そこは冬になるとロッキー山脈からの風が吹きすさび、すさまじい寒気が覆う高地だった。そして夏には内陸性気候であるが故に、今度は熱風と灼熱の太陽が居住者を襲った。壮健な人ならこの過酷な地でもその命を保つことができるだろうが、多くの人は突然の不幸に泣いた。
なぜ、アメリカ合衆国ともあろう国がそんなところに「日本人強制収容所」を作ったのだろうか?それも食料を与えられなかったのでアメリカ在住の日系人18万人は自ら作物を植えて飢えをしのいだのだ。
1941年12月、日本は真珠湾を攻撃した。反日感情がことのほか強かったルーズベルト大統領は翌年の1942年2月、日本人の血が16分の1以上の日系人を強制収容所に収容してよいという大統領行政令に署名した。
(この写真はドイツのユダヤ人収容所ではなく、マンザナールの日本人収容所)
収容所はツールレイクだけではなく、同じカリフォルニア州のマンザナールにも作られた。とにかく真珠湾を奇襲して多くのアメリカ人を殺し、有色人種でもあり、さらに何をするか判らない日本人である。その人がアメリカ社会の中でどんなに実績を積んでいても、また貢献していても、日本人の血が16分の1混じっていれば収容所行きだったのである。
両親の内、一人が日本人なら2分の1,4人のお爺さんお婆さんの一人の場合は4分の1だから、16分の1というと曾爺さん、曾婆さんの一人まで遡るのだから、アメリカ人の不信感も相当なものである。
今から20年前。私はハワイの国際学会に出席していた。海外で行われる学会の多くは昼間は発表、夜になるとディナーが催される。ゴードン・リサーチ・コンフェレンスのような厳かな勉強会では、昼はカヌーや乗馬、夜になると勉強会という優雅なものもある。
何しろ、白人貴族の社会だから貧乏だった日本人の風習とはかなり違う。学問も大切だけれどもともと科学などは趣味でやるものだからゆっくりと風景を楽しみ、食事をして歓談し、その合間に学会でもやろうかという事である。
ディナーの私のテーブルには8人ぐらいの人がいて、ほとんどヨーロッパ人だった。もしかすると私以外はみんな顔見知りでその中に変な外国人が一人入ったのかも知れない。日本人は欧米のソサイアティーではやはり異質で奇妙な人たちなのである。
しばらくして、テーブルを囲んでいた一人で品の良いご年配のご婦人が私にドイツ語で話しかけた。片言しかドイツ語が判らない私は聞き返したら、隣に座っていたおそらくは彼女の息子が英語で説明してくれた。
「彼女が言ったのは・・・あなたは日本人なのに何でそんなに優しい顔をしているのかって。彼女は神風のことを知っているので日本人はみんな鬼のような顔をしていると信じているんです。私たちはオーストリアの山の中に住んでいるので、彼女もアジアのことはほとんど知らないのですよ」
その男性は少し恥ずかしそうにそう言った。おそらく彼自身は日本人をある程度、知っているのだが、ともかくそのご年配のご婦人が言ったことをそのまま伝えようとしたのだと思う。私は、
「なるほど、そうかも知れませんが、日本人はみんな私と同じような人ですよ」
と答えた。
江戸時代が終わって初めて世界に登場した日本人は、日本刀を腰に差して毅然としている人たちだった。時に「切腹」をするほど肝が据わっていた。
次に日露戦争の二○三高地に突撃する日本兵と日本海海戦でバルチック艦隊に大勝利した連合艦隊である。日本人は必死に戦ったから、いずれも別に普通のことなのだが、戦いの結果だけを聞くヨーロッパ人にとってはこれもまた気持ち悪い日本人の印象を深めただけだった。
二○三高地ではロシア陸軍の機関銃が向こうから撃ってくるのに日本兵は平気で突撃する。その後ろに人格高潔な乃木希典大将が控えている事など判らない。ロシア兵は「死ぬのを判っていて、何回も何回も突撃して来る日本兵というのはどういうのだろうか?」と訝った。
日本海海戦も同じである。まさかヨーロッパで第一級のバルチック艦隊に、数十年前まで丁髷を結い、刀を差し、木の船に乗っていた民族が、大規模海戦で勝つはずもないからである。ところが日本艦隊はほとんど無傷、ロシアの軍艦は殆ど全部、沈んでしまった。魔物以外の何物でもない。
それに加えて太平洋戦争の時の特攻隊が強烈な印象を与えた。「日本人は鬼だ」と思ったのも無理はない。その点、「垂れ目の私」はそのご婦人にとっては意外だったのだろう。
第二次世界大戦でアメリカが16分の1の日本人の血を持つ自国民を収容所に入れ、同じく戦っている相手であるドイツ人やイタリア人は収容しなかったという歴史的事実には、それまでの日本人の責任もある。でも、それは一部であり、やはり主な理由は日本人が有色人種だからだろう。
歴史認識とは何か、戦争とはどういうものなのか?私たちが明治以来の日本の戦争について、その正しい評価をするまでには多くのことを知り、そして議論しなければならないだろう。
つづく