― ハングル文字 ―

 中国に「遠交近攻」という言葉があるように、隣国とは難しいものである。朝鮮と日本は隣国同士であるが故に、歴史的に朝鮮の力が強くなれば朝鮮から攻めてきたし、日本が強くなれば「征韓論」なども登場したり、挙げ句の果てに太平洋戦争前は日本が朝鮮を併合したこともある。

 隣国同士が仲良く、お互いの繁栄を願って協力し合う時代は来るのだろうか?そのようになるには2,3の条件が必要な気もする。たとえば、お互いを理解するためにお互いの言葉を知ること、誤って攻めたり占領したりしたら素直に謝ること、国境線上で領土争いや利権争いが起きたら感情的にならずに根気よく話し合うこと・・・などだろう。

 人間という種は不思議な生物である。ほとんどの動物や植物は「自分と同じ種」を殺すことはない。どう猛と言われる(錯覚されている)オオカミやコブラなどでもその鋭いキバや猛毒は使わない。オオカミ同士が縄張り争いでオス同士が激しい戦いをしても、前哨戦でどちらが強いかわかると、「負けると予想されるオオカミ」はお腹とノドをさらして降参する。コブラも同じでコブラ同士の戦いでは猛毒は使わない。

 それが「まともな生物」の掟であるが、人間だけは違う。哀しいことに人間の頭脳には欠陥があって同じ人間を殺す。人間の歴史には人間同士が殺し合う血なまぐさい記録が埋め尽くされている。哀しいことである。

 でも、今日から隣国同士ではそれを止めたいと思う。それにはまず朝鮮も日本を攻め、日本も朝鮮を侵略したことがあったという両方の悪い点を認め、その上で最後に攻撃した日本が「すみませんでした」と謝り、もし朝鮮にその損害が残っていればそれを賠償して「過去を清算」しなければならない。

 この「靖国シリーズ」で書いたように日本国を守ろうと出撃して戦死した方を日本国民は靖国で迎えることを約束しているのだから、首相は靖国に参拝して欲しい。だから、是非、太平洋戦争前の一時期の日本の侵略を謝り、必要な賠償をして過去を終わらせたい。

 ところが、私自身、つまりこの文章の著者であるが、深く反省することがある。私が会社で研究をしている時なので、今から15年ほど前のことである。あるプラスチック材料について論説を書いた。その論説を韓国語に翻訳したいという許可願いが来て、暫くして韓国語で書かれた私の論説が届いた。

 その時、私はそこに書かれているハングル文字を見て「心の底」から驚いた。それは自分が書いた論説と思われるのだが、まったく読めないのである。英語に翻訳されているものなら、詳しくわかるし、ドイツ語でもフランス語でもおおよそは理解できる。特に技術的な用語が使ってあるので、それを頼りに意味を理解することはそれほど難しくない。

 でも、ハングル文字はまったくわからないのである。実を言うと、私は「韓国ではハングル文字というのを使っている」という話は聞いていたという程度で、勉強したこともなく、韓国語で書かれた書物を見たことすらなかったのである。

 なぜ、私は中学校1年生から英語を勉強し、大学では第二外国語としてドイツ語を学んだのだろうか?自分はなぜ、ハングル文字を一文字も読めないのだろうか??

 私はそういう疑問を持ったまま会社から大学に移り、今に至っている。そして大学で「学問というのはどういうものか、科学は何のために存在しているのだろうか?」というような基本的な事を考えるようになり、今では私がなぜ英語ができ、ハングル文字が読めないのかということがわかっている気がする。

 それは私がその人生においていつも「強い者にシッポを振った」ということなのである。

 日本はアメリカに敗北した。戦後、アメリカ軍からなる「進駐軍」が来て日本を占領していた。日本は破壊され、疲弊し、一日も早く立ち直ろうと必死だった。そこで恥も外聞もなくアメリカに頼り、英語を勉強し、留学生を派遣し、アメリカにまねて家電製品やオートバイを製造して日本の再生を果たしてきた。

