5. 東京電力・ミドリ十字
5.1. 東京電力の隠蔽事件
5.1.1. 原子力発電所・亀裂隠蔽の経過
【内部告発】
事件の発端は2000年7月,当時の通産省に届いた一通の内部告発文書。告発者は,GEの子会社であるGEII社(ジェネラル・エレクトリック・インターナショナル・インク)の元社員で、福島第一原発での自主点検2件に係る記録についての改竄が指摘されていた。
【事件明るみに】
2002年8月29日に原子力安全・保安院および東京電力から改ざん事件が発表された。データ改竄は、1985年から90年代にかけて行なわれた自主点検の記録で東京電力の13基の原発で29ヶ所に及んだ。原子炉では高温の水から蒸気が作られるが,その流れを整えるシュラウドと蒸気から余分の水分を除く蒸気乾燥器などに亀裂が発見されていた。事件は亀裂の存在を隠し,あるいはその数を減らして報告していた。さらに通産省への提出ビデオの亀裂部分が写った箇所を削除し,検査官の目をごまかすために無届で修理した箇所をいったん元に戻すなど内容も悪質であった。
【事件の発展】
調査が進む中,新たに福島第一原発一号炉で格納容器の定期検査のデータ改竄が発覚した。10月25日原子力安全・保安院は,「原子炉の重要な安全機能を持つ機器で行なわれたこの偽装行為は,一連の自主点検記録改ざん以上に悪質」とし,東京電力に対し原子炉等規制法違反で一号炉の1年間の運転停止命令という行政処分を出す。これは営業運転を行なっている原子炉の実質的な運転を停止させる,日本の原子力史上初めての処分と同時に国の定期検査そのものの信頼性が問われた。
5.1.2. 東京電力の隠蔽に関するある大学院生の意見(レポートをそのまま添付)
【問】事件の詳細は別にすると、現象は単純である。なぜ、東京電力ともあろう会社がこのような悪質な倫理違反を長年、続けたのだろうか?
【答え】
1. 東電が国に報告すべきことを報告しなかった:これは,「法や倫理は守るべきもの」であり,東電はそれを犯したということであり,当然問題となります.
2. 現在の法律では,原発に対して厳しすぎる:これは,安全に原発を運転するという観点からは,明らかに厳しすぎる法律であり,法律面での問題もあります.
そこで,今回の事件では,コストを削減したい,トラブルとして報告したくない,という東電が隠蔽という行動に出たわけです.この一連のトラブルに対して,「法や倫理を守るべき」として単純に問題解決をすることもできます.チェックをきつくするというものです.しかし,もう少し違った方向の問題解決もあると思います.
ある物を規制する基準は,社会的規制として,人々の生活を守ってきました.しかし,消費者を守るための制度・基準が,技術の「進歩」に適合していないために,現場の技術者によって「改善」が行われることになります.これが,現場の技術者の考える客観的な安全と,消費者の理解する安全との食い違いの原因です.それなら,本当に問題のない「改善」なら,それを基準作りに使えるようなシステムに変えるべきです.法は科学技術よりも変化が遅いと思います.今の経済で生き残るために企業も必死になって,社会の変化に反応しています.スピードが重要なのです.法などの基準作りにしても技術の変化に俊敏に反応していくことが必要だと考えます.そうなれば企業も法を遵守し,今回のような問題も起こらなかったでしょう.
