― 茶髪主義 (4) ―
さて、いよいよ「第二期の評価」に入りたい。第一期の明治維新から日露戦争までは日本が白人の支配からの独立を維持するために戦ったと言ってもあまり反論は無いだろう。
また第三期の太平洋戦争も個別の戦闘の内容では行き過ぎが見られたが、それと戦争全体の是非の話は切り離しておいた方が良い。なんと言っても有色人種が白色人種の主要国に単独で宣戦布告したこと、それによってアジアの植民地解放戦争が加速されたという日本の功績を認める方がまともである。
ところが日韓併合から南京攻略までの1910年から1937年の歴史はよくよく吟味しなければならない。日韓併合は他国を占領する事であるし、第二次上海事変から南京攻略に至る過程は、少なくとも現在の判断では「悪いことをした」ということだからである。
つまり、第二期の日本は「軍事的にやりすぎた」という前提から出発したいと思う。歴史を考えるのだから、本当は悪いとか良いとか言う先入観が無いところからスタートするべきなのだろうけれど、それでは反発が強いだろう。
最初の段階で感情的な反発を受けるとその後の議論を冷静に保つのが大変になるのでやや反省気味に検討に入る。まず、日韓併合の時代、東アジアを中心に何が起こっていたかを整理したい。
フィリピンは1565年にスペインのミゲル・ロペス・デ・レガスピが総督に着任、約300年にわたるスペイン植民地を経て、1898年にアメリカに売り渡される。
スペインがアメリカにフィリピンを売り渡したのは「米西戦争」にスペインが負けたからだが、だからといってまるでフィリピンを「白人の商品」のように売り買いするのだから酷い。
インドネシアは1619年にジャカルタがオランダに制圧され、その後350年にわたってオランダに占領される。シンガポールは1824年にイギリスが永久領有権を確保する。
中国は1842年、イギリスとのアヘン戦争に敗れ香港を割譲した。中国(清)は大きな国だったので、完全に制圧されてはいないが、白人の餌食になっていた。
インドシナ(今のベトナム、ラオス、カンボジアなど)は1887年にフランスが占領し、フランス領インドシナと呼ばれた。
つまり、日本から見て南の方は、香港、フィリッピン、インドシナ、シンガポール、インドネシアが全部、白人に占領されていたのである。このことを日本の知識人は知らない!だから、白人を非難しない。
一方、ロシアも19世紀の後半、領土を拡大していた。1860年代には、ロシアはカザフスタン、キルギスタン、タジキスタン、トルクメニスタン、ウズベキスタンを相次いで占領、南方を固めた。
日本の知識人は浅はかだから、もともとロシア(ソ連)は大きな国土を持つ国だと思っているが、実はロシアという国はモスクワとサンクトペテルブルグあたりの国である。
中央アジアやモンゴル、シベリアなどは有色人種の領土だった。
ロシアは共産国(ソ連)になっても、さらに領土を拡大しようとして東へ進出、日韓併合の翌年、1911年にモンゴルを占領して併合した。さらに1922年にはシベリアを併合した。
拡大するロシアにとってヨーロッパの方は自分たちと同じ白人だったので、人種間の争いではなかったが、南にはトルコ、インドがあり、東南は中国、そして東は日本と有色人種の国だった。
トルコは少し前には巨大帝国だったが、ロシアが南下してきた頃には国力が落ちていて、少しずつ国土を狭め、そこにロシアが攻めてきて苦戦していた。
インドはイギリスが占領していたことや、なんと言ってもヒマラヤがあったり、南すぎるためロシアもそこまでは行けなかった。
中国の清は弱っていたとはいえ大国だったから、モンゴルと沿海州を取るのがやっとだった。それから見ると、日本は小さな東洋の国であるため、明治維新からたびたび触手を伸ばしていたが、イギリスとの確執もあって上手くいかなかった。
そして日露戦争に負けて、ロシアは日本の近くへの進出を断念した。もし日露戦争で日本が負けていたら、ロシアは確実に朝鮮半島を占領し、現在でも占領し続けているだろう。
このように、19世紀の終わりから20世紀の初めは、強い国がなんとか自分の支配領域を広げようとしていた時期だった。それが良いか悪いかは議論があるだろうが、日本が日韓併合を行った時、どこもここもそんな状態だったという事実を知っても問題はないだろう。
力任せの併合はさらに続く。中国では1913年にダライラマ13世がチベットの独立宣言をしたが、1935年に共産中国がチベットを併合した。さらに1955年にはウィグル自治区を作り、中国も多民族国家になった。
ところで日本と中国の間には朝鮮と琉球があるが、沖縄と台湾は明の時代に「琉球」と呼ばれるようになり、清の時代になると沖縄を大琉球、台湾を小琉球と呼んで区別するようになっていた。
世界の歴史で強い国の間にある小さな国や弱い国はいつも犠牲になる。ヨーロッパでは北の方ではポーランドやバルト三国がその例であるし、南ではオーストリア、ロシア、トルコに挟まれた地域は常に動乱の中にあった。
アジアでも、朝鮮、樺太、琉球がそうだった。そこに住んでいる人にとってはとんでもないことだが、その隣の大国から見ると「オレの物」と思う。それが人間のダメな所だ。
少しはアイヌ文明を学び「オレの物はオレの物、他人の物は他人の物」という考えがあれば、ロシアも中央アジアを占領しようとはしなかっただろうし、中国のチベット問題も別の形になっただろう。日韓併合も同じである。
つまり、第二期の初期の大事件「日韓併合」についての本稿の評価は、
「日本は世間並みだった」
ということである。日本だけが責められるものでもなく、だからといって優等生ではなかった。
日本の知識人は教育ママのようなものだ。クラスで40人がほとんど同じ成績なのに「なぜ、あなただけすぐ東大受験しないの!」と小学生を叱っているようなものだ。
それは、15年も経てばその小学生も東大を受験するかも知れないが、まだ早い。それと同じで、どこの国もやっているのに日本だけはダメというのは無理だ。もし日本が懺悔しなければならなければ、世界中、揃って総懺悔ならOKである。
でも、最後に朝鮮の人たちのために付け加えたい。同じ事がフィリピンも、インドネシアも、モンゴルも、ウズベキスタンにも言えるのだが・・・
1894年、日清戦争で勝った日本は下関条約で朝鮮が自主独立国であると宣言した。朝鮮は清の「冊封体制」から離脱し、朝鮮の人は喜んで「迎恩門」や「恥辱碑」を倒して「独立門」を立てて独立を祝った。
でも、それは長続きしない。後に朝鮮の人は深く日本を恨むようになる。でも、世界の常識が「占領しても良い」という時に、「日清日露戦争で流した日本の若者の血はどうしてくれる!」という圧力に抗するのは難しい。
私たちは今でも今の常識に生きている。
つづく