 それには英語は必要だったが、ハングル文字は不要だった。朝鮮もまた戦争で疲弊し、さらに朝鮮戦争で戦場となり、それに加えて南北に分断された。私の中には謝ることも、朝鮮に学ぶことも無いと思っていたのだろう。

 私は次のような話を想い出す。

 幕末の戊申戦役では、数度にわたって徳川幕府側の会津藩と、後の明治政府の中核となる長州藩が激突し、最後は会津城の陥落という形で終わった。その中には有名な白虎隊の全滅などの悲劇が散りばめられている。だからこの二つの藩の子孫の人は、その想い出を容易に消し去ることはできず、1868年の明治政府設立から1995年に至るまで、実に130年間というもの、会津藩の中心地:会津若松市と長州藩の居城:萩市は絶交状態にあったのである。

 でも100年を超える恨みは前向きではない。断続的な話し合いが行われ、且つ両市長が相互に訪問し、互いの紹介をするイベントが行われてこの敵対関係も解消したのである。恨みを残す是非はあろうが、昨日まで戦っていた相手と仲良くすることは容易ではない。それも軍隊同士なら和睦も可能であるが肉親を殺され、略奪された歴史があれば、それは容易に消えるものではない。

 日本人のこのような感情と、太平洋戦争後の日本人の考えとはどのような関係にあるのだろうか?

 日本はアメリカ軍によって広島、長崎に原子爆弾を落とされ、10万人を超える犠牲者を出した。東京、大阪、名古屋などの主要都市や地方の都市もアメリカ軍の絨毯爆撃を受け、特に1945年3月10日の東京大空襲では一夜で10万人が焼死した。アメリカ軍は日本の軍事施設を爆撃したのではなく、明確に非戦闘員を殺戮したのである。

 太平洋戦争で日本軍は南方に進出し、東南アジアの国に大変な被害を及ぼしたが、アメリカ本土にはほとんど被害を与えていない。真珠湾攻撃で犠牲になったのはほとんどアメリカ軍人であった。

 女性、子供、そして老人、非戦闘員を大量に殺された恨みを日本は1945年8月15日の一日で忘れた。そしてそれ以来、日本はアメリカにすり寄って発展した。私もその一人だった。だから私は英語ができ、ハングル語を読むことができない。日本人は戦争自体を忘れてしまったのである。

 太平洋戦争当時、日本は朝鮮を占領していた。だから朝鮮の人はイヤでも戦場に行き、戦い、そして死んでいった。占領していたのは申し訳ないが、一緒に死んでくれた朝鮮の人は戦友だった。日本古来の義理、人情から言えば、戦後、私たちはハングル語を学び、戦争に協力してくれた朝鮮の人に感謝し、謝り、戦争で傷ついた朝鮮の復興に少しでも努力すべきだったのだ。

 その一人となるべき私がハングル文字の一文字も読めないとは!確かに、朝鮮を占領していたのは私の祖父の時代であるが、それでもその孫として祖父の過ちは償いたい。仕事上、今でも英語を使わなければならないが、できるだけアメリカに行かないようにしている。それはそれ以前に私がやることがあるような気がするからである。

 靖国問題の一つの解決策は「日本人が言葉の上でも、生活の上でも朝鮮を尊敬する」という事ではないだろうか?それができれば私たちが日本を守るために戦い、戦場に散っていった人の魂を靖国に祀り、そこに首相が参拝しても少しは認めてもらえるかも知れない。

 人間がもし、武力が強いといって尊敬し、物を大量に作る能力があるから尊敬するのではなく、人の心や文化、そして隣人を大切にすることができる存在なら、私は自分の半生が間違っていたように思える。靖国に祀られている方を大切にするために、私はアジアの人を尊敬し、アジアのために活動をすべきだった。

終わり