5.2. ミドリ十字の非加熱製剤事件
5.2.1. 事件の概要
1983年時の日本の血液製剤シェアは、1:ミドリ十字 (60%) 2:化血研 3:カッタ- 4:トラベノ-ル 5:日本臓器製薬 でミドリ十字が業界のトップだった。
非加熱製剤にエイズウイルス(HIV)が混入し、1980年代から血友病患者がエイズで死亡する例が各国で相次いだ。日本でも1980年代前半から血友病患者を中心に感染者を出し、厚生労働省の調べでは2002年6月現在、感染者は1,431人、死亡者は536人。「第4ルート」と呼ばれる、血友病でない患者が非加熱製剤の投与を受け感染した被害者も13人にのぼる。

図 9 非加熱血液製剤「コンコエイト」(左)と1996年3月14日の経営陣
産官学による「構造薬害」といわれ、患者や遺族が、国と製薬5社(ミドリ十字・バイエル・バクスター・日本臓器・化血研)に損害賠償を求めた民事訴訟は1996年3月、被告側が被害者1人当たり4,500万円を支払うことなどを条件に、大阪、東京両地裁で最初の和解が成立。計1,315人が和解した。安部英・元帝京大副学長、松村明仁・元厚生省課長、ミドリ十字の歴代3社長の計5人が業務上過失致死罪で起訴された。
【濃縮血液凝固因子製剤とは】
数千から数万人から採取した血液を一つの「プール」に入れ、血液凝固因子を取り出して作られた血液製剤のことで、血漿分画製剤(多数存在する血液製剤の内、血漿成分を中心に摘出して作られた製剤)の一種。数千から数万人のうち、一人分の血液でも病原体が混入していれば、同じプールに入った全ての血液が汚染される。ウイルス等の対策用に加熱処理された製剤を「加熱製剤」、加熱処理されていない製剤を「非加熱製剤」と呼ぶ。
【ミドリ十字その後】
国内最大手の血液製剤製造会社ミドリ十字は、1996年の薬害エイズ和解以来、ミドリ製品の不買運動にさらされ、大幅に売上げが減少(96年3月期決算で5億3,000万円の赤字)し、また支払うべき和解金の額は240億円にのぼった。1998年に吉富製薬株式会社と株式会社ミドリ十字が合併して新生吉富製薬株式会社が誕生。2000年に社名をウェルファイド株式会社に変更。2001年にウェルファイド株式会社と三菱東京製薬株式会社が合併して三菱ウェルファーマ株式会社となる。
5.2.2. 事件に関する一般的な解釈(学生の解答を例にして)
●Q1.いつから技術者は非加熱製剤によるHIV感染の危険性を認知していたか?
1983年にアメリカではNHF(米国血友病財団)が「血友病患者をエイズから保護するための勧告」。1983年3月にFDA(米国食品医薬品局)が加熱製剤を承認。日本ではAIDSについて報じられ、同年4月アメリカのCDC(国立防疫センター)が「血友病患者のエイズは非加熱製剤が原因」と発表。1985年5月に日本で血友病患者をエイズ認定。同年7月日本で加熱製剤が認可。その後もミドリ十字は1986年1月まで非加熱製剤を出荷。→技術者は、勉強していれば1983年からHIV感染の危険性を認知できた。遅くとも加熱製剤が認可された1985年7月には危険性を認知できた。
●Q2.いつから経営者は非加熱製剤によるHIV感染の危険性を認知していたか?経営者は、遅くとも1985年末には危険性を認知できた。→有罪判決
●Q3.なぜ技術者は非加熱製剤の製造を続けたか?
合法だったし、経営者トップの方針だった。技術者は雇われの身、トップには逆らえない。患者にとって血液製剤は必要だった。多くの医師や患者は、未知の将来の危険性よりも目先の有効性・利便性を選択した。病原体の完全除去ができない血液製剤による健康被害は「仕方がない」としてきた。虚偽宣伝をしても法律的には微罪でしかない。組織が問題を起こすとしたら、その責任は主として経営者と考えがちだった。(注)ここにも技術者が「専門家として独立しているか?」という問題が出てくる。
●Q4: 薬害エイズは防げたか?
