1. 生命倫理と学問

1.1.  遺伝子操作


 数年前、イギリスの新聞がDNAの操作によって臓器移植に画期的な方法が発見されたことを報じた。

 「国立遺伝学研究所はDNAの操作で、ブタのDNAの中に人の肝臓の遺伝子を組み込むことに成功した。この遺伝子を持つブタは格好はブタであるが、その肝臓は人間と全く同じである。このブタから肝臓を取り出し人間に移植しても、もともと人間の肝臓なので拒絶反応もない。もはや人間の臓器移植は「人の死」を問題にしなくても良くなった。」

 確かに人間肝臓ブタができればそれは大変に便利である。「人間肝臓ブタ」を飼育しておけば、肝臓が悪くなった人が出てきたら人間肝臓ブタを屠殺して肝臓を取り出せばよい。人間の死が心臓死か脳死かというような複雑で哲学的な問題を解くことを回避できる。いっそのこと、人間肝臓ブタが作れるようなら、人間腎臓ブタ、人間心臓ブタ、人間皮膚ブタなども役立つかも知れない。そうすれば肝臓も、腎臓も、心臓も、やけどしたときの皮膚もブタから提供を受けることができる。人間足ブタなども良い。何かの怪我で足を切断したとき、人間足ブタから足の提供を受けることができる。

図 2 ブタから人間ブタへ

 そのうちには「えい、面倒だ!」ということになり、肝臓だけブタとか皮膚だけブタとか区別をするとブタの数が多くなるので「脳だけブタで体は全部人間」というブタを作っておいた方が能率的だ。かくして二本足で歩き人間の体を持ったブタが出現する。病院の横に大きなオリを作りそこに「人間からだブタ」を大量に飼育する。ところで、檻の中のブタの体は人間と同じなのでこれが意外と面倒である。例えばブタのメスは人間の女性と同じ体をしているので裸で飼育しておくのも風紀を乱す。着物を着せておかなければならない。またオスのブタとメスのブタを同じオリに飼っておくと白昼公然と猥褻行為をして貰っても困る。いったいこの「人間からだブタ」は人間として扱うべきであろうか。

 「若いサルの頭を切り取って、年を取ったサルの頭に付け替える実験を行い、数週間生かすことに成功した。人間への応用はまだ考えていない」との報道もあった。この研究が成功したら、年を取ったら若い人の体を買い取って自分の頭をすげ替えればよい。そうすれば人間はついに永遠の命を手に入れられるようになる。

 このような生命操作についての倫理は盛んに議論されており、一般的には「倫理違反になる」とされている。しかし、科学はDNAの構造解明によってすでに「生命の神秘」「生命の尊さ」などを否定する方向に進んでいる。そのことの倫理を深く考える場合には、遺伝子工学の悪い面ばかりではなく、良い面もあわせて考慮する必要がある。


1.2.  生物と無生物

 1953年にワトソンとクリックがDNAの構造を明らかにしたとき、「命を科学する」ことに人間は大きく踏み出した。DNAは4つの塩基がリンを骨格の一部にした高分子の側鎖になっている化合物であり、それは生命そのものであるとともに化学物質である。従って、有機合成の技術が進歩すれば人間はどのような生物も創造できることを明確に示している。

          
図 3  DNAの模型を前にしたワトソンとクリック(左)とそれを応用した人工食料(右)

 自由に生物を作ることができるようになると、私たちの生活はかなりの変化が予想される。たとえば、人間は生きるためにブタを殺害しているが、ブタにしてみれば迷惑である。たとえば新しい遺伝子を作りだし「命のない四角いブタ」を作ったとしよう。台所にあるその四角いブタは神経も意識もないので、その一部を切り取っても何とも感じない。豚肉ではあるがブタという命は持っていない。もし、このような食物を人間が取るようになったら、人間は科学の力で「命を殺めない活きることができる動物」になる。

 命を殺めることは最大級の倫理違反である。だから遺伝子工学は倫理的には大きな貢献をするかも知れない。そのことを知らずに遺伝子工学の倫理性を追求するのは不作為の倫理に抵触する可能性がある。


2.  ロボット

2.1.  新しい情報の出現

 ワトソンとクリックがDNAの解明によって「生物の体と行動」を司るROM情報を明らかにしたことに対して、ノイマンは電子技術を応用してRAMとしての脳情報を作り出した(図 4)。地上に生命が誕生して以来、生物はまず書き換えができないDNAを情報源として利用し、多細胞生物と中枢神経系ができてからは書き換え可能な脳情報を活用してきた。それが、20世紀になってもう一つの情報が生まれた。

          
図 4 コンピュータの父ノイマンの最初のノート(左)とコンピュータの前のノイマン(右)

 生物の進化と情報量の関係を考えてみると、進化と共にDNA情報が増え、脊椎動物で脳情報が発達、この2つの情報量は爬虫類で拮抗し哺乳類では脳情報が優った。そして人間になって脳の情報はDNAより3桁大きくなり、さらに電子情報が出現する。電子情報は脳情報とは質的に異なると感じるが、シロイヌナズナのDNA情報、アインシュタインの著作、そしてコンピュータ言語を例に取ると判然たる質的差が見られない。この3つの情報が深い意味でも同質であるかはまだ研究が足りない。現在のところ、人工頭脳の研究が失敗している所から見れば、脳情報は計算機のような画一的な情報系と異なる体系を持っている可能性はある。しかし、工学の進歩は生物進化ときわめて類似しているので、生物がトライ・アンド・エラーで進歩してきたように工学も同じような情報系を構築する可能性が高いのである。そのことを踏まえて次に進みたい。


2.2.  ロボットが人間を襲う日

 電子情報は一年に倍の速度で速くなり蓄積量があがっている。このまま行くと2017年には人の脳の処理能力を超えると予想されている。人間より優れたロボットはすぐ人間の目を盗んで、ロボットを生産するだろう。ロボットにはDNAに相当する書き換え不能なROMと、脳情報に相当するRAMが積まれ、RAMはDNAや脳がこれまで行なってきた目的(環境を独占する)と戦略(弱肉強食と自然淘汰)をすぐ学ぶから、人間は歯がたたない。

図 5 コンピュータの処理速度の予測

 人間はロボットによってライオンのように檻の中に入り、「なぜ、自分はこうなったのだろうか?」と頭をひねるだろう。人間も進化の過程でライオンのような動物を経ているのだ。生物は先祖を尊敬するが、それを乗り越え、支配する。 それでは人間はなぜロボットを作るのだろうか?どの生物でも自分を絶滅させる事が判っているものを生産したりしないように思われる。でも、進化に歴史は必ずしもそのようになっていない。ある生物は行きすぎて滅び、ある生物はやがて自らの種を滅ぼす種を進化によって作り出した。そして進化の歴史に名を残したような生物は「偶然に巧くいって」長い命を保ったに過ぎないと考えるべきだろう。

 1952年にチッソが新しいプロセスを動かしたときには水俣病患者はいなかった。人類は水銀と大昔からつきあっているのに障害がでるとは判らなかった。それに対して、ロボットは現在の私たちの理性で、将来私たちの子孫を滅亡させる可能性が高いことがわかっている。その上で、図 5の右のロボットの写真を見て欲しい。この写真からはそのような深刻な危惧を感じることはできない。だから、現在の段階で技術者はロボットの開発を止めることはできないのである。