― ミサイル発射と靖国の英霊 (2) ―

 

 平成18年7月15日、国連の安保理は、ミサイルを発射した北朝鮮の非難決議を全会一致で採択。日本の新聞やテレビは、それに反論して議場を出る北朝鮮代表朴吉淵(パクキルヨン)国連大使の様子を報道した。

 つづいて、
「ボルトン米国連大使が「今日は歴史的な日だ。安保理が全会一致で決議を採択したのに加え、北朝鮮が決議採択後45分で拒否するという世界記録を打ちたてた」と述べ、緊張した議場内が笑いに包まれた。」
との報道が流れた。

 私はアジアの同胞の一人として、またかつて北朝鮮を併合するという過ちを犯した日本の国民の一人としてボルトン発言はきわめて不快だった。そしてその発言に議場が笑ったということに屈辱を強く感じた。

 今から75年前、日本は中国に進出。鉄道爆破による張作霖爆殺事件をきっかけに、日本軍が軍事行動を開始し「満州事変」が起こった。武力に勝る日本は中国東北部を占領し、清朝最後の皇帝溥儀を傀儡政権の皇帝にたて、満州国建国が宣言された。

 当時の国際連盟は直ちに反応。満州は中国が主権を持っているのであり、日本の占領は不当であるとの決議案を賛成42票の圧倒的多数で可決した。当時、安保理も大国の拒否権もない時代。国際連盟の総会でこの決議案に反対したのは当事者の日本だけ(1票)だった。

 日本を非難する決議案が可決された直後、松岡洋右日本代表は演壇に登り、次のように発言した。「この会議で採択された勧告を、日本が受け入れることは不可能である」。そして松岡洋右は、今回の北朝鮮の朴吉淵代表とまったく同じく席を立って退場したのである。

 その1ヶ月後、日本は、国際連盟脱退を通告した。ここに真珠湾攻撃、ガダルカナルでの玉砕、特攻攻撃、沖縄戦、東京大空襲、そして広島・長崎への原爆投下と続く太平洋戦争に至るのである。

 日本人の多くは、今、北朝鮮のミサイルに反対し、指導者を非難し、国連では先頭を切って北朝鮮の非難決議を通した。でも、日本は73年前にまったく同じ行動をとったのである。

 当時のヨーロッパ、アメリカは現在、北朝鮮を非難するのと同じ論理で日本を非難した。でも日本はなぜ、中国に進出して満州国を建国し、国際連盟を脱退したのだろうか?それは「間違っていた」のだろうか?

 靖国の英霊に報いること、それは二度と再び戦争を起こさない不戦の誓いであるなら、ただ北朝鮮を非難し、日本の昔は間違っていたと短絡的に考えるだけではなく、よくよく考えてみなければならない。

 当時の日本は明治維新以来、必死に国作りを行ってきた。天皇を国作りの頂点に戴き、アジア・アフリカ・南アメリカなど有色人種の多くの国の中で、ほぼ唯一、独立を保ち、それが現在の日本の繁栄と深く関係している。

 ベトナムは長くフランスの植民地となり、第二次世界大戦で戦場となって一時は日本が占領し、その後再び進出してきたフランスから独立するためにホーチミンが死闘を繰り返し、最後はアメリカとの間の「ベトナム戦争」へと続いた。

 今、ベトナム人は日本人の10分の1以下の生活水準を強いられている。あの優秀なベトナム民族が日本の10分の1で甘んじているのは、もっぱら「独立が遅かった」ということであり、ヨーロッパ人の収奪が原因なのである。

 「戦前の日本は間違っていた。でも、今の豊かな日本の生活はありがたい」というのはあまりに身勝手なのだ。戦前の日本は国際連盟に非難される以外の方法はあったのだろうか?

 日清戦争、日露戦争の日本海海戦、旅順攻略、日中事変、太平洋戦争・・・どこが間違っていたのだろうか?軍事力を高めずして日本の独立を守ることができたのだろうか?

 当時の日本と現在の北朝鮮はあまりに似ている。そして現在、北朝鮮が苦しんでいることの原因の一つは日本が北朝鮮を併合していたからでもある。本当に、日本がヨーロッパやアメリカと歩調を合わせて北朝鮮を追いつめて良いのだろうか?

つづく