内部告発者がいれば、被害は拡大しなかった.エイズがあまり知られていなかった時代から事件は起きてしまったであろうが、最小限度に止めることができたはず。
5.3. より深く考えてみる
東京電力とミドリ十字の事件そのものはそれほど複雑ではないが、原子力も薬品も国が深く関与する「認可事業」としての同質性がある。東京電力は虚偽の報告をしたが、規制自体に少し問題があった。そして、ミドリ十字は「非加熱製剤を販売する許可を得て、販売していた」という点では法律には違反していない。それでもこれほどまでに罰せられる理由はなんだろうか?この節では2つの事実をより深く考えるために、すこし横道に入ってみる。また、「法と倫理」については、映画「ニュルンベルグ裁判」を参考にする。
5.3.1. 法と倫理
一般的には法と倫理とは次のような関係にあると考えられている。
「法律を含め決まりに従うことが常に倫理的に正しいとは限らない。法律に欠陥があるときは、法律に反しても適切な行動をとるべきである。ただしそれにより生じる法的責任は自分でとる。」との意見、やや倫理優先との考えがある。次に、
1) 法による制裁は人の権利を制限するものであり、不当な侵害が起きないよう適用は厳格に規定されている。誰が見ても問題ある行為でも法的には問題ないということが生じる。
2) 厳しすぎる法はその網をうまく逃れようとする行為を生む。人々の倫理を高めるのとは反対方向の作用をすることもある。
3) 法律による償いは財産の被害ならともかく、生命・健康への被害に対しては償いにならない場合がほとんどである。失われた生命はいくら補償金を積まれても戻らない。倫理的行動は被害の予防にも役立つ。
つまり、法と倫理を同一のもの、あるいは対立関係では捉えずに、補完関係として捉える考え方である。法は国家権力等に強制される他律的な規範であり、倫理は自主的な順守が期待される自律的な規範で、その意味でも補完関係であるとする。
以上の2つの考え方を理解して、さらに先に進んでみる。
学生が、ある有名な倫理学者に「法的に許容されていても倫理的に禁止されていること、またはその反対に、倫理的には許容されていても、法律的には禁止されているものはありますか?」というメールを出した。その先生から「売春、ポルノグラフィー、喫煙など自己危害、公営賭博、近親相姦、財産目当ての結婚などたくさんあります。倫理的に許容、法的に禁止という例。ある種の自殺幇助など。」とのご返事をいただいた。
これを題材に、「法律に違反しなければ何をしても良い」、「法律は私たちが守るべき最低の基準を示しているにすぎない」という2つの見方について考えてみたい。
「売春」という用語ははっきりした定義があって、簡単に表現すれば「営利目的の不特定多数との性行為」である。自然界は男と女の両性でできているので性行為そのものが犯罪を構成することになると子孫ができないので、性行為自体は倫理的に問題はない。むしろ最近のように性行為なしに子孫を合成することが生命倫理の課題となる。つまり、「売春」というものは「行為自体には問題が無く、周辺環境によって良くなったり悪くなったりするもの」であり、だから倫理問題を考えるときに良く教材になる。
売春が「犯罪」を構成するには「営利目的」「不特定多数」「性行為」とう3つの条件が必要となる。つまり「性行為」という自然のものでも、ある程度のしきたりを守るようにしようとみんなで約束したということである。ところで、人間の欲のうち、性欲は「営利目的、不特定多数」が禁止条件であり、食欲を満たす場合は「営利目的、不特定多数」が原則である。
次にポルノグラフィー。これにも「わいせつ物陳列罪」という法律がある。ただ、何が「わいせつか?」という線引きが難しい。つまり「ポルノ」と言われるものがわいせつなら犯罪、わいせつでは無ければ犯罪ではないので、具体例で判断される。女性の人が肌を出していたらポルノということにすると、タンクトップを着ている人は「わいせつ物陳列罪」で逮捕される。
次に「公営賭博」。「公営」という限りは政府や自治体が認めていることを示しているので、政府や自治体が選挙で選出された議員のもとで正常に運営されているとすると、「公営」とは「みんなの意志」と同じなので「公営賭博が」が倫理違反とするには無理がある。しかし、一方では「賭博」は法律で禁止されている。
法律な制限には2つの見方がある。1つはその社会で「常識」とされていることに反する赤ら秩序を乱すと考えられるもので、憲法の国民が守るべき「納税」「教育」「労働」の三つの義務が前者である。納税や教育は良いとしても、「労働」はおかしな規定だ。財産があって労働しなくても生活していける人はどうするのだ?たとえば、「ロボット」の研究には政府もお金を出しているが、ロボットというのは人間を労働から解放するために研究がされている面がある。だから、憲法違反ではないかとも思われる。でもこの例も勉強になる。人間社会というのはそれほど割り切ったものではなく、人間の矛盾、社会の矛盾を含んでいる、そんな存在だということだ。もう一つは人間にとって本来「悪」と考えられることを罰する法律である。
これらのことを参考にして、具体的にミドリ十字について考えてみると、非加熱製剤は血友病患者には必要な錠剤とされており、もし仮に「勝手に」ミドリ十字の技術者が「非加熱製剤が危ない」と判断したら、治療を受けられない血友病患者は危険な状態に陥る。この事件の場合は結果的に非加熱製剤の使用が多くの犠牲者を出したが、反対の場合もあり得るだろう。問題は非加熱製剤の危険性についてオープンな議論がなく、政府、企業、学者などの正統な手続きが遅れたことが問題であった。
また、東京電力、ミドリ十字の事件の背後にも「組織」の問題が含まれている。大きな組織のなかでは、そこに属する個人個人が間違っていると思っていても、それが組織の常識になっている場合が多い。日常的に起こる「どうしようもないこと」や「法律的な違反ではないが、どう考えても不親切、事故のもと・・・」などが組織に蓄積する。「専門家」が組織と離れて個人の権限を持っているのはそれが理由の一つである。
5.3.2. 現代の一流企業
東京電力は言うまでもなく、三菱自動車は日本を代表する企業である。21世紀の幕が開いた時期に日本の一流企業の不祥事が続いたのはなぜだろうか?次の2つのことを考えてみよう。
1) もともと日本の企業はモラルがない。エンロンの汚職事件などアメリカも同じであるが、昔は「悪いこと」をしても目立たなかっただけ?
