金をかけ、風通しのよい居間で夏の昼を過ごすことができるようになったら、ダイオキシンやリサイクル、地球温暖化騒動は自然消滅すると私は考えます。
今の日本には「力」があります。この力は産業や経産省が努力していただいたおかげですから、これからの方向と相反する所もあるのですが、現実的には環境を改善するには力が必要です。
そこで、将来の日本の姿をハッキリと描いて、大きな公共投資を行い、日本の豊かな自然の中で暮らせるように大転換をするべきだと思います。幸い、人口が減っています。人口が減るのもそれなりの理由があり、この国土で心豊かに生活できるための適正人口まで減らそうと日本民族が無意識に行動していると私は解釈しています。
明日から、ダイオキシンもリサイクルも地球温暖化もさっぱり忘れ、環境の運動をされている方も含めて、次世代の子供達のために日本を大改造し、明日の日本を作る運動が始まればと願っています。
つづく