祖国防衛のために将校となった軍人が侵略戦争に行く
祖国防衛の熱意に燃えて軍隊に入り、刻苦勉励して将校となった軍人。背は高くすらっとして軍服姿は実に凛々しい。その将校がちょうど、大尉になって部隊を率いる地位についた頃、祖国は戦争に突入した。はじめは祖国防衛の為の戦争だったが、次第に戦線は拡大し、誰が見ても侵略戦争に変わっていった。
軍人は悩み、自分が他国の人を無惨に殺していくのに耐えられない。毎日、毎日、そのことに悩み、ある日、彼は決心する。
「明日の戦闘では、兵士の先頭に立って突撃をしよう。それが俺の死に場所だ」
工学を専攻する人は今、同じ立場にいる。かつて日本が貧乏だったとき、そして第二次世界大戦に敗れたとき、日本人に豊かな生活をと思って工学に身を投じた。でも、うっかり生産効率を上げている内に、過剰生産になった。このまま生産を続けていては貴重な資源も無くなってしまうところまで来た。それでも経済を拡大し、生産を効率化するのは誰の目にも行き過ぎに見える。軍人がその任務を果たすと必然的に人を殺すように、工学も任務を果たすと社会を破壊する。工学は実務的な学問だからである。
私はこう思う。
「明日の講義では工学の代わりに、芸術と文学を教えよう」
それでもあの将校に較べれば決意は甘い。
工学は少しでも人間の生活を楽にしようとして努力を重ねてきた。冬の寒い夜、風邪で弱った長男の容態がおかしい。急いで毛布にくるめて車に乗せ、寒風吹き荒ぶ道を10キロ程飛ばして病院に駆け込む。
「もう少し遅かったら、肺炎が酷くなっていました。おいでになって良かったですね」
と医者は消毒液で手を洗いながらそう言った。
「良かった。車で連れてきて良かった。もし車がなかったら駄目だったかも知れない」
そういえば、私が2歳の頃、急にグッタリして様子がおかしいと感じた私の母親が私をおぶって長い山道を走り、病院に行ったことを聞いたことがある。腸捻転だったと聞いている。その時、私が一命を取り留めていなければこうして行きてはいないのだが、重い私をおぶって暗い山道を走った母親はさぞ大変だっただろう。そして、そんな毎日が母親の命を縮めたかも知れない。戦争前の日本人の平均寿命は50歳を超えていない。
自動車という工学の産物は確かに私たちを豊かにし、そして命を延ばしてくれている。だからこれからも工学は大切なもののようにも思えるが、それでもやはり少し行きすぎているようにも感じる。
我々の知性は我々が地上で与えられた限界を知ることができるだろうか?