2) 高度成長期が終わり企業の社会的役割が低下すると共に、企業のモラルも低下した。
一流企業の社長や役員は社会的地位が高く、それに応じた報酬を受け取っている。江戸時代には士農工商といって商業に携わる人は軽蔑されたが、現在では社会は商業の価値を高く評価している。また同じ業を営む企業が集まって業界を形成し、政治的な力を発揮している。しかし、東京電力、三菱自動車はいずれも電力業界、自動車業界でトップや指導的な立場にあり、「まともな商売」をすることができる強さも持っていた。それでもなぜ、このようなことが行なわれたのか?
2000年前後に起こった日本の一流企業の倫理事件は、「一流企業の没落」とも言える。それを歴史的に捉えてみよう。
近代の物質拡大を支えてきたものは、①ベーコン、ニュートン以来の基礎科学 ②原理を現実にする工学と経済学(および法学) ③活動の制限となる「神秘」や「限界」の撤廃 であり、より具体的には、(1)物質生産を効率的に行う社会システム (2)国を挙げて生産活動を盛んにするための政府と官僚組織 (3)生産と改善を担当する優れた技術者 (4)支える家庭と道徳 (5)女性の出産と労働力の確保、であった。20世紀の後半、先進国は物質拡大が終わり、それを支えていたシステムも崩壊した。それを日本の状態を解析することによって理解してみよう。
まず、銀行の倒産とゼロ金利は「物質拡大のための資金」が基本的に不要になったことを示している。銀行は生産に資金を提供し、サラ金は消費にお金を貸すのだから、生産の価値が低下すれば銀行が凋落し、消費が増えればサラ金が繁栄する。また、政府というものは戦争と生産のために存在したので、物質拡大が終れば、前向きの政策を進めるより特殊法人の整理や衰退産業保護などが行なわれ、それは後ろ向きであり、政治と官の重要性を低下させるので、腐敗が顕在化する。
明治以来「富国強兵・殖産興業」を目的とした人材供給の必要が無くなくなり、技術者を養成する学校教育もその価値が下がり、かつて世界のトップクラスであった児童の数学・理科の能力は低下しつつあるのにも関わらず、初等教育は週五日制に移行しようという動きになる。
生産は国民の絶対数を求め、真面目さを要求する。それは人の再生産(誕生と教育)と勤勉なエリートと労働者を支え、生産のための基地として機能してきた家庭やそれを支える道徳が支える。しかし、それも不要となり、「生産基地としての家庭」は崩壊し、女性の結婚年齢が高くなり、出生率が低下する。かつて物質生産の主体であったが故に権威を持っていた父親も「粗大ゴミ」と呼ばれて不思議はないし、また素朴で生真面目な児童の消滅も納得できる。
これまでにはあり得ないこと・・・「倒産する銀行」「金利がつかない預金」「茶の間の政治腐敗」「尊敬されない先生」「権威のない父親」「崩壊する家庭」「産まない女性」「育児を放棄する母親」「援助交際に走る女子高生」「不登校・クラス崩壊の中の初等教育」・・・すべてが高度成長時代には「あり得ないこと」であった。しかし、すでに、「なぜ預金には金利がつかなければならないか?」「なぜ先生は尊敬されなければならないか?」「なぜ家庭は必要なのか?」などの設問に対して社会はまだ答えられない。新しい時代の像が見えるまで、とりあえずこれまでの目標達成に必要だったものは一切合切、処分しようと決めているのである。
