難燃基礎現象の理解
はじめに
社会が未発達の時には火災の平均的な規模は小さく、万が一、火災に遭遇しても容易に非難することができるが、社会が工業化され都市化が進むにつれて火災の危険性は格段に増大する。その象徴的な例として高層ビルにおける火災による大惨事が挙げられる。さらに社会の成熟は文化程度を上げ、平均寿命を延ばすので、それは安全に対する社会の感度を高める結果となる。
日本を含む先進各国は工業化、都市化、そして社会的成熟が進み、火災の危険性は増大し社会の感度も高まってきている。かつて「難燃材料」を必要としなかった工業製品にも高度な難燃性能を持つ部材が要求されるようになってきた。そのこと自体は工業の進歩であり、材料関連の産業にとっても望ましいことである。
しかし、生産の拡大は必然的な結果として世界的な環境問題をもたらし、材料の選択も新しい基準を適応せざるを得なくなった。もともと工学は「自然の原理を応用して社会の福利に貢献する学問」であり、社会を破壊するようなテーマの存在は工学自らを否定することになる。その結果、「非ハロゲン難燃剤」という用語が登場した。また、材料はその機能を発揮している間、すなわち製品が使用されている間だけ優れた性質を示せばよいという考えは古くなり、廃棄やリサイクルを考慮した材料設計が求められるようになった。そうなると、それまでの難燃材料は、燃えにくいことは燃えにくいが、燃えると毒性物質を発生し、焼却処理をする時には燃えにくいしカスも出す。
数年前に急激に高まってきたこの矛盾が難燃材料技術を新しいステージに押し上げたといえる。本稿は上記のような視点にたって、改めて難燃材料の基礎を見つめ直し、研究者が自ら新しい難燃材料を開発しうるように基礎から整理したものである。
1. 難燃材料の基礎・・・理屈をしっかりと知っておく
1.1. なぜ、ものは燃えるのか?
何かのキッカケで可燃性物質に着火する。炭素及び酸素の酸化のエンタルピーはしたに示したように大きく、燃焼の場となる空気は比熱が小さいことから酸化反応場の温度は急激に上昇して1000℃以上になる1)。
(1) (2) 気相の温度が上昇すると輻射熱で材料表面が加熱される。輻射エネルギー は式(3)で表されるStefan-Boltzmannの法則により絶対温度の4乗に比例するので、対流など他の要因が同じの場合、気相の温度が1200℃から1000℃になっただけで材料に到達する熱は2分の1になる。このことが「燃える材料が燃えなくなる」という大きな技術上の狙いの1つになる。
(1) ここで光速度、プランク定数、絶対温度、体積である。
この強い輻射熱を受けて材料が加熱され、その熱は材料内部へと伝熱し、やがて高分子の分解温度に達すると高分子鎖が開裂して低揮発分を生じる。この分解生成物が燃料ガスとなって材料表面から気相に噴出し燃焼が継続する。燃焼という現象は化学反応と、気相、液相、固相が関与する異相間の物質や熱のやりとり、速度や立体的な影響など内容が多彩で複雑であるが、そこで起こっている原理的な反応や熱収支は単純で基本的な原理が支配している。その一つの例として燃焼熱についてのThorntonの発見がある。彼は燃焼の時に発生する熱量を精密に測定し、プラスチックの種類に関係なく約13kJ/gO2であることを明らかにした。Thorntonの業績はその後しばらく注目されなかったが、アメリカのAmerican Bureau of Standard (アメリカ内務省の標準局で物理定数の測定や基準の作成に世界的に貢献した)のHuggettとParkerがThorntonの実験を詳細に確認し、ほとんどの有機材料の燃焼において、いわゆる"Thornton数"が13.1kJ/gであり、その誤差は5%に過ぎないことを明らかにした2) 3)。現在、燃焼関係によく使用されているコーンカロリメーターに応用されている4)。
表 1-1 有機化合物の種類とThornton数
Thornton数は難燃現象を理解する時に、さまざまなことを思い起こさせる。PETの化学構造には酸素が多く含まれているので、単位高分子当たりの燃焼熱が低く、酸素当たりの燃焼熱が同じであるのはわかるが、塩素が燃焼を阻害するポリ塩化ビニルでも同じなのである。普段、あまりつめて考えていない時、「ポリ塩化ビニルの燃焼熱が低い理由」と聞かれると、「それはポリ塩化ビニルに含まれる塩素がラジカル反応を阻害して燃焼を抑制するから」と答えたくなる。「ポリ塩化ビニルの燃焼熱が低いのは塩素の重量分だけ」と答える人は少ないだろう。
高分子材料の燃焼反応を理解するためには、「化学的反応」だけでは不十分で、燃焼全体を理解することが必要である。そのうち、もっとも重要なことは一見、「燃えやすいものは燃える」と思うが、高分子自体は固体か液体だから燃えない。燃えるのはポリマー(高分子)が分解して空気中に出た分解生成物、つまり燃焼ではこれが"fuel gas"(燃料)になる。このことを簡単に原理的に理解するために、燃焼図を図 1-1に示した。
図 1-1 ポリマーの燃焼図 5)
図に示したように高分子物質の燃焼は直列につながった6つの素反応から構成されるため、このチェインの一つを断てば燃焼は継続しない。それが可燃性物質の不燃化、あるいは難燃化の基礎的な考え方である。
図 1-2 難燃材料の相乗効果(Aは単独、Bは反応型)
