文化からお金へ

― 日本人の心の変化 ―



 金沢は前田100万石の城下町だけあって明治以降も文化の香り高いところであった。三代文豪と呼ばれる泉鏡花、徳田秋声、室生犀星をはじめ中西悟堂、三宅雪嶺などの作家、西田幾太郎、鈴木大拙などの哲学者、化学の高峰譲吉など多くの人材を輩出し、第四高等学校(四高)はかくかくたる名声を誇っている。

「善の研究」などを著した哲学者・西田幾太郎 1)


 金沢市は犀川と浅野川という二つの川に挟まれ、また小さな丘陵がいくつかある味わい深い土地柄である。そして多くの文化人を出したのは偶然ではないだろう。かつて市内は前田家の威光が残り、金沢大学をはじめ大学が市内にあって文化の香りが高かったからである 2)。写真は現存する旧制第四高等学校の校舎を残した記念館である。この記念館の中にはあふれるほどの文化の香りが漂っているが、人はまばらである。


第四高等学校(現存)


 今や、金沢の市内を紹介するパンフレットには文化の香りは乏しくなり、官庁や飲食店の紹介が目立つ。金沢大学が平成元年に城内から角間へ、金沢美術工芸大学は昭和47年に出羽町から小立野へ 3)、昭和40年以降に開学した金沢工業大学、金沢経済大学、北陸大学などは野々市、御所町、太陽が丘などの郊外に置かれた。学問を大切にし、誇り高い金沢人はどこに行ったのだろうかと心配になる4)。 

 大学の郊外移動は今に始まったことではないし、もちろん金沢だけのことではない。

 バブルが始まる頃、地上げ屋に追われるように大学は郊外にでた。静かに学問をするには郊外が良いというが、そうでもない。学問というのは時代の先端にいなければならず、時代の先端は都市の中心でなければ感じられないからである。ただ、その貴重な都市の中心に官庁を持ってくるか、銀行が良いか、産業か、それとも飲食店か、それが選択なのである。

 明治19年、大鳥圭介は東京大学工学部開学にあたって学士会館で演説をした。

 「 吾人亜細亜洲人ハ何故ニ欧羅巴洲人ニ及バザルヤ。

 地積ノ大小ヲ問ヘバ、亜細亜全洲ノ面積ハ幾ンド欧羅巴ノ六倍アリ。人口ノ多寡ハ如何。亜細亜全洲ノ人口凡、六億、欧羅巴ノ人口凡三億ニテ、即二倍ナリ。
 (中略)
 然ラバ、版図ノ大小、人口ノ多寡、開闢ノ時代ニテモ亜細亜洲ガ一番ナルベキニ、何故ニ亜細亜人ノ領分ガ欧羅巴、亜米利加、亜弗利加、豪珈多利亜ニ無クシテ、却テ亜細亜、亜弗利加等ノ国々ハ欧羅巴人ニ掠略サレシヤ。又何故今日農工商ノ事ニテモ交際上ニテモ欧羅巴人ニ蔑視サレテ頭ガ挙ガラヌカ。之ヲ考レバ、泣クニモ泣カレヌ歎ハシキ次第ナリ。之ヲ要スルニ、皆学識ノ虚実ト智力ノ強弱トニ縁ラザルナシ。日本ハ亜細亜洲中屈指ノ独立国ナレバ、其臣民タルモノ能ク学問ノ軽重真仮ヲ弁識シ、上下共ニ勇敢進取百折不撓ノ気象ヲ養ヒ、空文浮辞ニ陥ラズ実理ヲ研究シ、実業ニ曼勉シ、死学問ト活学問トヲ分別シ、遠大ノ功績ヲ将来ニ期シ、日本人ノ品位ヲ高等ニ進メ、亜細亜人ノ惣代先覚トナラムコト、聴衆諸君ノ如キ少壮有為ノ人ニ望ム所ナリ。5)

 明治の日本は貧しかった。でも福沢諭吉の「学問のすすめ」はあり、文盲率は当時世界を制覇していたイギリス(大英帝国)を抜いていた。学問は尊ばれ、文学あり、詩あり、絵画ありで貧しいながらも高貴な日本人だった。

 平成の日本人は明治とは大きく違っている。国内総生産(GDP)に対する教育投資、大学院への進学率などを欧米各国と比較してまとめてみると、それがよくわかる。

表 1 日本と欧米の教育投資の比較(対GDP費)