このような過渡現象に一流企業の醜態の原因を求めることもできる。物事を「偶然である」とかたづけたり、「あの人達だけが悪い」と決めつけることは前進的では無いことが多い。より本質的なことに興味をもち、深く考える習慣もまた事故を防ぐ大きな力になる。
5.1. 東京電力の隠蔽事件
5.1.1. 原子力発電所・亀裂隠蔽の経過
【内部告発】
事件の発端は2000年7月,当時の通産省に届いた一通の内部告発文書。告発者は,GEの子会社であるGEII社(ジェネラル・エレクトリック・インターナショナル・インク)の元社員で、福島第一原発での自主点検2件に係る記録についての改竄が指摘されていた。
【事件明るみに】
2002年8月29日に原子力安全・保安院および東京電力から改ざん事件が発表された。データ改竄は、1985年から90年代にかけて行なわれた自主点検の記録で東京電力の13基の原発で29ヶ所に及んだ。原子炉では高温の水から蒸気が作られるが,その流れを整えるシュラウドと蒸気から余分の水分を除く蒸気乾燥器などに亀裂が発見されていた。事件は亀裂の存在を隠し,あるいはその数を減らして報告していた。さらに通産省への提出ビデオの亀裂部分が写った箇所を削除し,検査官の目をごまかすために無届で修理した箇所をいったん元に戻すなど内容も悪質であった。
【事件の発展】
調査が進む中,新たに福島第一原発一号炉で格納容器の定期検査のデータ改竄が発覚した。10月25日原子力安全・保安院は,「原子炉の重要な安全機能を持つ機器で行なわれたこの偽装行為は,一連の自主点検記録改ざん以上に悪質」とし,東京電力に対し原子炉等規制法違反で一号炉の1年間の運転停止命令という行政処分を出す。これは営業運転を行なっている原子炉の実質的な運転を停止させる,日本の原子力史上初めての処分と同時に国の定期検査そのものの信頼性が問われた。
5.1.2. 東京電力の隠蔽に関するある大学院生の意見(レポートをそのまま添付)
【問】事件の詳細は別にすると、現象は単純である。なぜ、東京電力ともあろう会社がこのような悪質な倫理違反を長年、続けたのだろうか?
【答え】
1. 東電が国に報告すべきことを報告しなかった:これは,「法や倫理は守るべきもの」であり,東電はそれを犯したということであり,当然問題となります.
2. 現在の法律では,原発に対して厳しすぎる:これは,安全に原発を運転するという観点からは,明らかに厳しすぎる法律であり,法律面での問題もあります.
そこで,今回の事件では,コストを削減したい,トラブルとして報告したくない,という東電が隠蔽という行動に出たわけです.この一連のトラブルに対して,「法や倫理を守るべき」として単純に問題解決をすることもできます.チェックをきつくするというものです.しかし,もう少し違った方向の問題解決もあると思います.
ある物を規制する基準は,社会的規制として,人々の生活を守ってきました.しかし,消費者を守るための制度・基準が,技術の「進歩」に適合していないために,現場の技術者によって「改善」が行われることになります.これが,現場の技術者の考える客観的な安全と,消費者の理解する安全との食い違いの原因です.それなら,本当に問題のない「改善」なら,それを基準作りに使えるようなシステムに変えるべきです.法は科学技術よりも変化が遅いと思います.今の経済で生き残るために企業も必死になって,社会の変化に反応しています.スピードが重要なのです.法などの基準作りにしても技術の変化に俊敏に反応していくことが必要だと考えます.そうなれば企業も法を遵守し,今回のような問題も起こらなかったでしょう.
