― ミサイル発射と靖国の英霊 (1) ―

 

 2006年7月5日、払暁。北朝鮮はミサイルを発射した。朝6時のニュースで日本海に落下した数発のミサイルの内、一発は新潟県沖、わずか50キロメートルに落ちたと報道されて、後に修正されたが少し間違えば新潟市に落ちて多くの死者を出しただろう。

 徳川幕府が倒れ、明治の時代が開けた。時代が変わる原因はそれほど単純ではないが、その一つに「外圧」がある。すでに16世紀からヨーロッパによるアジア・アフリカ・アメリカ諸国に対する軍事的侵略が続き、有色人種の国で白色人種の支配下にない国はほとんどなかった。

 徳川幕府のような「穏やかな国家制度」はその激流に対抗できず、明治の時代に入ったと言っても良いだろう。幕末には薩英戦争、下関戦争はあったもののヨーロッパとの直接的な対決は避けられたが、明治の終わりには日清、日露の戦争があり、日本は軍事主導の国家へと変貌していく。

 二〇三高地に代表される日露戦争における大陸での戦死者も膨大であったが、やはり決定的だったのは先の日中戦争および太平洋戦争であり、日本人だけで300万人と言われる犠牲者を出した。

 日本人はそれ自体で一つの生命体である。同胞というのは同じ血が流れている。今流で言えばDNAの共有である。だから貴様と俺は兄弟であり、だからこそ自らの命を投げ出しても国を守る。国を守るということは自分や自分の家族を守ることなのである。

 自分の体でもそうだ。人間の体というものは細胞でできているが、細胞一つ一つはそれ自体で生命であり、独立している。だから人間の体の一部、たとえば髪の毛を切っても人間は生きている。心臓を刺されたら死ぬのは細胞に血が行かなくなるからで、心臓が死ねばそれだけで足が死ぬわけではない。心臓が死んだ瞬間に人工的なポンプに替えることができれば死なない。

 日清戦争から太平洋戦争まで、日本の同胞のために自らの命を投げ出した兵士は今、靖国に居る。彼らはなぜ、自らの命を日本のために投げ出したのだろうか?それは兵士だから、軍隊だから、徴兵されたのだからと言う理由だけでは不十分である。

 彼らは自らの身を捧げて日本を守ろうとした。私でもそうしただろう。目の前で妻子が殺され、あるいは餓死するのを座視することはできない。それよりも戦って死にたい。

 日清戦争から太平洋戦争まで、日本はなぜ戦ったのか、なぜ戦争したのだろうか?それは「ヨーロッパやアメリカからの圧力に対抗するため」であり、それが成功してアジア・アフリカ・南アメリカのほとんどの国が植民地になったのに日本だけが助かった。ほとんど「日本だけ」と言っても過言ではない。

 太平洋戦争の直接のきっかけになったのは「敵が攻めてきた」ためではない。ABCD包囲網という「経済制裁」である。当時、ヨーロッパやアメリカの狙いは二つあった。一つが軍事的に強力になる日本を牽制すること、第二にアジアが強くなることは白人にとって都合が悪いからである。

 白人側は日本の言い分を理解することができなかった。確かに明治のはじめには日本は独立に必死だったかも知れない。でも1922年のワシントン海軍軍縮条約では、アメリカ、イギリスに対して日本の海軍力を6割にすることが決まったが、それでも日本は「世界の列強」の仲間入りをしていた。

 それにも拘わらず、朝鮮半島、台湾を併合し、満州に傀儡政権を作って中国に進出する日本の「大義名分」が理解できなかったのである。日本は日本で言い分があったが、白人の国には理解できないことだった。

 「経済制裁」がきっかけとなって太平洋戦争が始まった。きっかけは「経済制裁」である。経済制裁は直接的に軍隊を出すのではないからマイルドのように思う。経済制裁をする方は豊かな国だからそう思う。でも経済制裁を受ける方は、「自分が正しい」と思っているのに、経済制裁によって「妻子が餓死する」ということになる。

 食糧や資源がない国にとっては経済制裁とは餓死を意味することもあるし、また防衛できなくなり、たちまち他国に占領される危険性も生まれてくる。だから「経済制裁は宣戦布告だ」と言っても良い。

 そこで日本は真珠湾を攻撃、太平洋戦争に突入し、その直後、イギリスの東洋艦隊のプリンスオブウェールズとレパルスという二大戦艦を撃沈した。その攻撃に参加した日本海軍のパイロットは「軍人とは死ぬか死なないかではなく、いつ死ぬかだ」と言っている。

 確かに戦争が始まり、何回も出撃していればそのうちいつかは死ぬ。つまり戦争がある程度、長く続く場合は「出征とは死ぬこと」と同じなのである。レパルスを撃沈させた日本軍パイロットは台湾沖航空戦で戦死し、今は靖国にいる。

 彼らが命をかけて守ったのはABCD包囲網による日本に対する「経済封鎖を解かせる」ことだったのである。

つづく