水俣病考 パート3

― 原因と責任、そして救済 ―

 

 ・・・水俣病の話は辛い。でもこの辛い話に私は何回か、取り組まなければならない。それは私が水俣病を引き起こした「科学」というものを専門としている一人だからである・・・

 2006年4月28日、水俣病が1956年5月1日に初めて確認されてから50年を迎え、霞ヶ関周辺と日比谷公会堂では水俣病患者や支援者が中心となった方々の主催で行進と講演会が行われた。
 
 政府も小泉首相が「水俣病問題は、深刻な健康被害をもたらし、地域住民の皆さまに大きな犠牲を強いてきました。長期間適切な対応ができず、被害の拡大を防止できなかったことについて、政府として責任を痛感し、率直におわびを申し上げます」との談話を発表した。

 水俣病という事件ほど「生活を豊かにしようとする人間がどのような困難に遭遇するか」を端的に示したものはない。また科学技術としては原子爆弾に次ぐ大きな負の遺産である。この災難で犠牲となり、深く傷ついた方々に対して科学者の一人として深くお詫びしたいと思う。

 さて、私は「水俣病はチッソの責任ではない」という論の持ち主であり、日本人の多くが「水俣病=チッソの責任」と思っているのにそんなことを言うものだから、時に「あなたは水俣病を軽んじるのですか!」と糾弾される。

 水俣病を引き起こしたのはチッソであるし、そのチッソが「知らない」と言ったら患者さんはどうなるのか?と考えてはみたが、どうしてもチッソの責任とすることには釈然としないものがあった。

 私が「水俣病はチッソの責任ではない」としているのは単純な論理で、「当時、有機水銀が原因となって脳神経を犯す病気が発生することは知られていなかった」ということであり、「日本人が誰も知らないことが原因となったものは、特定の人に責任をかぶせても意味がない」といことである。

 友人の弁護士は水俣病の裁判記録を私に渡してくれた。それを読むと裁判官はチッソの責任であると言っている。「水銀のような有毒なものを垂れ流せば病人が出るのは当然ではないか」というのが裁判官の判断であった。そして悲惨な患者さんに対してチッソはその責任を果たすことが求められている。

 でも、やはり水俣病はチッソの責任ではないと思う。チッソが犯人でなかったら患者さんの補償の道が閉ざされる、ということと責任とは別のように感じられた。私は数年間、その状態で止まり、そして考えあぐねていた。

 でも、日比谷公会堂で長く水俣病に取り組んできた医師、そして患者さんの話をお聞きしているうち、私は今まで釈然といていなかった理由を知ることができた。それは2006年4月29日、午後3時半ごろだった。

 人間の社会が単純だった頃、命を奪うような災害の種類は限られていた。地震などの天災、戦争などの国家的犯罪、盗賊などの個人的犯罪、そして詐欺や盗みの類である。

 このような災害のうち、天災は「仕方がない」と諦めた。戦争は「お殿様がやるものだから仕方がない」とした。そして盗賊や詐欺のような個人的な犯罪は「犯人を捕まえて補償させるか、罰する」ことでケリを付けた。

 つまり災難で被害を受けた人の救済は、「仕方がないと諦めてもらう」場合と、「犯人に償ってもらう」場合の2種類があり、それ以外は無かった。だから水俣病の場合も患者さんを救うためには「犯人捜し」が必要であり、チッソも自治体も国も「私が犯人です」と言わない限り、患者さんは痛い体を引きずって巨大な敵を相手に戦う羽目に陥ったのである。

 現実には、水俣の患者さんは酷い目にあった。チッソも自治体も国も医師会も、日本学術会議もだれも「自分が犯人です」と言わなかったから、それまで不知火海で静かに漁をしていた人たちが裁判所に出向き、そこでチッソ、自治体、国の法律の専門家と対決したのである。

 医師会には何の責任もないように思われるが、そうではない。医師はもう少し勉強して水銀の危険性を警告するべきだった。日本学術会議は「学術」というものがもたらしたこの災害について真剣に取り組み、患者の救済に走るべきだった。

 日本学術会議は1949年に設置されている。水俣病の公式発見の7年前である。それ以後、日本医師会も日本学術会議も水俣病に対してお詫びのコメントも出さず、患者の認定を遅らせることに一役買った。

 情けなかっただろう。辛かっただろう。病身であることだけでも辛いのに裁判、それも巨大な専門家集団との戦いである。でも、多くの裁判は患者さん側の勝利に終わった。最高裁判所まで行ったものも患者さんの勝利だったから少しは救われたが、それまでは長い年月と苦しい生活だったに相違ない。

 日本の知識人は残酷なことをしたものである。

 私は日比谷公会堂で解決策を見いだしたように感じた。それは、
「現代社会は、誰が犯人ということをすぐには特定できない災害が起こる。その場合、犯人とは別に被害を受けた人を救済するシステムを決めておけば良い」
ということである。有り体に言えば「補償の仮払いをする」ということを意味している。

 水俣病の患者さんが苦しんだのは、
1) 事実はハッキリしている(奇病で苦しんでいる)
2) 原因がなんであれ苦しんでいることは確かである。
3) 犯人が誰であれ、助けなければならないのは確かである。
4) 事実が目の前にあるのに法律はそれを認めず「原因と犯人を割り出してから事実を認める」という非人間的なものだった、
という事にある。

 科学が発展するということは訳のわからないことや、大規模災害が発生することを意味している。なぜかというと科学はその強大な力で国民を豊かにするが、一旦、事が起これば大きな災害にもなるからである。

 新幹線が時速300キロで走っている。ひとたび地震が起こり転覆すれば大勢の人が犠牲になる。それに対して、かつて馬車が人を運んでいた頃は、馬が転んでもそれほど大きな被害は起こらなかった。薬害でも転覆でもそれは同じである。

 昨年、JR西日本が転覆事故を起こし、100名を超える方が犠牲になり、数100名が負傷した。遺族や負傷者はJR西日本を相手に補償交渉などをしている。考えてみれば水俣病の教訓が生かされていないからだ。

 水俣病の患者さんが今でも苦しみ、「水俣病は終わっていない」のは、「事実」をそのまま認めず「原因と犯人が特定されたら、そこで初めて事実を認める」という変則的な法律概念があるからに他ならない。

 もし水俣の教訓が生かされ、JR西日本の患者さんが「脱線転覆事故が起こって怪我をした」という事実だけを証明すれば治療も補償もしてもらえるなら、体が元に戻ることは出来なくても補償交渉や裁判が無くなり、直ちに治療と生活ができる。どんなに良いだろうか!

「チッソに責任がない」という私の論は、
「科学は何が起こるか判らないから、どんなことでも慎重を期さなければならない。チッソが悪いという表現からは何も出てこない」
という結論が導かれる。

 それと同様に「責任と救済は別である」という私の新しい見解は、
「事実は原因や犯人の特定とは関係なく存在する。日本は科学的災害について事実をそれが起こった直後に認定し、その救済に当たるシステムを作るべきである」
という結論が導かれる。

 救済システムを作ること、それが私にはあの水俣病の苦しみを味わった方々へのせめてもの償いではないかと思いながら日比谷公会堂の階段を降りた。私の眼下には小雨にけぶる日比谷の小さな森が拡がり、何事も無かったようにただ、時間だけが流れていた。

おわり