5.2. ミドリ十字の非加熱製剤事件
5.2.1. 事件の概要
1983年時の日本の血液製剤シェアは、1:ミドリ十字 (60%) 2:化血研 3:カッタ- 4:トラベノ-ル 5:日本臓器製薬 でミドリ十字が業界のトップだった。
非加熱製剤にエイズウイルス(HIV)が混入し、1980年代から血友病患者がエイズで死亡する例が各国で相次いだ。日本でも1980年代前半から血友病患者を中心に感染者を出し、厚生労働省の調べでは2002年6月現在、感染者は1,431人、死亡者は536人。「第4ルート」と呼ばれる、血友病でない患者が非加熱製剤の投与を受け感染した被害者も13人にのぼる。


図 9 非加熱血液製剤「コンコエイト」(左)と1996年3月14日の経営陣
産官学による「構造薬害」といわれ、患者や遺族が、国と製薬5社(ミドリ十字・バイエル・バクスター・日本臓器・化血研)に損害賠償を求めた民事訴訟は1996年3月、被告側が被害者1人当たり4,500万円を支払うことなどを条件に、大阪、東京両地裁で最初の和解が成立。計1,315人が和解した。安部英・元帝京大副学長、松村明仁・元厚生省課長、ミドリ十字の歴代3社長の計5人が業務上過失致死罪で起訴された。
【濃縮血液凝固因子製剤とは】
数千から数万人から採取した血液を一つの「プール」に入れ、血液凝固因子を取り出して作られた血液製剤のことで、血漿分画製剤(多数存在する血液製剤の内、血漿成分を中心に摘出して作られた製剤)の一種。数千から数万人のうち、一人分の血液でも病原体が混入していれば、同じプールに入った全ての血液が汚染される。ウイルス等の対策用に加熱処理された製剤を「加熱製剤」、加熱処理されていない製剤を「非加熱製剤」と呼ぶ。
【ミドリ十字その後】
国内最大手の血液製剤製造会社ミドリ十字は、1996年の薬害エイズ和解以来、ミドリ製品の不買運動にさらされ、大幅に売上げが減少(96年3月期決算で5億3,000万円の赤字)し、また支払うべき和解金の額は240億円にのぼった。1998年に吉富製薬株式会社と株式会社ミドリ十字が合併して新生吉富製薬株式会社が誕生。2000年に社名をウェルファイド株式会社に変更。2001年にウェルファイド株式会社と三菱東京製薬株式会社が合併して三菱ウェルファーマ株式会社となる。
5.2.2. 事件に関する一般的な解釈(学生の解答を例にして)
●Q1.いつから技術者は非加熱製剤によるHIV感染の危険性を認知していたか?
1983年にアメリカではNHF(米国血友病財団)が「血友病患者をエイズから保護するための勧告」。1983年3月にFDA(米国食品医薬品局)が加熱製剤を承認。日本ではAIDSについて報じられ、同年4月アメリカのCDC(国立防疫センター)が「血友病患者のエイズは非加熱製剤が原因」と発表。1985年5月に日本で血友病患者をエイズ認定。同年7月日本で加熱製剤が認可。その後もミドリ十字は1986年1月まで非加熱製剤を出荷。→技術者は、勉強していれば1983年からHIV感染の危険性を認知できた。遅くとも加熱製剤が認可された1985年7月には危険性を認知できた。
●Q2.いつから経営者は非加熱製剤によるHIV感染の危険性を認知していたか?経営者は、遅くとも1985年末には危険性を認知できた。→有罪判決
●Q3.なぜ技術者は非加熱製剤の製造を続けたか?
合法だったし、経営者トップの方針だった。技術者は雇われの身、トップには逆らえない。患者にとって血液製剤は必要だった。多くの医師や患者は、未知の将来の危険性よりも目先の有効性・利便性を選択した。病原体の完全除去ができない血液製剤による健康被害は「仕方がない」としてきた。虚偽宣伝をしても法律的には微罪でしかない。組織が問題を起こすとしたら、その責任は主として経営者と考えがちだった。(注)ここにも技術者が「専門家として独立しているか?」という問題が出てくる。
●Q4: 薬害エイズは防げたか?