 これが「教育立国の日本か?」と疑うほどの数字だ。初等中等教育ではまだ欧米との差が小さいが、高等教育となると、欧米の3分の1。これではいくら大学の荒廃が大学教授の責任だとか、勉強しなくなった学生が悪いとも言えない。

 日本は現在、自動車や電子機器などの高度な工業製品では世界一である。条件は悪いが、これらを製造している人の必死の努力でなんとか世界一を保っている。でも、このような高度工業製品を生み出すのは高い専門性をもった研究者と技術者を多く輩出することがその基礎的条件となる。

 ところが、先進各国と比較して、日本の大学院進学率の数字は感心したものではない。見たくないほどだが、事実には目を背けてないというのが私の信条だから、現状を表に整理してみた。日本の全人口に対する大学院学生の比率はアメリカの7分の1、イギリス・フランスの3分の1。これでは、「人まねで工業を支えている。」と欧米の人に非難されても仕方がない。

表 2 先進国の大学院進学率比の比較(全人口比)


 
 私は「日本難燃材料学会」というものを主催していた。この学会の目的は「燃えにくいプラスチックや繊維」を研究しようと言うものである。火災は社会の大災害の一つであり、日本の火災件数は一年間で64,000件、犠牲者は2,000人を超える。アメリカは火災による犠牲者4,000人、ヨーロッパ3000人を合わせると先進国だけで9000人になる。

 火災で死ぬのは苦しいだろう。火に囲まれて逃げ場を失った人はさぞかし残念だろうし、火に包まれる我が子を助けることができない親の気持ちは察するにあまりある。どうしても火災は減らさなければならない!!と私は思う。

 アメリカは火災を減らそうと、着火の研究、火災時の煙の減少に取り組んでいる。ヨーロッパも同様である。アメリカやヨーロッパの難燃学会に行くと、その国のリビングルームの絵が出てくる。そしてどのようにしたら火災を止めることが出来るかが議論される。

 これに対して日本の難燃学会、それは私が主催していたので私の学会だが、日本からヨーロッパに輸出するテレビを改良するための議論である。現在の日本の学問のある程度は、日本人の健康と安全を守るというより白人にその焦点があっている。なぜかというと健康や安全よりも儲けだからだ6)

 このようなことは「鉛フリーハンダ」の研究でも見られる。「環境を守るため」という理由で、鉛を使わないハンダの研究は日本で盛んである。特に家電メーカーが「鉛がないハンダしかつかわない」と納入業者に命令するので、仕方なく納入業者は鉛のない材料を開発する。でもその研究者や家電メーカーに、「日本人の鉛による健康障害」について質問してもほとんど答えてはくれない。そのかわりヨーロッパの鉛の規制については詳しく知っている。この場合も、日本の技術者や産業界が自国の国民の健康より貿易収支を優先していることが判る。

 もちろん私自身も日本人なので日本人の悪口は余り気持ちの良いものではない。しかし、江戸の文化、明治の先輩はどことなく尊敬できる存在だが、平成の私たちはどうも尊敬できる存在ではないようだ。すでに日本は江戸や明治の時に比較して各段と豊かな生活を送っている。それにも関わらず新聞にでるアンケートの結果では、未だに「生活が苦しい」という人が過半を占める。アンケートでグチを言うのも分からないではないが、その結果が「だから景気を回復しなければならない。」「そのためにはもっともっと物質を使い販売量を増やさなければ。」ということになる。ますます泥沼である。

 貧しくても幸福は得られる、貧しい方が幸福だ、というのは真実だろう。お金に明け暮れ、浴びるほどのビールを飲めるようになり、焼き肉の食べ放題にいっても、「生活が苦しい」というのはどこか方向が間違っているからではないだろうか?

参考文献
1) 北國新聞、創刊記念特集、(3)、平成12年8月5日
2) 写真集金沢編集委員会、「ふるさとの思い出写真集 明治大正昭和 金沢」(国書刊行会、昭和53年)
3) 財団法人金沢市文化材保存財団、「金沢の史跡探訪」(山越、平成4年)
4) 武田邦彦、「リサイクル汚染列島」(青春出版、2000)
5) 大鳥圭介、「東京学士会院雑誌」(八編三冊、明治19年)
6) ディープ・エコロジー考