しかし、難燃材料の研究でしばしば話題になるように、またハロゲン化合物と酸化アンチモンに代表されるように「相乗効果」が重視される。相乗効果とは複数の化合物がそれぞれ単独で示す効果より、組み合わせた場合の方が大きな効果をもたらすことを言うが、その典型的なものの一つとして図 1-2に示した反応ゾーンを制御した相乗効果がある。難燃剤は燃焼反応が進んでいるときに何らかの化学反応を起こすことを目的として加えられるが、燃焼反応は急激な反応なので化学反応も急激に起こらなければならない。しかし、反応速度が速い化合物は一般的に不安定でありプラスチックの成形時に一部分解する。そこで2種類以上の化合物を使用し、材料が火災に遭遇して温度が上昇しつつあるときに予備的に反応させる。反応性生物が不安定で素早く材料や気相で反応するという仕組みである。このような考え方は生物には多く取り入れられている。「前駆体」と呼ばれる一群の化合物がそうであり、準備だけはしておくが、何かの「トリガー物質」がないと起動しない仕組みである。
高分子材料の燃焼をさらに詳しく理解するために図 1-3には燃焼時の高分子相の状態も示した。ここまで理解しておかないと難燃材料を自分で考えることは難しい。
高分子材料表面は直接、酸化反応場から加熱されるので、燃焼が開始されるとすぐ炭化して薄い膜になる。そしてその直下は液相と気相が混合して激しく沸騰している。さらにその内側には分解領域があり、その場所の温度は該当する高分子の分解温度と等しい。特に火災の初期の段階では火勢はそれほど強くは無く、全体はまだ冷えているので材料の温度は分解温度を超えない。
図 1-3 燃焼時の高分子相の状態と材料表面からの距離による気相組成
「火災」と「焼却」は同じ化学反応、同じ物理的空間的反応であるが、全体の熱容量と酸素の供給関係が異なる。難燃材料で問題になるのは火災の初期であり、激しく燃えだしたら消防の仕事である。火災の初期を考えるとどこかに小さな火源があり、それで材料が着火してもその周辺の熱量は小さい(冷えている)。気相の炎は激しくてもその発熱量は材料全体を加熱するにいたらず、材料温度は分解温度を超えることはできない。材料の分解は高分子鎖が切断されるので、吸熱反応であり、一定の分解量を得るためには材料の顕熱とこの分解に必要な熱の供給が前提となる。
第二の制限が空気量である。昔のように障子の部屋に開けっ放しの家屋という状態は少なく、コンクリートとアルミサッシで密閉された場所の火災が多い。燃える材料は固体だから体積が少なくてもその中の炭素や水素のモル数は多いが、部屋の酸素は気体で存在するのでモル数は少ない。燃焼反応は激しいのですぐ酸素不足に陥る。仮に日本の六畳間で壁に火がついたとき、部屋が密閉状態の時には酸素量はかなり少ない。壁(ポリスチレンと仮定する)が燃焼するとしてその燃焼する深さを平均3mmとし、6畳間の酸素は約200molであるが、壁の炭素と水素のモル数は24,000程度になるので、酸素がすべて燃焼に使われてもわずか80cm四方の壁が燃えて終わり、もし酸素が21%から15%に下がって火災が止まれば、50cm四方しか燃えないことになる )。
このような火災の状態に比較すると焼却はずいぶん、状況が異なる。焼却の時には反応を早めるために酸素の速やかな供給は重要な工学的課題であり、時には純酸素を供給して燃焼速度を高める。燃焼炉内の温度を一定にするために炉全体の熱容量に比較して投入される可燃物量にも制限を加える。かくして焼却の時には高分子鎖の分解のエンタルピーの比率は小さく、炉内温度は高分子分解温度とは無関係に設定される。おおざっぱに言えば、火災の初期の材料温度は400℃、焼却炉では900℃というところである。
1.2. 高分子の構造で決まっている燃焼性
火災の時の燃焼が常に酸素不足の状態で進行することを知った。図 1-4は燃焼時の材料表面近傍の分子や化合物の組成を示したものであるが、酸化反応場は材料表面から6-8mm離れており、そこでほとんどの酸素が消費される。従って、材料表面に到達する酸素はわずか2%内外であり、酸素が材料を直接酸化させることは少ない。
図 1-4 材料表面のガスの組成分布(グラフの左軸が材料表面を示す)
さらに高分子材料の内側はガラス転移温度から分解温度まで徐々に温度が上昇している状態にあり、そこで様々な反応が起こる。つまり、燃焼時の高分子反応は主として不活性ガス中での熱分解反応であることがわかる。その結果、van Krevelenが整理しているように高分子の構造によって炭化する割合が決定され、それによって酸素指数、つまり燃焼のしやすさが決定されるのである 6), 7)。彼の整理は極めて精緻である。式(11)と(12)は特に新しい高分子材料を取り扱うときに必要で、対象とする高分子の構造からCFT(熱分解残渣率)を計算し、さらにCR(炭化率)、OI(酸素指数)を計算することができる。そしてこれらの式は実によく実験結果と一致する。
図 1-5 van Krevelenの関係図 (4) (5) 8) 9)
炭化が進むと燃焼が阻害されるということの基礎的知見はFenimoreらによって与えられたものであり、難燃化の技術を理解する上で重要なものである。「材料が燃える」ということについて長い間、石炭などを燃やしていた人間は「炭素は燃えやすい」と考えていた。しかしFenimoreはこのデータをとることによって「炭素が燃えやすいのではなく、水素が燃えやすい」ということを指摘した。炭素は酸素濃度が65%にならないと燃えないという事実は驚くべきものである。Fenimoreの発見のあと、「炭化させる」という難燃方法が検討され、その過程でvan Krevelenの研究が行われたのである。火災があまりにも一般的な現象であることから、我々の頭は先入観でいっぱいになっている。たとえば「分解しやすいものは燃えやすい」などもそうであり、表 1-3に示すように高分子の分解パターン(崩壊性や架橋性など)は燃えやすさとは直接的な関係はない。
表 1-2 高分子の種類、分解様式と酸素指数