内部告発者がいれば、被害は拡大しなかった.エイズがあまり知られていなかった時代から事件は起きてしまったであろうが、最小限度に止めることができたはず。
5.3. より深く考えてみる
東京電力とミドリ十字の事件そのものはそれほど複雑ではないが、原子力も薬品も国が深く関与する「認可事業」としての同質性がある。東京電力は虚偽の報告をしたが、規制自体に少し問題があった。そして、ミドリ十字は「非加熱製剤を販売する許可を得て、販売していた」という点では法律には違反していない。それでもこれほどまでに罰せられる理由はなんだろうか?この節では2つの事実をより深く考えるために、すこし横道に入ってみる。また、「法と倫理」については、映画「ニュルンベルグ裁判」を参考にする。
5.3.1. 法と倫理
一般的には法と倫理とは次のような関係にあると考えられている。
「法律を含め決まりに従うことが常に倫理的に正しいとは限らない。法律に欠陥があるときは、法律に反しても適切な行動をとるべきである。ただしそれにより生じる法的責任は自分でとる。」との意見、やや倫理優先との考えがある。次に、
1) 法による制裁は人の権利を制限するものであり、不当な侵害が起きないよう適用は厳格に規定されている。誰が見ても問題ある行為でも法的には問題ないということが生じる。
2) 厳しすぎる法はその網をうまく逃れようとする行為を生む。人々の倫理を高めるのとは反対方向の作用をすることもある。
3) 法律による償いは財産の被害ならともかく、生命・健康への被害に対しては償いにならない場合がほとんどである。失われた生命はいくら補償金を積まれても戻らない。倫理的行動は被害の予防にも役立つ。
つまり、法と倫理を同一のもの、あるいは対立関係では捉えずに、補完関係として捉える考え方である。法は国家権力等に強制される他律的な規範であり、倫理は自主的な順守が期待される自律的な規範で、その意味でも補完関係であるとする。
以上の2つの考え方を理解して、さらに先に進んでみる。
学生が、ある有名な倫理学者に「法的に許容されていても倫理的に禁止されていること、またはその反対に、倫理的には許容されていても、法律的には禁止されているものはありますか?」というメールを出した。その先生から「売春、ポルノグラフィー、喫煙など自己危害、公営賭博、近親相姦、財産目当ての結婚などたくさんあります。倫理的に許容、法的に禁止という例。ある種の自殺幇助など。」とのご返事をいただいた。
これを題材に、「法律に違反しなければ何をしても良い」、「法律は私たちが守るべき最低の基準を示しているにすぎない」という2つの見方について考えてみたい。
「売春」という用語ははっきりした定義があって、簡単に表現すれば「営利目的の不特定多数との性行為」である。自然界は男と女の両性でできているので性行為そのものが犯罪を構成することになると子孫ができないので、性行為自体は倫理的に問題はない。むしろ最近のように性行為なしに子孫を合成することが生命倫理の課題となる。つまり、「売春」というものは「行為自体には問題が無く、周辺環境によって良くなったり悪くなったりするもの」であり、だから倫理問題を考えるときに良く教材になる。
売春が「犯罪」を構成するには「営利目的」「不特定多数」「性行為」とう3つの条件が必要となる。つまり「性行為」という自然のものでも、ある程度のしきたりを守るようにしようとみんなで約束したということである。ところで、人間の欲のうち、性欲は「営利目的、不特定多数」が禁止条件であり、食欲を満たす場合は「営利目的、不特定多数」が原則である。
次にポルノグラフィー。これにも「わいせつ物陳列罪」という法律がある。ただ、何が「わいせつか?」という線引きが難しい。つまり「ポルノ」と言われるものがわいせつなら犯罪、わいせつでは無ければ犯罪ではないので、具体例で判断される。女性の人が肌を出していたらポルノということにすると、タンクトップを着ている人は「わいせつ物陳列罪」で逮捕される。
次に「公営賭博」。「公営」という限りは政府や自治体が認めていることを示しているので、政府や自治体が選挙で選出された議員のもとで正常に運営されているとすると、「公営」とは「みんなの意志」と同じなので「公営賭博が」が倫理違反とするには無理がある。しかし、一方では「賭博」は法律で禁止されている。
法律な制限には2つの見方がある。1つはその社会で「常識」とされていることに反する赤ら秩序を乱すと考えられるもので、憲法の国民が守るべき「納税」「教育」「労働」の三つの義務が前者である。納税や教育は良いとしても、「労働」はおかしな規定だ。財産があって労働しなくても生活していける人はどうするのだ?たとえば、「ロボット」の研究には政府もお金を出しているが、ロボットというのは人間を労働から解放するために研究がされている面がある。だから、憲法違反ではないかとも思われる。でもこの例も勉強になる。人間社会というのはそれほど割り切ったものではなく、人間の矛盾、社会の矛盾を含んでいる、そんな存在だということだ。もう一つは人間にとって本来「悪」と考えられることを罰する法律である。
これらのことを参考にして、具体的にミドリ十字について考えてみると、非加熱製剤は血友病患者には必要な錠剤とされており、もし仮に「勝手に」ミドリ十字の技術者が「非加熱製剤が危ない」と判断したら、治療を受けられない血友病患者は危険な状態に陥る。この事件の場合は結果的に非加熱製剤の使用が多くの犠牲者を出したが、反対の場合もあり得るだろう。問題は非加熱製剤の危険性についてオープンな議論がなく、政府、企業、学者などの正統な手続きが遅れたことが問題であった。
また、東京電力、ミドリ十字の事件の背後にも「組織」の問題が含まれている。大きな組織のなかでは、そこに属する個人個人が間違っていると思っていても、それが組織の常識になっている場合が多い。日常的に起こる「どうしようもないこと」や「法律的な違反ではないが、どう考えても不親切、事故のもと・・・」などが組織に蓄積する。「専門家」が組織と離れて個人の権限を持っているのはそれが理由の一つである。
5.3.2. 現代の一流企業
東京電力は言うまでもなく、三菱自動車は日本を代表する企業である。21世紀の幕が開いた時期に日本の一流企業の不祥事が続いたのはなぜだろうか?次の2つのことを考えてみよう。
1) もともと日本の企業はモラルがない。エンロンの汚職事件などアメリカも同じであるが、昔は「悪いこと」をしても目立たなかっただけ?
