教壇のコーヒー
アメリカ、ニューヨークの北に歴史的な町、ボストンがある。学園都市として有名なボストンには、かの有名なハーバード大学やMIT(マサチュセッツ工科大学)がある。ボストン市民と話をしてみると
「MITは俺たちの町の大学だ。コンピュータも航空機もここから出た」
と鼻高々だ。それに較べると日本の大学と市民のつながりは低い。仙台に行くと東北大学の存在感は高いし、名古屋でも多少は名古屋大学が知られている。でも東京では「どこに東京大学?」という都民ばかり。
ところでそのボストンの郊外に「タフツ大学」という小振りの大学がある。小高い丘にこぢんまりとした大学が聳えていて、赤い煉瓦造りの校舎が並んでいる。丘の頂上には多少、平らなところもあるが、ほとんどはなだらかな坂になっている。その坂を学生が急ぎ足で行き来している。
教室に入り教壇につくと、教壇の上にどの学生がおいてくれたのか、暖かいコーヒーがおいてある。雪がうっすらと積もった道を歩いてきた私には体に染み渡る暖かいコーヒーだ。
「ありがとう」
と言って私はその階段教室で講義を始める。学生数は約20名程度。今日も学生と一緒に学問を話し合える。私はそういう経験はないが他の先生から聞くところによると最終講義では時にお酒が少々、机の上に置かれることもあるという。
タフツ大学では試験の前には生協が夜の12時まで開いており、図書館は徹夜の学生のために24時間開館される。その代わり、試験が終わると生協は一転して「アルコール解禁」となり、それが2週間続く。大学のホールには有名なタレントが呼ばれてコンサートをしている。試験は学生にとって戦場だが、戦争が終われば戦友と杯を重ねるのは楽しいものだ。
教壇にコーヒーが置かれ、試験の前には図書館が24時間開館となり、さらに生協がアルコールを出す。
私はキャンパスの坂道ですれ違う学生のホッペタが赤く染まっているのに気がついた。そういえばどの学生もノートを小脇に抱えて早足に歩いている。だれもが「張り切っている」のだ。国際会館には留学生とアメリカの大学生が共同生活をしている。学生新聞は2種類発行され、大学当局を激しく攻撃する新聞、そんなことには何の興味もないノンポリの新聞・・・すべての学生がその青春をエンジョイする・・・そんな雰囲気のなかで生活できる学生は幸せだ。
日本の大学は教授が教壇からシラバスという決まった内容の学問を教育する。講義を開始したときには20名ほどしかいない学生は講義が始まって少しずつ増えて50名ほどになる。出席はとらないし、小テストは講義の最後にやることを知っている。最初から机に突っ伏して爆睡している学生・・・教室は荒れている。
日本の学生は勉強しに教室に来るのではない。単位を取るためである。だからといって日本の学生が悪いということはない。就職試験に行くと「高校卒業程度の学力をテストします。」と言われるし、会社に入れば実力では評価されない。「私はこれが専門です。」などと言おうもんなら、「専門なんかに拘っていてどうするんだ!何でもやれ!」と怒鳴られる。
・・・何のために大学で勉強したんだ?
と空しくなるのも当然だろう。
大学はレジャーランドだ、という人もいる。「俺も大学の時にはマージャンばかりだった。」という。その人はそうかも知れないし、その人の人生というのは本当に楽しかったのだろうか?自分の青春が無意味だったからと言って後輩をそこに引きずり込んではダメだ。
私は思う。
人間にとって大学時代の時間は本当に大切な時間だ。大学時代の1時間は40歳サラリーマンの何倍か貴重だ。でも多くの大学生は大学時代の時間は豊富だと逆に思っている。実は「時間がある。」のではなく「楽しいことがない」というだけだ。
私は教師だから、なんとか面白い講義をしたいと思っている。学生がその知的興味を感じ、「これなら面白い!」と思って私の教壇にコーヒーが置かれる日、もしそれが私が日本の大学を退職するまでにできたら、私の人生は豊になる。