― 玄関の鍵 ―

 

 今から15年ほど前のことですが、その頃、私は地方の研究所にいました。仕事がら20代の可愛い美人の秘書をつけていただいていていましたが、彼女は研究所から車で30分ほど山の方に行ったところに住んでいました。彼女は高等学校を出て会社に入り、暫くしてご縁があって私の秘書になったのです。

 彼女はノンビリとした日本の田舎育ちでしたから、外国人がひっきりなしに来る最先端の研究所の秘書になってから、ずいぶん戸惑っているようでした。そんな彼女とのやりとりで、私が記憶していることの一つに「キャンセル」があります。

 当時、私は忙しく、予定が次々と変わるものですから、予約している航空機の切符やホテルのキャンセルを次々と彼女に頼むのです。そうすると彼女は「そんな悪いことはできない」と言い、とても嫌がるのでした。

 すっかり欧米化した頭にはキャンセルするのはいわば当然ですが、確かに日本文化の中には無かったかも知れません。私の小さい頃にはキャンセルするのは失礼だという気持ちがあったのは確かです。

 そんな彼女とも何とかやっていましたが、ある時、なにか時間が空いたのでしょう、私は彼女に「どんなところに住んでいるのか」、「学校はそこからどうして行ったのか」というようなとりとめの無いことを聞く機会がありました。

 その時、彼女がどういう話になったのかは覚えていませんが、
「・・・ええ、玄関に鍵なんか掛けたことありません。私の部屋の窓も掛けません・・・」
と言った時には驚いたものです。
「えっ!若い女性の部屋なのに鍵も掛けないの?!」
と私が言うと至極、当然のように、
「生まれてこの方、窓の鍵などを掛けたことなんか、ありませんよ・・」という。

 確かに今でもほとんどの日本の玄関には鍵を掛けないでしょう。朝、起きると玄関を開け、気候の良い時にはそのまま玄関を終日、開けっ放しにしておくのが普通です。玄関から道路までの数メートル、左右にツツジやアオキなどが植えてあって、四季折々に美しいのが日本の玄関です。

 私は今、名古屋に住んでいますが、名古屋の市街から30分も中央線沿いに行くと、そこには玄関の鍵を掛けていない民家をいくらでも見ることができます。そんな素朴で安全なところがすぐ近くにあるのですが、市内では毎日のようにひったくりが報じられ、玄関の鍵は2重にしてチェーンまで掛けるという有様です。なんということでしょうか!

 なぜ、玄関に鍵を掛けなければならないか?それは強盗や空き巣狙いがいるからです。本当はそんな奴がいること自体が間違っているのです。人間だから良い人もいれば悪いのもいる。だから仕方がないのです。
「浜の真砂が尽きるとも世に盗人の種は尽きまじ」
と辞世の句を詠んだのは石川五右衛門ですが、浜の真砂が尽きないと「悪い奴」がいなくならないということは永久にいるということでしょう。

 ところで・・・・・・・・・・・ここまでは前提のようなものです。

 横田めぐみさんのお母さんがブッシュ大統領にお会いして娘を帰してもらうのに力を貸して欲しいと言ってきたニュースがテレビで盛んに報じられました。私はそれを観て複雑な気持ちがしました。いくらブッシュが強いからと言って同じ日本人の横田めぐみさんを自分たちで助けられないことにふがいなさを感じたからです。

 横田めぐみさんばかりではなく、北朝鮮に拉致された人がみんな帰ってくれば本当に嬉しいことです。一刻も早く北朝鮮は決意をして拉致した人を帰して欲しい、私はそう思っています。でも、すこし違う視点から私の気持ちを話したいと思います。

 横田めぐみさんが拉致されたのは1977年ですから、今から約30年ほど前です。最初の拉致事件はめぐみさんが拉致される14年前、石川県で起こっていますし、韓国では実に486人の人が拉致されていると言われています。日本の警察はある時期から、秘密裏に日本海沿岸のパトロールを強化したり、不審船の発見に努めていましたが、あまり国民には呼びかけませんでした。

 新聞が拉致の疑惑を大々的に取り上げたのは1980年の産経新聞で、それまで日本海沿岸で行方不明事件が多発していることすら国民には知らされなかったのです。なぜでしょうか?これほど発達しているマスコミがあるのに、だれに遠慮してこの重要な事実を報道しなかったのでしょうか?