2) 高度成長期が終わり企業の社会的役割が低下すると共に、企業のモラルも低下した。
一流企業の社長や役員は社会的地位が高く、それに応じた報酬を受け取っている。江戸時代には士農工商といって商業に携わる人は軽蔑されたが、現在では社会は商業の価値を高く評価している。また同じ業を営む企業が集まって業界を形成し、政治的な力を発揮している。しかし、東京電力、三菱自動車はいずれも電力業界、自動車業界でトップや指導的な立場にあり、「まともな商売」をすることができる強さも持っていた。それでもなぜ、このようなことが行なわれたのか?
2000年前後に起こった日本の一流企業の倫理事件は、「一流企業の没落」とも言える。それを歴史的に捉えてみよう。
近代の物質拡大を支えてきたものは、①ベーコン、ニュートン以来の基礎科学 ②原理を現実にする工学と経済学(および法学) ③活動の制限となる「神秘」や「限界」の撤廃 であり、より具体的には、(1)物質生産を効率的に行う社会システム (2)国を挙げて生産活動を盛んにするための政府と官僚組織 (3)生産と改善を担当する優れた技術者 (4)支える家庭と道徳 (5)女性の出産と労働力の確保、であった。20世紀の後半、先進国は物質拡大が終わり、それを支えていたシステムも崩壊した。それを日本の状態を解析することによって理解してみよう。
まず、銀行の倒産とゼロ金利は「物質拡大のための資金」が基本的に不要になったことを示している。銀行は生産に資金を提供し、サラ金は消費にお金を貸すのだから、生産の価値が低下すれば銀行が凋落し、消費が増えればサラ金が繁栄する。また、政府というものは戦争と生産のために存在したので、物質拡大が終れば、前向きの政策を進めるより特殊法人の整理や衰退産業保護などが行なわれ、それは後ろ向きであり、政治と官の重要性を低下させるので、腐敗が顕在化する。
明治以来「富国強兵・殖産興業」を目的とした人材供給の必要が無くなくなり、技術者を養成する学校教育もその価値が下がり、かつて世界のトップクラスであった児童の数学・理科の能力は低下しつつあるのにも関わらず、初等教育は週五日制に移行しようという動きになる。
生産は国民の絶対数を求め、真面目さを要求する。それは人の再生産(誕生と教育)と勤勉なエリートと労働者を支え、生産のための基地として機能してきた家庭やそれを支える道徳が支える。しかし、それも不要となり、「生産基地としての家庭」は崩壊し、女性の結婚年齢が高くなり、出生率が低下する。かつて物質生産の主体であったが故に権威を持っていた父親も「粗大ゴミ」と呼ばれて不思議はないし、また素朴で生真面目な児童の消滅も納得できる。
これまでにはあり得ないこと・・・「倒産する銀行」「金利がつかない預金」「茶の間の政治腐敗」「尊敬されない先生」「権威のない父親」「崩壊する家庭」「産まない女性」「育児を放棄する母親」「援助交際に走る女子高生」「不登校・クラス崩壊の中の初等教育」・・・すべてが高度成長時代には「あり得ないこと」であった。しかし、すでに、「なぜ預金には金利がつかなければならないか?」「なぜ先生は尊敬されなければならないか?」「なぜ家庭は必要なのか?」などの設問に対して社会はまだ答えられない。新しい時代の像が見えるまで、とりあえずこれまでの目標達成に必要だったものは一切合切、処分しようと決めているのである。
このような過渡現象に一流企業の醜態の原因を求めることもできる。物事を「偶然である」とかたづけたり、「あの人達だけが悪い」と決めつけることは前進的では無いことが多い。より本質的なことに興味をもち、深く考える習慣もまた事故を防ぐ大きな力になる。