水俣病考パート2
―私たちは今でも水銀を垂れ流している―
水俣病のことで、私は「水俣病の責任はチッソにはない」という一文を書いた。すでに水俣病を引き起こしたのはチッソという会社であり、社会的には責任はチッソにあるということが確定しているのだから、いわば「常識はずれ」の表現である。
これについて読者の方から質問を頂く。「実際に水銀を垂れ流していたのはチッソではないか」「猫400号実験で水銀が原因とわかっていても垂れ流していたではないか」などが質問や疑問、反論である。そこで、読者の方からのご意見も踏まえてもう一度、この事件をよく考えてみたいと思う。
事実を簡単に復習すると、
1953年に初めての患者が病院を訪れた。
1959年に「猫400号実験」が行われ、工場排水が水俣病の原因であることがわかった。その後もチッソは運転を継続した。
1968年に工場の運転が停止された。
であった。
細かく事実を追えばキリのないところもある。初めての患者はすでに戦争前に出ていたことや、1956年が正式な発見であるとか、猫400号実験は単なる一つの実験で学問的な証拠としては弱いので、厚生省が原因として発表した1965年が原因特定の年であるなどである。
詳細に踏み込むことは常に大切であるが、まず、ここでは大きな流れをとらえながら話を進めたい。
つまり、
1) 工場が運転されてしばらくして、「後に」水俣病と呼ばれることになる患者が発生した。
2) その後、数年後に工場から排出される「有機水銀」が原因物質であると推定された。
3) 国の正式な「原因発表を受けて」工場の運転が停止された。
4) その間、数1000人以上の人が重大な被害を受けた。
という事実認識の範囲なら、多くの人の了解が取れると思う。
そこで、これらの事実について、順をおって論理的に考えてみたいと思う。まず本稿では、
a) チッソは「有機水銀」が人体や動物に甚大は被害を与えることを知っていて工場の運転を始めたのか?
b) 工場の運転を許可する国や自治体は「有機水銀」が有害であることを承知で工場の認可をしたのか?
c) チッソが工場を運転する前に有機水銀が有毒であることを、一流の学者は知っていたのか?
を考えてみる。結論は急ぎたくない。水俣病で犠牲になった人のことを考え、しっかりと事実を見つめていきたい。
チッソはかつて「日本窒素」と呼ばれる日本でも1,2を争う大きな企業であった。そして水俣病の原因となった工場はアセトアルデヒドなどを製造する世界でも最新の技術を駆使していた。触媒として使用する水銀も当時の「新鋭触媒」であった。
チッソの経営は順調で、大きな事件を起こして会社の存続が危うくなるような冒険をする必要もなく、また虚偽の計画を立てて現実と違う工場を建設したり運転したりする必要もなかった。技術陣は新プロセスにプライドを持っていた。
水俣病の発生は犯罪的であるが、チッソには動機は無かったとできる。つまり、チッソは水俣の漁民を殺害する意志は持っていなかったというのは多くの人が同意するだろう。
最初の患者がでる数年前、工場では廃液中に水銀があることを発見した。後にチッソの技術者は「あの時、水銀が有毒だということがわかっていれば・・・」と悔やんでいる。
その当時、水銀が有毒ということを知らなかったチッソは、工場の内部で水銀がしたたる中で作業が行われていた。もともとアリス・ハミルトンが「労働で薬害が発生する」という概念を作ったのが1930年代であり、まだ労働と薬害という概念が無かったのである。
つまり、
「チッソは水銀が有害であることを知らず、水銀の中での労働が危険であり、廃水で水俣病が起こるとは知らずに工場を設計し、運転した」
ということである。だからチッソに責任がないということにはならないが、水俣病患者が出るまでは、意図的ではなかった。
国や自治体はチッソの工場設計や運転を許可した。審査の内容や権限の範囲には制限があるので、国や自治体に責任があるかは別であるが、工場を運転したら数1000人の人が被害を受けることがわかっていれば許可を与えなかったであろう。
従って、国も自治体も工場は水俣市にも日本国にも必要だと思って認可し、まさか水俣病が出るとは思ってもみなかった。
知らなかったのだから、権限が無かったのだから、という理由で「責任」が免れるかは後に検討を加える。責任問題は急ぎたくない。ともかく、チッソ自身も国も自治体も「まさか?!」ということが起こったのは事実である。
三番目の問題、つまり戦後、チッソが工場の運転を始めようとした時、学問的には水銀の毒性というのはわかっていたのだろうか?イギリスなどで少し研究例があるが、工場の運転開始時には、日本の技術者や医者は次のような知識レベルだった。
「水銀および有機水銀自体の毒性ははっきりしていなかった。また、低濃度の有機水銀が海に流れると、魚に蓄積し、それが人体に移行して神経障害を起こすことは知られていなかった。」
次の論理展開をするにあたって、私はなにも前提や結論があるわけではない。私は水俣病については利害関係もないので、できるだけこの事件を技術に関する倫理問題として調べてみることと、犠牲者の立場になって原因を明らかにし、再発を防止することが目的だからである。
戦後、チッソが水俣で本格的に工場の操業を開始したとき、
1) 学問的に水銀や有機水銀の毒性や環境への影響は不明だった。
