30年目の心変わり


 1930年は第一回普通選挙(25才以上の日本男子全員が選挙権を持つ)のすぐ後で、米英日の軍艦比率を決めたロンドン条約が締結された年である。世界各国が軍備増強によって自国の権益を守ろうとしていた中で、日本の工学・工業の目的は「優れた軍艦を作り、国を守ること」だった。

 1960年には所得倍増計画を編み出した第一次池田内閣が発足し、日本の高度成長が始まった。それ以来30年間の日本の工学・工業の目的は「大量生産によって豊かな国になること」だった。

 そして、1990年。バブルがはじけて気がついて見たら環境が破壊されている!・・・日本の工学・工業は「環境」に目覚め、それからは環境一筋。水戸黄門の印籠のように環境という言葉の前にひれ伏すしか無かった12年が過ぎた。

 振り返ってみると、日本人は現実を直視する能力があると言えば言えるし、あまりにも変わり身が早いようにも感じられる。30年ごとに価値観が正反対になる。戦争に負けたから平和主義になるというのも変だし、大量生産した物の中で生活していてそれを非難するのも可笑しい。まして30年という時間では一人の人が、その人生の途中で宗旨を変えたことを意味している。それではその人の今までの信念はどうだったのか?と聞かれて返事のしようがない。

 すでに12年が経過した。次の心変わりまで18年。歴史が繰り返されるなら、2020年には「環境を守るのは悪い」という事になるはずである。今までも軍艦の建造を指揮していた人が「戦争反対」となり、大量生産に心血を注いでいた人が「大量生産、大量廃棄が人類を滅ぼす」と言っているのだから。だから、そろそろ「環境を守ると人生は貧弱になる」という兆候が現れる頃だ。そう思って、身の回りを見ると確かに僅かな気配を感じる。

 大気汚染を象徴する二酸化硫黄の濃度は30ppbからすでに6ppbへ減少し、BOD,CODで測定した「綺麗な河川」は80%に達した。1970年には年間200人だった公害病認定患者数はほぼゼロに近い。確かに徐々にではあるが、かすんでいた東京タワーははっきり見えるようになり、光化学スモッグ注意報も陰を潜めた。また直接的な指標ではないが、乳幼児死亡率は1000人あたり12人(1970)から4人(2000)に、平均寿命は同じく70才から80才になった。少なくとも日本の環境は健康に影響を及ぼすほどは悪くないようだ。

 一方、少しでも環境を良くするようにということで始めた容器包装リサイクルも実績が上がらない。プラスチックの生産量1500万トンに対して2000年のリサイクル量(物質としてもう一度使った量)はわずか1%。膨大な努力をして僅かだ。努力には残業も入るし、講習会にも言った。あれほど多くのことをしたのだから、その分だけ環境は悪化しているだろう。本当は「丁寧に包装する」ということは「物を大事にする」ということと同一だ。だから包装を軽視する文化はものを大切にしない・・・環境問題の周辺にはそういう矛盾が蓄積している。矛盾が一気に生産されたのが敗戦やバブルの崩壊だが、そのタイミングがあと18年ということになる。
 
 人生でもう一度、宗旨を変えるようなみっともないことはしたくない・・・
 
 おわり