 それから30年。横田めぐみさんのことでマスコミは大騒ぎです。そして、北朝鮮は酷い、人間とは思えない!と悪し様に言っています。確かに幸福に過ごしている人を突然、隣国が国家をあげて拉致するというのは異常です。

 でも、めぐみさんの本当の幸福は「拉致されないこと」だったのではないかと私は思います。

 世に泥棒がいる、泥棒がいるからものが盗まれる、という人がいるでしょうか?先月は隣の家に入った、今月は自分の家が狙われている、とんでもない奴だ!と怒ってばかりいて、家に鍵を掛けなければ、どうなるでしょうか?

 世の中には悪い人はいるのです。だから「泥棒が悪い」と声高に言うのは結構ですが、それはすこし順序が違い、自分の家の玄関の鍵はしっかりかけ、その上で「泥棒が悪い!」と言うのが適当だと思います。

 玄関に鍵もかけず、ただ「泥棒が悪い」「なぜ、泥棒がこの世にいるのだろう」などと言っても被害を受けるのを防ぐことはできないのです。それと同じで、日本海沿岸で行方不明の人が連続して発生していたのですから、新聞やテレビは毎日のようにそれを報道して、沿岸の人に注意するように呼びかけ、警察は国を挙げて沿岸警備をするべきだったではないでしょうか。

 その頃はまだ北朝鮮が組織的に拉致しているかは判らなかったかも知れませんが、それも、「犯人がハッキリしていないので鍵をかけない」と言っているようなもので理屈にもなりません。

 日本海で続発する行方不明が北朝鮮によるものか、他の国か、それとも日本の「人買い」でも、そんな「原因」を追求しても仕方がありません。まずは「沿岸を警備し、注意を喚起し、被害を止める」のが最初で、それからおもむろに原因を調べ、それが隣国なら外務省を通じて申し入れをするという順序になるでしょう。

 日本人から見ると日本海沿岸で日本人を拉致するなどとんでもないことかも知れませんが、相手には相手の理屈があるかも知れません。だからまずは自分の身は自分で守り、その上で相手の言い分を聞き、話し合いをするのが良いのです。

 実は今でも鍵を掛けない状態は続いています。すでにもう、北朝鮮の不審船は出没していないのか、北朝鮮は政策を変えたのか、行方不明者は出ていないのか、一切は闇の中で、政府も警察もマスコミもちっとも教えてくれません。

 これだけ報道が盛んで、拉致問題が取り上げられているのに、日本海の海岸が危ないかどうかすら判らないのです。「あまり寂しいところに行かない方がよいですよ」と注意をしてくれるのは友達で、政府でもマスコミでもないのです。日本も民主主義とは言えないと思います。

 このシリーズは靖国のことを取り上げるものですが、靖国の問題とは、「首相が靖国に参拝するかどうか」というだけではないと思います。かつて日本が侵略した国とのつきあいをどうするのか、それと現在の私たちの豊かな生活をどのように考えるのか、それを問われていると私は思います。

 北朝鮮は、かつて私たちの祖父や父が占領しました。そして、そこで何が行われたか、私たちはその償いをどうすれば良いのか、日本の国民はほとんど知らされていないのです。

 「日本の歴史を日本人に教えないこと」、「日本人が拉致について教えられないこと」「靖国の問題を私たちが理解できないこと」の根は一つと思います。身を捨てて日本を守った靖国の英霊達は、自分たちの歴史を子孫が知らないことを嘆き、日本人が拉致されているのに国民を守らない政府を嘆いていることでしょう。

 小泉首相が退陣したら靖国の問題は無くなるということも言われていますが、私は、日本国民が自分たちの歴史を知り、歴史を真正面から見て誇り高い民族としてするべき事をすることによって問題は解決すると思います。

終わり