2) チッソも自治体も工場の操業には重大な欠陥があるとは知らなかった。
3) チッソの技術陣は患者が発生する前に水銀が廃水の中に含まれていることを知っていたが、重篤な障害が発生するとは考えつかなかった。
4) チッソの技術陣は水銀の中で仕事をしていた。
とまとめることができる。この結論もおそらく多くの人が認めるだろう。
奈良の大仏を建造するとき聖武天皇が膨大な水銀を使用して大仏の表面に金箔を施したとされる。その時に多くの作業員が水銀中毒になったとされるが、当時は大仏建立の時のどの作業が患者を発生させたかはわからなかった。
というより、もともと「病気」というものは「魔物」がもたらすものであると考えていた。病気が病原菌や有毒物で起こると考えられるようになったのはパスツール以後(19世紀以後)と言われている。
さまざまな歴史的記述を見ると、薄々、水銀に何かの作用があるらしいと感じていた様子は伺われるが、むしろ水銀は「有用な金属」とされ、大和朝廷までは水銀鉱脈と権力とは密接な関係にあったほどである。
私たちは今、水銀が有害であることを知っているが、それでも水銀自体に問題があるのか、水銀が有機物と結合して作られる有機水銀が問題なのかという問いには、現在でも答えられない状態である。
また、私たちは今、テレビ、自動車、携帯電話、蛍光灯などに大量の鉛、ヒ素、水銀などを使用しているが、日本社会はそれを禁止はしない。有害物質が危険でも、便利であり、経験的にあまり健康に被害を与えないなら良いというのが現代の考え方である。
少し横道にそれるが私がこのシリーズを書いている目的の一つがここにある。水俣であれだけ悲惨な結果をもたらしたのに、それを「チッソ」で片付けて相変わらず、「自動車が便利だから、携帯電話が便利だから」という理由で、有害物質を使い続けることは、犠牲になった人の供養になるのか?それが疑問なのである。
以上を前提にして次の二つのことを考えてみよう。
1) 人は有害と知らない時に行為を中止することができるか?
2) 人は何故、有害とわかっている元素を使うのか?
私は講義に「プロジェクター」というのを使う。きわめて強い光を発する。感覚としては目に悪い気がする。紫外線や強い光は時として失明の原因にもなる。講義の時にそのプロジェクターで映し出された画面を見るのは若い学生である。
もし、最近開発された高性能プロジェクターの光を1年程度見ていたら20年後に失明するというのが事実としたら、私はどうするか?
私は失明するということを知らなければ使う。そして20年後、大量の学生が失明したら、気が狂うほど苦しむだろうが、知らなかったものは仕方がない。責任とかそういう次元の話ではなく、知らないものは防ぎようがない。
チッソも自治体も学者も水銀が廃水に含まれると危険であるということは知らなかった。だから防ぎようがない。「水銀が危ないのではないか」程度の知識はあった。でもそれでは人は行動を中止しない。私もプロジェクターの光を見ると目が痛いので、目に悪いかとも思うが、それでは使用するのをやめない。人はその程度のリスクの上で生活をしているからだ。
従って一番目の正解は、
「人は危険と認識していないものは、使用を中止しない」
となる。従って、
「チッソが水銀が含まれる廃液を流すのは我々の生活態度と同じである」
と結論される。
第二番目の問題はどうだろうか。
すでに水俣では水銀で、富山ではカドミウムで、粉ミルクではヒ素が、そして鉛は幼児の頭脳の発達を阻害するとされる。それでもなぜ、鉛も、カドミウムも、水銀も、ヒ素も大量に使用されているのだろうか?なぜ「危険なもの」を使用し続けているのだろうか?
テレビのブラウン管には鉛を10%以上含む。そしてテレビのブラウン管はあちこちで割れる。自動車のバッテリーは鉛が使われる。それを厳重に監視している訳ではない。
携帯電話にはヒ素などの有害物質が多く使用される。でも平気で捨てられる。蛍光灯には水銀が使用される。しかも使用された水銀の20%以下しか回収されず、そのほかは「垂れ流し」になっている。
チッソが水銀を垂れ流したのが今から50年ほど前だが、今でも私たちは水銀を垂れ流している。
この答えは論理的にはまだ答えがないが、歴史的には回答が与えられている。それは、
「人間社会は有用なものなら、有害物もOKとする。」
とできる。
つまり人間社会というのは、水銀であるから、鉛であるからという理由では排斥しない。
「管理されている状態で危険性が少なければ便利さを採る。」
ということである。これを水俣の場合に適応すると、
「チッソが水銀触媒を使用したり、水銀が廃水に含まれていることは問題ではないが、被害が出たのは問題だった。」
ということになる。
水俣病パート2での論理展開では、次のような結論が得られる。
1) チッソが水銀触媒を使用したのは、水銀が有害物質と知られていなかったのだから、人間としてはやむを得ない。
2) チッソが廃水に水銀が含まれていることを知ってからも操業を続けたのは、それが障害を発生すると考えていなかったのだから、人間としてはやむを得ない。
3) チッソも自治体も、水俣市民もチッソの工場は有用だと思っていたので、有用なものに毒物を使用しても、それ自体は問題ではない。
「チッソの行動は正当だった。でも、それだからといってチッソや自治体に責任がないか?」という問題を次回に整理したい。
おわり